電脳筆写『 心超臨界 』

手本は人を教える学校であり
他からは何一つ学べない
( エドマンド・バーク )

◆公職追放が敗戦利得者を生んだ

2024-10-14 | 05-真相・背景・経緯
§5-1 公職追放がアメリカの植民地・日本をつくった
◆公職追放が敗戦利得者を生んだ


戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後はアカデミズムに戻って、しかも大学の世界では位人臣(くらいじんしん)をきわめました。日本が負けたおかげです。日本の敗戦がなければ大学を追われたままでした。彼らが戦前を悪く言い、東京裁判および公職追放を経たあとの戦後を褒めそやすのは当然なのです。


◇公職追放が敗戦利得者を生んだ

『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史』
( 渡部昇一、徳間書店 (2007/04)、p191 )

戦後の恩恵をたっぷり享受したこの人たちが、いったい戦前の日本を褒めるでしょうか。戦前を褒めるわけがありません。「日本は戦後いい国になった」と言い続けるに決まっています。

そういう傾向は学界、言論界でもきわめて強かった。わかりやすい例を挙げておきましょう。

東京帝大経済学部教授だった矢内原忠雄(やないはらただお)氏。この人はシナ事変がはじまった年の昭和12年、講演で「日本の理想を活かすために一先(ひとま)ず此の国を葬って下さい」としゃべって帝国大学を追われました。

それから大内兵衛(おおうちひょうえ)氏。やはり東京帝大経済学部教授でしたが、昭和12年、コミンテルンの呼びかけに応(こた)えて組織された「人民戦線」に連座して帝大を辞めさせられています。

滝川幸辰(たきがわゆきとき)氏。この人は京都帝大法学部教授時代に、「犯罪は国家生活のアンバランスから起る。それなのに国家が刑罰を科するのは矛盾である、犯罪はいわば国家の受ける刑罰である」などと発言したり、無政府主義的な刑法の本を書いたりして、昭和8年に大学を辞めさせられた。

みな、戦前に帝国大学を追われています。それはそうでしょう。帝国大学といえば天皇陛下が建てられた大学という意識があった時代です。そのとき帝大教授がコミンテルンとの関係を疑われたり、国を侮辱するような発言をしたり、ソ連の手先と見られたら、大学にはいられない。もっとも辞めるだけで罰せられることはありませんでした。しかも意見を変えたり本を訂正したりすれば、ほとんど問題はありませんでした。しかし滝川さんは無政府主義的なテキストの改訂を拒んで京都帝大を辞めています。その点では男としてのスジを通したといえます。

そんな人たちが戦後ドッと復活したのです。

矢内原忠雄氏は昭和20年、東大経済学部に復帰、26年には東大総長になっています。

大内兵衛氏は戦後すぐに東大に復職、退官後の25年には法政大学の総長に就任しています。しかも左派社会党のイデオローグであったにもかかわらず、政府の経済関係の各種委員会の委員長になっている。

滝川幸辰氏は21年に京大に復帰、28年には京大総長になりました。

戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後はアカデミズムに戻って、しかも大学の世界では位人臣(くらいじんしん)をきわめました。日本が負けたおかげです。日本の敗戦がなければ大学を追われたままでした。彼らが戦前を悪く言い、東京裁判および公職追放を経たあとの戦後を褒めそやすのは当然なのです。
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