電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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大リーガーの卵が集うフロリダのマイナーリーグへ。球場の施設から練習風景まで撮りまくった。学校を出たばかりの選手たちは未熟で、外野手が「オーライ、オーライ」といったはずなのに、飛球はその10㍍後方に落ちていた。「なんてstupid(間抜け)なんだ」と私はファインダー越しに漏らした。すると、そこの監督が「やつはルーキーなんだ。もし彼が来年も同じプレーをしていたらstupidだがね」。そう言い、根気よく飛球の追い方を教えている。はっとした。36歳の私はまだどこかに現役気分を残していた。
◆やるのは選手
「こころの玉手箱」――元横浜ベイスターズ監督・権藤博
( 09.12.04日経新聞(夕刊))
[2] 米国視察時に使ったカメラ――「やるのは選手」見えた財産
短い現役生活を終え、中日の2軍コーチになっていた私は1975年秋、、米国野球の視察に出た。このカメラはそのとき携えていった2台のニコンのうちの1台。フィルムは入っていないが、私の「転機」が焼き付けられている。
朝鮮戦争のきびしい撮影条件に耐えて声価を高めたニコンは当時でも、米国に持って行けば2、3倍の値がつく、といわれていた。2台を携行したのは手持ちのドルが尽きたときの用意でもあった。
大リーガーの卵が集うフロリダのマイナーリーグへ。球場の施設から練習風景まで撮りまくった。学校を出たばかりの選手たちは未熟で、外野手が「オーライ、オーライ」といったはずなのに、飛球はその10㍍後方に落ちていた。「なんてstupid(間抜け)なんだ」と私はファインダー越しに漏らした。
すると、そこの監督が「やつはルーキーなんだ。もし彼が来年も同じプレーをしていたらstupidだがね」。そう言い、根気よく飛球の追い方を教えている。
はっとした。36歳の私はまだどこかに現役気分を残していた。投げれば直球は130㌔ぐらい出るし、変化球もいける。野手経験もあるので、2軍の選手にはグラブさばきも負けず「何だ、そんなこともできないのか」と見おろしていた。
これみよがしに模範演技を披露する私は、人に教えるといいながら、自分しか見ていなかった。
「シーズン30勝といっても、昔のことだろ? コーチだ、監督だと偉そうにしても、プレーをするのは選手なんだよ」。選手の目線に立った米国の指導者にそう言われた気がした。
横浜の監督に就任したときにまず「やるのは選手ですから」と話した。出過ぎず、選手本位の野球をしよう……。「熱い任せの采配」「監督は『ピッチャー・佐々木』と告げていただけ」という優勝時の解説は最高の賛辞だった。
コーチとしての財産を得た米紀行。勝手に“輸出”してはいけないのだろうが、ニコンのもう1台は視察をアレンジしてくれた向こうの球団の人に、買値で譲ったと記憶する。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。
大リーガーの卵が集うフロリダのマイナーリーグへ。球場の施設から練習風景まで撮りまくった。学校を出たばかりの選手たちは未熟で、外野手が「オーライ、オーライ」といったはずなのに、飛球はその10㍍後方に落ちていた。「なんてstupid(間抜け)なんだ」と私はファインダー越しに漏らした。すると、そこの監督が「やつはルーキーなんだ。もし彼が来年も同じプレーをしていたらstupidだがね」。そう言い、根気よく飛球の追い方を教えている。はっとした。36歳の私はまだどこかに現役気分を残していた。
◆やるのは選手
「こころの玉手箱」――元横浜ベイスターズ監督・権藤博
( 09.12.04日経新聞(夕刊))
[2] 米国視察時に使ったカメラ――「やるのは選手」見えた財産
短い現役生活を終え、中日の2軍コーチになっていた私は1975年秋、、米国野球の視察に出た。このカメラはそのとき携えていった2台のニコンのうちの1台。フィルムは入っていないが、私の「転機」が焼き付けられている。
朝鮮戦争のきびしい撮影条件に耐えて声価を高めたニコンは当時でも、米国に持って行けば2、3倍の値がつく、といわれていた。2台を携行したのは手持ちのドルが尽きたときの用意でもあった。
大リーガーの卵が集うフロリダのマイナーリーグへ。球場の施設から練習風景まで撮りまくった。学校を出たばかりの選手たちは未熟で、外野手が「オーライ、オーライ」といったはずなのに、飛球はその10㍍後方に落ちていた。「なんてstupid(間抜け)なんだ」と私はファインダー越しに漏らした。
すると、そこの監督が「やつはルーキーなんだ。もし彼が来年も同じプレーをしていたらstupidだがね」。そう言い、根気よく飛球の追い方を教えている。
はっとした。36歳の私はまだどこかに現役気分を残していた。投げれば直球は130㌔ぐらい出るし、変化球もいける。野手経験もあるので、2軍の選手にはグラブさばきも負けず「何だ、そんなこともできないのか」と見おろしていた。
これみよがしに模範演技を披露する私は、人に教えるといいながら、自分しか見ていなかった。
「シーズン30勝といっても、昔のことだろ? コーチだ、監督だと偉そうにしても、プレーをするのは選手なんだよ」。選手の目線に立った米国の指導者にそう言われた気がした。
横浜の監督に就任したときにまず「やるのは選手ですから」と話した。出過ぎず、選手本位の野球をしよう……。「熱い任せの采配」「監督は『ピッチャー・佐々木』と告げていただけ」という優勝時の解説は最高の賛辞だった。
コーチとしての財産を得た米紀行。勝手に“輸出”してはいけないのだろうが、ニコンのもう1台は視察をアレンジしてくれた向こうの球団の人に、買値で譲ったと記憶する。