電脳筆写『 心超臨界 』

リーダーシップとは
ビジョンを現実に転換する能力である
( ウォレン・ベニス )

なぜ一部の社会だけが脆(もろ)さを露呈したのか――J・ダイアモンド

2008-04-21 | 04-歴史・文化・社会
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21世紀と文明「『持続可能な社会』を目指して」京都大学教授・植田和弘
  [1] 石油と自動車の時代
  [2] 物質文明の限界
  [3] 歴史からの教訓
  [4] 高いハードル
  [5] 循環技術 カギに
  [6] 定常状態の意味
  [7] 開発と環境保全
  [8] 3つの対話


「『持続可能な社会を目指して」――[3] 歴史からの教訓
【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.04.17日経新聞(朝刊)】

物質文明の行き詰まりを打開する途はあるのだろうか。未知の課題に立ち向かう方法を決める道標は、歴史から学ぶことで得られる教訓であろう。

J・ダイアモンドは比較研究法を用いて環境問題と文明崩壊のかかわりを分析し、『文明崩壊-滅亡と存続の命運をわけるもの』を著した。その副題が示すように、ダイアモンドの問題意識は、過去に、環境の損傷ゆえに崩壊という運命をたどった社会もあれば、たどらなかった社会もあることをふまえ、「なぜ一部の社会だけが脆(もろ)さを露呈したのか、崩壊した社会を他と比べて際だてているものは何か」を明らかにすることにあった。森林破壊の問題が発生しても、その後の森林管理に成功して繁栄をつづけた社会と、有効な管理策を施せず、結果として崩壊した社会があるのはなぜか、と問うのである。

その帰結の違いが生れる原因を、中国文明、イスラム文明、西ヨーロッパ文明など、文明の型に求めることもできる。しかし、ダイアモンドは自然と人間の関わり方にみられる文明の違いに直接還元してしまう議論にはしない。社会が問題を解決できるかどうか、そもそも解決を図ろうとするかどうか、はその社会の持つ政治的、経済的、社会的な制度や、文化的な価値観によって異なると指摘する。

ダイアモンドは過去の崩壊した社会、もしくは存続した社会の具体例をひとつひとつ検証している。イースター島のポリネシア人社会は、徹底的な森林破壊が土壌流出や戦争につながり、最終的には大量の集団死という結末で終わった。アイスランドは脆弱(ぜいじゃく)な環境を克服して、高度の現代的な繁栄を勝ち得た珍しい成功例だと評価する。

豊富な具体例の比較分析に基づくならば、ひとつの社会の崩壊が環境被害というただひとつの原因からもたらされた例はなく、必ず別のいくつかの要因が存在したという。潜在的な要因は、5つの枠組みにまとめられたが、そのうち4つ――環境被害、気候変動、近隣の敵対集団、友好的な取引相手の存在――は、個々の社会によって重要性が高かったり低かったりする。5つ目、環境問題など社会危機への対応力は、どの社会においても重大な要素となるという。

環境と文明は相互に作用しあう。環境問題が不可逆的なダメージを人間社会にもたらすのを回避できる対応力を持った社会こそが、持続可能な社会である。

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