電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
海外の日本語研究者や日本語教師、あるいは日本語学習者の間では以前から、「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうだ。日本語の持つこうした「人を優しくする力」に着目して、鈴木氏は「タタミゼ効果」と名付けた。「日本語、日本文化というのは悪く言えば人間を軟弱にする。よく言えば喧嘩(けんか)とか対立、対決とかができにくい平和的な人間にしてしまいがち」だというのだ。
◆「タタミゼ」効果――察する力を発達させる日本語
『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』
( 施光恒、集英社 (2015/7/17)、p168 )
鈴木孝夫氏は、日本語の持つ「タタミゼ効果」について最近、よく書いている。
「タタミゼ(tatamiser)」とは、もともとは、フランス語で使われはじめた比較的新しい言葉で(フランス人)が「日本かぶれする、日本びいきになる」「日本人っぽくなる」といった意味である。フランスでは柔道がさかんなこともあり、「畳」が日本のシンボルになっているのであろう。
鈴木氏は、この言葉の意味を少し変えて、日本語が、日本語使用者に与える影響について語っている。
海外の日本語研究者や日本語教師、あるいは日本語学習者の間では以前から、「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうだ。日本語の持つこうした「人を優しくする力」に着目して、鈴木氏は「タタミゼ効果」と名付けた。「日本語、日本文化というのは悪く言えば人間を軟弱にする。よく言えば喧嘩(けんか)とか対立、対決とかができにくい平和的な人間にしてしまいがち」だというのだ。
鈴木氏は多くの実例を紹介している。たとえば、アメリカ人のあるキャリアウーマンは、日本語を学び、日本で暮らした結果、万事控え目になり、自己主張があまりできなくなってしまった。ロシア人の元外交官は、日本語を学び、日本に滞在している間に、ロシアに帰国すると「日本人になったみたいだ」と冗談を言われるぐらい印象が変わり、やはり人当たりが柔らかくなったという。
鈴木氏の「タタミゼ」の話は、まんざら大げさな話ではないだろう。日本語の使い手は、前述の自分や他者を指す言葉の使い分けにしても、待遇(敬語)表現にしても、常に状況や他者との関係性を先に読み取り、そののちに自己を柔軟に規定していくことを要求される。
また、日本語の会話では、話し相手の気持ちを察する「察し用法」も数多く用いられている。
文化人類学者のエドワード・ホールは、日本語や日本文化は「高文脈」の言語であり文化であるとかつて述べ。日本語の会話は、英語などの欧米諸語に比べて状況に依存するところが比較的大きいと論じたのだ。「高文脈」の言葉を用いる際は、会話をしている状況、あるいは会話の相手の気持ちを適切に読み取っていく力が求められる。言わば「察する力」が要求される。
日本語では、日常的な会話の場面でも、たとえば、ある人のお宅を訪問してそこを辞去する際、帰るとあまりはっきり言わない。「あのう、それではそろそろ……」「そうですか。お構いもしませんで……」「いえいえ、ではまた」「お気をつけて」というような会話が交わされることが多い。
互いに、周囲の状況や相手の気持ちを察する能力を鍛えて身につけていないと、このような日本語の会話はなかなかよどみなく進んでいかない。
日本語教育の研究者である佐々木瑞枝(みずえ)氏は、日本語の会話のこうした特徴をとらえて、日本文化には「察しの文化」の側面があると述べている。
日本語を学ぶ際には、状況や他者の気持ちを読み取る「察する力」「共感」「思いやり」などの能力を発達させ、身につけることが強く求められるのだ。日本語学習者に「タタミゼ」効果が生じるのは当然と言えば当然かもしれない。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
海外の日本語研究者や日本語教師、あるいは日本語学習者の間では以前から、「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうだ。日本語の持つこうした「人を優しくする力」に着目して、鈴木氏は「タタミゼ効果」と名付けた。「日本語、日本文化というのは悪く言えば人間を軟弱にする。よく言えば喧嘩(けんか)とか対立、対決とかができにくい平和的な人間にしてしまいがち」だというのだ。
◆「タタミゼ」効果――察する力を発達させる日本語
『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』
( 施光恒、集英社 (2015/7/17)、p168 )
鈴木孝夫氏は、日本語の持つ「タタミゼ効果」について最近、よく書いている。
「タタミゼ(tatamiser)」とは、もともとは、フランス語で使われはじめた比較的新しい言葉で(フランス人)が「日本かぶれする、日本びいきになる」「日本人っぽくなる」といった意味である。フランスでは柔道がさかんなこともあり、「畳」が日本のシンボルになっているのであろう。
鈴木氏は、この言葉の意味を少し変えて、日本語が、日本語使用者に与える影響について語っている。
海外の日本語研究者や日本語教師、あるいは日本語学習者の間では以前から、「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうだ。日本語の持つこうした「人を優しくする力」に着目して、鈴木氏は「タタミゼ効果」と名付けた。「日本語、日本文化というのは悪く言えば人間を軟弱にする。よく言えば喧嘩(けんか)とか対立、対決とかができにくい平和的な人間にしてしまいがち」だというのだ。
鈴木氏は多くの実例を紹介している。たとえば、アメリカ人のあるキャリアウーマンは、日本語を学び、日本で暮らした結果、万事控え目になり、自己主張があまりできなくなってしまった。ロシア人の元外交官は、日本語を学び、日本に滞在している間に、ロシアに帰国すると「日本人になったみたいだ」と冗談を言われるぐらい印象が変わり、やはり人当たりが柔らかくなったという。
鈴木氏の「タタミゼ」の話は、まんざら大げさな話ではないだろう。日本語の使い手は、前述の自分や他者を指す言葉の使い分けにしても、待遇(敬語)表現にしても、常に状況や他者との関係性を先に読み取り、そののちに自己を柔軟に規定していくことを要求される。
また、日本語の会話では、話し相手の気持ちを察する「察し用法」も数多く用いられている。
文化人類学者のエドワード・ホールは、日本語や日本文化は「高文脈」の言語であり文化であるとかつて述べ。日本語の会話は、英語などの欧米諸語に比べて状況に依存するところが比較的大きいと論じたのだ。「高文脈」の言葉を用いる際は、会話をしている状況、あるいは会話の相手の気持ちを適切に読み取っていく力が求められる。言わば「察する力」が要求される。
日本語では、日常的な会話の場面でも、たとえば、ある人のお宅を訪問してそこを辞去する際、帰るとあまりはっきり言わない。「あのう、それではそろそろ……」「そうですか。お構いもしませんで……」「いえいえ、ではまた」「お気をつけて」というような会話が交わされることが多い。
互いに、周囲の状況や相手の気持ちを察する能力を鍛えて身につけていないと、このような日本語の会話はなかなかよどみなく進んでいかない。
日本語教育の研究者である佐々木瑞枝(みずえ)氏は、日本語の会話のこうした特徴をとらえて、日本文化には「察しの文化」の側面があると述べている。
日本語を学ぶ際には、状況や他者の気持ちを読み取る「察する力」「共感」「思いやり」などの能力を発達させ、身につけることが強く求められるのだ。日本語学習者に「タタミゼ」効果が生じるのは当然と言えば当然かもしれない。