電脳筆写『 心超臨界 』

感謝を表わすのに忘れてはならないこと
最高の感謝は言葉ではなく
感謝をもとに生きることである
J・F・ケネディ

◆無差別殺戮に転じた米国

2024-07-25 | 05-真相・背景・経緯
§3 日米戦争によってアメリカは日本を侵略した
◆無差別殺戮に転じた米国


東京が初めて本格的空襲を受けたのは昭和19年11月24日、88機のB26が武蔵野町(現武蔵野市)の中島飛行機武蔵工場などを爆撃、550人の死傷者を出した。この時点での空襲は昼間、1万メートルほどの高さから軍需工場を中心に狙った。時に精度が狂い、一般民家などにも被害が出た。だがマリアナの米軍B29爆撃兵団の指揮官が20年1月、カーチス・ルメイ少将に代わってからは、夜間低空から焼夷弾を使う無差別じゅんたん爆撃が採られ、非戦闘員も対象とされた。その最初が3月10日の東京で、大阪を経て17日にはB29が309機神戸に来襲した。


子供たちに伝えたい 日本人の近現代史 67――皿木喜久
無差別殺戮に転じた米国【 産経新聞 H26.07.20 】

  大統領は原爆投下直後「威嚇」した

松本清張の『砂の器』に、大阪大空襲で区役所と地区の法務局が全焼、戸籍原簿がすべて消失したという話が出てくる。若い男がこれを利用して自らの戸籍を偽造するのだ。むろん小説であり、そんな犯罪が実際に行なわれたかどうかは分からない。ただ大空襲が戸籍業務も狂わすほど激しいものだったことは間違いない。

昭和20(1945)年3月13日夜から14日未明にかけ274機の米爆撃機B29が大阪を襲った。低空から約7万個という焼夷(しょうい)弾を落とし、大阪市内をほぼ焼き尽くした。市民3千人余りが亡くなり、13万戸以上の家屋を焼失した。

その4日前の3月10日未明、首都東京への空襲は、もっとすさまじかった。

9日夜、房総半島南部から東京にかけ数機のB29が侵入してきたが、そのまま去った。このため午後10時半に出された空襲警報もいったん解除され、市民も安心して眠りについたが、10日に日付が変わったころ、おびただしいB29が来襲した。

午前0時8分ごろから最初の編隊が現在の江東区から墨田区にかけ次々と焼夷弾を投下、15分に再び空襲警報が発令されたときには下町一帯はすでに炎に包まれていたという。

マリアナ諸島の爆撃基地から飛来したB29は米側史料によると334機に上った。まず最初の編隊が巨大な長円状に焼夷弾を落とし「火の壁」をつくる。後続機はそれを目印に「壁」の中に次々と爆弾を落とす。

この日は20メートルという強風も吹いていたといい、人々は逃げ場をふさがれ、焼死していくしかなかった。その数はいまだに確定していないが、10万人を超えるという見方もある。完全な無差別殺戮(さつりく)と言ってもいい。

東京が初めて本格的空襲を受けたのは昭和19年11月24日、88機のB26が武蔵野町(現武蔵野市)の中島飛行機武蔵工場などを爆撃、550人の死傷者を出した。

この時点での空襲は昼間、1万メートルほどの高さから軍需工場を中心に狙った。時に精度が狂い、一般民家などにも被害が出た。だがマリアナの米軍B29爆撃兵団の指揮官が20年1月、カーチス・ルメイ少将に代わってからは、夜間低空から焼夷弾を使う無差別じゅんたん爆撃が採られ、非戦闘員も対象とされた。

その最初が3月10日の東京で、大阪を経て17日にはB29が309機神戸に来襲した。神戸では8月まで度重なる夜間空襲で8800人余りが死亡した。空襲はやがて地方都市にも広がり、市民が逃げ惑うことになる。

この無差別殺戮の行き着いたところが20年8月6日、9日の広島、長崎への原爆投下だった。広島では被爆直後だけで、約10万人が犠牲になった。約16時間後、米大統領ハリー・トルーマンは声明を発表した。

「われわれは現在、日本が有するいかなる都市、いかなる生産施設も迅速かつ完全に抹殺する用意がある」。一国の大統領とは思えない威嚇であった。

戦後、戦勝国側では原爆投下を「日本の力を徹底的にそぎ、これ以上われわれの国民の命を失わないため」「日本に早期降伏を促すため」などと正当化してきた。

しかし当時の日本はもうほとんど戦う力を失い、降伏に傾きかけていた。それに「だめ押し」をするにしては、10万人の非戦闘員を無差別に殺戮する原爆投下は残虐過ぎた。

しかも威嚇なら必要ない2度目の投下を長崎に行なっている。世界に先駆けて開発した原爆の威力を試すためだったと見られても仕方がない。先進国としての理性を失っていたと言ってもいい。後に東京裁判の関連で米国人検察官に尋問されたもと陸軍中将、石原莞爾は「一般市民を虐殺したトルーマンを第一に戦犯として検挙すべきだ」と喝破している。

むろんこの新型爆弾が日本の首脳陣に与えたショックは大きく、9日のソ連参戦とともに、急速に降伏に傾かざるを得なくなる。
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