電脳筆写『 心超臨界 』

偉大さは偉大であろうと試みることにある
それ以外の道はない
( アルベール・カミュー )

読む年表 古代~中世 《 壬申の乱――渡部昇一 》

2024-08-17 | 04-歴史・文化・社会
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天智天皇は自分の息子である大友皇子(おおとものおうじ=弘文(こうぶん)天皇)を皇太子とし、跡を継がせるつもりでいたが、天皇が歿(ぼっ)すると、出家して吉野にいた天皇の弟大海人皇子(おおあまのおうじ=天武(てんむ)天皇)がすかさず地方豪族を味方につけて兵を挙げた。近江朝廷の軍は大敗を喫し、弘文天皇は自害してしまう。これが「壬申の乱」と呼ばれる大乱である。


◆壬申(じんしん)の乱

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p34 )

672
壬申の乱
天智天皇直系の相続を阻んだ古代最大の戦乱

天智天皇がまだ中大兄皇子の時代に、同盟国である百済(百残)が唐・新羅(しらぎ)に攻められた。皇子は百済救済軍を朝鮮半島に派遣するが、白村江(はくそんこう)の戦い(663年)に敗れ、日本軍は百済の亡命貴族とともに帰国した。こうして外交的危機に直面した中大兄皇子は、対馬・壱岐・筑紫(つくし)に防人(さきもり=兵士)や烽(とぶひ=烽火(のろし)を上げる設備)を置き、筑紫に水城(みずき)と呼ばれる堤を築くなどして西国の防備を固めた。おそらくこれも国防上の理由によって都を飛鳥から近江大津へ移し、翌年即位して天智天皇となった。

天智天皇は自分の息子である大友皇子(おおとものおうじ=弘文(こうぶん)天皇)を皇太子とし、跡を継がせるつもりでいたが、天皇が歿(ぼっ)すると、出家して吉野にいた天皇の弟大海人皇子(おおあまのおうじ=天武(てんむ)天皇)がすかさず地方豪族を味方につけて兵を挙げた。近江朝廷の軍は大敗を喫し、弘文天皇は自害してしまう。これが「壬申の乱」と呼ばれる大乱である。

弘文天皇の在位期間は8カ月にも満たなかった。天皇として認められ、弘文天皇として諡号(しごう)されたのは明治3年(1870)になってからのことであった。

大海人皇子が反乱を起こした背景には、近江京遷都にともなう負担や、唐を手本にした公地公民制に対する豪族たちの不満があったのではないかともいわれる。天智天皇が弟の大海人皇子ではなく、息子の大友皇子を後継にしたのも、唐の嫡子相続制にならったものだった。

とはいうものの、天武天皇(大海人皇子)は、天智天皇の遺志を継いで律令国家の確立につとめた。また、篤く仏教を信じ、諸国に大乗経典である金光明経(こんきょうみょうきょう)や仁王経(にんのうぎょう)を講ぜしめ、薬師寺を建立した。そして685年には大和法起寺(ほうきじ)に三重塔を完成させ、しかも全国の家ごとに仏壇をつくって仏像を拝むように命じた。

しかし、まさにその685年に、同じ天武天皇が伊勢神宮の式年遷宮(正遷宮(しょうせんぐう)。原則として20年ごとに、定期的に神宮を建て直すこと)を決めているのである。この定めにしたがって持統天皇の御代(みよ)に第一回の式年遷宮(690)が行われて以来、戦国時代におよそ百年間にわたる中断もあったが、平成の今日まで千3百年以上にわたって行われているのは、世界史上の奇蹟といっていい。神武天皇以来の日本の歴史は生きているのである。もっとも、外国人には遷宮の意味がわからず、「伊勢神宮は築20年の木造建築だ」と言った人もいるそうだ。

さらに天武天皇は伊勢神宮に限らず、日本中の神社の修理を命じてもいる。神も仏も平等に扱っているわけである。この天武天皇的発想がそのまま、新年には神社に初詣に出かけ、お盆にはお寺詣りをし、クリスマスには教会へ賛美歌を聞きに行ってみるといった現代の平均的日本人のメンタリティとなっているのである。
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