電脳筆写『 心超臨界 』

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( ロバート・アンソニー )

読むクスリ 《 「宇宙短歌」秘話——寺門邦次 》

2024-09-01 | 05-真相・背景・経緯
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「シャトルという一種の極限状態の中でこの句を考えた向井さんを、素晴らしいと思います。それにしても、なぜ短歌を? と思いませんか。今だから話せるのですが、宇宙で短歌をやろうよ、というのは、じつは、向井さんと私が密かに示し合わせたことだったのです」と思わぬ秘話を打ち明けるのは、NASDA(宇宙開発事業団)特任参与の寺門邦次さん。


◆「宇宙短歌」秘話

『妻が横に立っている―読むクスリ 36』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (2001/12)、p172 )

  宙がえり 何度もできる 無重力
  湯舟でくるり わが子の宇宙

ご記憶ですね。

1998(平成10)年にスペースシャトル『ディスカバリー』から宇宙飛行士の向井千秋さんが、短歌の上の句だけを詠み、

「これに下の句を付けて下さい」

と呼び掛けた。

それに応えて日本国内ばかりか海外も含め、5歳から101歳までの人びとが詠んだ14万を超える下の句が寄せられた。

揚げたのは、一般の部で内閣総理大臣賞・向井千秋賞に輝いた、東京・国分寺市の坂本一郎さんの一首。

小中学生の部で同じ賞を受けたのは、長野・大町市の丹野真奈美さんだった。

  宙がえり 何度もできる 無重力
  水のまりつき できたらいいな

     *

上の句には、いかにも向井さんらしい茶目っ気のようなものがあって、なかなかいい。

これをスペースシャトルから電波に乗せ、彼女が宙がえりしている映像といっしょに地球へ送ってきたところが秀逸で、とりわけ子供たちに宇宙への親しみを感じさせた効果は大きかった。

「シャトルという一種の極限状態の中でこの句を考えた向井さんを、素晴らしいと思います。それにしても、なぜ短歌を? と思いませんか。今だから話せるのですが、宇宙で短歌をやろうよ、というのは、じつは、向井さんと私が密かに示し合わせたことだったのです」

と思わぬ秘話を打ち明けるのは、NASDA(宇宙開発事業団)特任参与の寺門邦次さん。

     *

話はその前年にさかのぼる。

1997(平成9)年5月、国際宇宙ステーション計画に参加しているアメリカ、ロシア、日本などの宇宙機関の長官が筑波宇宙センターで一堂に会し『宇宙機関長会議』が開かれた。

「私は当時NASDAの総務部次長で、広報担当責任者としてこの会議に出席していました」

初日の朝、冒頭に挨拶に立ったのは、アメリカNASA(航空宇宙局)のダニエル・S・ゴールディン長官(当時)だった。

「私たちは多くの苦労を乗り越え、今日、実りのある会議を迎えました」

話し始めた長官は、こう続けた。

「今の心境はまさに『漕ぎ抜けて 霞(かすみ)の外の 海広し』という日本の歌で表現できるでしょう」

『漕ぎ抜けて……』の部分は日本語だった。

出席していた日本側の関係者は、びっくりした。

俳句らしいが、聞いたこともない。それをアメリカのNASA長官が、すらすらと引用して見せたのだから。

「とりわけ広報責任者の私は仰天しました。長官が句を持ち出したからには、こちらも句でお返しをしなければならない。ととっさに判断したのですが、それにはまずこの句の正体を突き止める必要があるのです」

午後の最初に、日本側を代表してNASDAの内田勇夫理事長(当時)が挨拶することになっている。

そこで句を返したい。それまでに間に合うだろうか。

     *

会議の場を抜け出した広報担当者たちは、てんてこ舞いになった。

俳句関係者に電話して、この句の作者に心当たりはないか、どういう意味か、問い合わせる。

インターネットで作者の検索を試みるスタッフもいる。

「私は東京の総務部にいる秘書にも調べてもらおうと思って、電話してみました。そうしたら、たまたま彼が持っていた英文の本に載っていたのです。正岡子規の俳句でした」

それは、スピーチに引用できる日本の名言や歌などを集めた本だった。

ここでは句の表記を現代風にしたが、説明も載っていて、

「春先の霞でかすんだ中を漕ぎ抜けて沖へ出たら、ひろびろと海が開けた」

という意味で、事業の成功を祝し、いっそうの発展を期待するスピーチに使える、とある。

つまりゴールディン長官は、

「いろいろ難しいこともあったが、それをくぐり抜けて、いまや国際宇宙ステーション計画の前途は洋々たるものだ」

という気持ちを伝えるために、子規の句を引用したのだ。

「おそらく長官は事前にこの本を読んで、スピーチの準備をされたんですね。さすが外交に長けたアメリカ人、と私は感心し、合わせてそのサービス精神に舌を巻く思いでした」

     *

さて、句の作者と意味はわかったが、問題はお返しだ。

「連歌のように、下の句を理事長から返していただきます。上の句に答えられないようでは、日本の恥ですから」

内田理事長にはそれだけ伝えておいて、寺門さんたちスタッフは昼食そっちのけで再び電話にかじりついた。

ふさわしい下の句がないか、図書館に問い合わせる。

NASDAの人事課に連絡し、文系の職員で短歌が作れる人を探してほしい、と頼む。

「そうこうするうち、学生時代の友人の奥さんで、短歌をやっている人がいたことを思い出したんです」

子規の「五七五」に続ける「七七」を探しているんです、と電話で説明する。

初めあっけに取られていた彼女は、

「少し待って下さい」

と考えたのち、見事な七七を編み出してくれた。

「藍とうとうと 流れ合いたり」

これで子規の俳句は、次のような短歌に化けた。

  漕ぎ抜けて 霞の外の 海広し
  藍とうとうと 流れ合いたり

「ひろびろと開けた海には、藍色の潮が盛んに流れ合っている」

という意味になって、上の句と下の句がぴったり一つに結ばれた。

「同時に、ゴールディン長官の意のあるところを受けて、宇宙ステーション計画を各国の協力で力強く推進していこう、と答えていることになります」

     *

(後半へつづく)
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