電脳筆写『 心超臨界 』

どんな財産も誠実にまさる富はない
( シェークスピア )

自分を鍛える! 《 知識の「消化不良」ほどたちの悪いものはない――ジョン・トッド 》

2024-06-19 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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古来、傑出した人物は誰もが、注意深く読書する習慣があった。そして、この習慣をそなえずして、ひとかどの人物になることは不可能である。ベーコンいわく、「読書は充実した人間をつくり、会話は機転の利く人間をつくり、執筆は緻密な人間をつくる」と。


『自分を鍛える!』
( ジョン・トッド、三笠書房(2002/02)、p127 )
4章 緻密な頭をつくるための読書法!

◆知識の「消化不良」ほどたちの悪いものはない

古来、傑出した人物は誰もが、注意深く読書する習慣があった。そして、この習慣をそなえずして、ひとかどの人物になることは不可能である。ベーコンいわく、「読書は充実した人間をつくり、会話は機転の利く人間をつくり、執筆は緻密な人間をつくる」と。

ベーコンの言う「充実した人間」には、広範囲な徹底した読書をしない限り、なかなかなれるものではない。いくら天才的才能があっても、いくら発明創造の才知があっても、この点の埋め合わせにはならない。

めったにないすぐれた才能の持ち主であれば、おそらくあちこちに自ら堂々たる道をつくっていけることだろう。しかし、先人たちが英知を結集して道をつけてくれているのに、誰がわざわざ新米に小道を探したりつくったりしてもらいたいと望むだろうか。

公平で正しい判断を下すためには、まず他の時代の歴史を振り返り、過去と現在の比較ができなければならない。

活発な精神を持つためには、後世に不滅の思想を残していったすぐれた先人の精神に絶えずふれて、自分の精神をリフレッシュし、強化しなければならない。絶えず思考の領域を広げ新しい考えを生み出す精神、少なくとも立派な思想を、常に吸収する精神を持ちたいものである。

食物が血管を循環する血液の糧(かて)であるように、読書は精神の糧である。読書に熱中しないような人間は、立派な精神活動ができる見込みもない。読書をしないでベーコンの言う「充実した人間」をめざすのは、新鮮な食物をとらないで健康かつエネルギッシュでありたいと望むようなものだ。それはちょうど、ミシシッピ川は支流を全部断ち切られても雨さえ降れば大量の水を海へ運ぶだろう、と考えるぐらい理屈に合わないことである。

堅苦しい思想の詰まった本はわずらわしいとして、物語やいわゆる軽い現代物の文学ばかりを読む人がいる。特に若い人々はとかく娯楽のためにだけ本を読む傾向があるし、絶えずその誘惑に駆られる。

読書の目的はいくつかの分野に分けられるだろう。ある者は、もっと厳しい勉学の骨休めに本を読む。そうして、気分を爽快にし、精神に活力を与える。またある者は、人類の歴史や経験の中に確固とした現実を読みとり、さまざまな状況の下でいかに人間が生き、行動してきたかを知る。そして、そうした現実から結論を導き出す。つまり、自分の視野が広がり、判断は是正され、歴史上のあらゆる時代の経験が自分自身の経験となるのだ。ある者は、たぶんに情報のために読書する。将来役立つように知識をたくわえ、いつでも使えるようにそれを分類し、整理しようとする。またある者は、文体のために読書する――力強い、あるいは繊細な感性を持ったすぐれた作家が、自分をどう表現しているかを学ぶために。

娯楽のための読書は別として、こうした目的を達成するためには、言うまでもなく読書はゆっくりとあるいは慎重になされるべきである。膨大な数の本を読んでいる人間が、価値のある知識をわずかしか持っていないということがよくある。昔からいみじくも、膨大な蔵書は知的な贅沢だと言われている。速読家は概して漫然たる読書家であることが多い。数だけ読んでいるが、何も知ってはいないのだ。

漫然と速読する読書家と、真の学者とは、まったく異なるタイプの人間である。人間の本質を見抜いているある人はこう言ったものである。自分は膨大な蔵書を持った人間と議論をやりあうことになっても、けっして恐ろしいとは思わない、と。こういう人は、たとえ蔵書はわずかでも、ものごとをよく考え、自分の頭脳を知的活動に最適な状態に整えている人である。

以上のことにはまったく例外がないなどと言うつもりはないが、それにしても、これから人生を始めようという若者には例外なく言えることである。

読書によって成長しようと考えているなら、まず丁寧に読むことである。ガツガツと飲み下された食物を、胃は受け入れて消化し、肉体のための栄養分を吸収するだろうか。そんな食物は体を素通りするだけだ。頭脳も同じで、あわただしく詰め込まれるものからは何も吸収できない。
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