ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

発病から今まで その55

2006-10-29 13:03:50 | 日記・エッセイ・コラム

最近、虐めが原因で自ら、命を絶つ小中学生が多い。確かに虐められている本人は言葉で表せられないほど辛いでしょう。でも、お願いだから自分の命を大事にしてください。ここに、病気や色々な悩みと闘いながら、必死に生きようとしているお兄さんやお姉さん、そして小父さんがいるんだから・・・この声が今、悩んでいる君に届く事を祈って・・・。

さて、ついに風邪を引いてしまったようだ。喉や頭が痛い。発病以来、約5年ぶりに・・・医者から絶対に風邪を引くなと言われていたのに(=_=)熱が脳細胞や身体の細胞を壊すから・・・今服用している薬の種類と量、これ以上他の薬を飲む事は厳しい・・・こうなったら、医女チャングムの教え、緑茶のカテキンで治してやる!依って、本日はチョット横になります。皆さん風邪に気をつけてね。


発病から今まで その54

2006-10-27 18:56:59 | リハビリ

今朝、妻が家族の前で高らかに宣言した『今日は夕方、お客様が来て忙しいのでオウザノギョショウにする』と。言われた家族は『???』妻は『忙しいから文句は言わせません』と言って消えた。そして今、我が家の夕食の食卓には『餃子の王将』の餃子が並んでいる。娘が私に『ママ、疲れてるね』と笑っている。『これって私のせいじゃないよなぁ?』と密かに反省した私であった。

さて、夕方の来訪者は、ご近所の方を介して八月にご主人が不幸にも『脳梗塞』で倒れられた奥様と娘さんが尋ねてこられた。私達の体験を聞きたいと・・・私達は『絶対に良くなると信じて、そして絶対に諦めない!』事が大事と私達の経験を通して精一杯話をさせていただいた。やはり、家族に病人を抱えているもの同士でなければ理解できない悩みが有り、その悩みを話され、また私達の話を聞いて『気持ちがずいぶん楽になりました。』と言われて帰られた。『またいつでも尋ねてください』と私達もお二人を見送った。今私には、私を励ましてくれる家族や友人、そしてブログを通して励ましてくれる方がいる。その恩返しの意味でも少しでもお役に立てればと思った一日であった。


発病から今まで その53

2006-10-26 13:51:53 | リハビリ

今、ニュースで鈴香ちゃんの事をやっている。吸痰を5歳の子が自分で・・・吸痰の経験がある私にはあの苦しさが忘れられない。肺が真空で潰される感じの苦しさと、チューブが気管に触れたときの咳き込む辛さ、思い出しただけでもゾッとする。でも、ニュースを見てておかしいなぁ?と感じている。鈴香ちゃんの吸痰の行為は医療行為なので保育園に看護師を置くわけにいかない。依って鈴香ちゃんの登園を拒否した。でも、山奥の病院は吸痰の必要な患者さんの家族に、数日間のレクチャーで吸引用の真空ポンプを持たせて退院させていたような気がするが・・・訪問看護師の方がするのか、私達の知らない仕組みがあるのかもしれないが・・・

さて、今日は木曜日『地獄のリハビリ』の日だ。何故、地獄か?説明しよう!(宇宙刑事ギャバンみたい。チョット古すぎる?(笑))私は、ご存知のように四肢麻痺から始まって、今少しずつではあるが身体の一部が動かす事が出来つつある。発病が2001年の暮れ、それから4年以上体が動かなかったわけだから、関節も、筋肉も、筋も硬くなっていて関節を支えるじん帯も伸びきってしまっている。それを、約4年間かけて少しずつ元に戻るように努力している。従って関節や筋肉や筋を伸ばしたり、動かしたりする時の痛みは半端ではない。動かす時の音も、じん帯が伸びているために骨が関節にはまる音、筋が溝に入る音、バキッボキッガキッ!と、隣のベットで治療をしている患者さんが思わず起き上がるほどである。(^_^;)たまに、スタッフの方も『大丈夫?』と声を上げるほどである。故に家に帰ってから丸一日、酷いときは2,3日使い物にならなくなる。まさに地獄の木曜日である。でも、自分の為だ、良くなる為だと思って頑張っている。私のために一生懸命メニューを考えてくれているスタッフの皆さんの恩に報いるためにも・・・(疲れが出てくる前に更新を終わらせねば・・・(笑))

大学病院の事も・・・私に処方され投与された薬は、筋肉の硬直を防ぐ筋弛緩剤、神経の緊張をとる精神安定剤、血液をサラサラにする薬、血圧の薬などで、飲用しては血液検査で副作用の結果を確認しながら、薬剤の量を増やして効果を見る。という事の繰り返しを行った。他にMRI、眼底検査、頭に電極をつけて手の親指と人差し指の間に針を刺して電気を流す筋電図等の検査を行った。勿論、リハビリも・・・。


発病から今まで その52

2006-10-23 18:04:41 | 健康・病気

私に対して皆さんからの激励のコメント、メール有り難うございました。頑張ります!私は今、NHKの『チャングムの誓い』にはまってます。(*^^)v韓国に昔、実在した方のドラマなんですが、王宮に仕える医女の話ですが、これがまた凄い!脈診で病気を診断して、食事や漢方、鍼灸などで治してゆくのだが、是非、自分の医務官に・・・などと馬鹿な事を考えている私である。

さて、4年前の大学病院へタイムスリップ。入院した次の朝、4人の先生方が回診に来た。私の手や足を触り、感覚があるかどうか、どの辺まで曲がるかなどを確認した後、今朝から服用するようにと数種類の薬を処方された。昨夜、どの様な薬を使うか会議を開いて処方を決めてくれたらしい。午後からは1階のリハビリ室へ行ってまず、手の関係の作業療法、続いて足の関係の理学療法を行った。作業療法士の女性の先生は、一つずつそれぞれの筋肉の動きや指の役目を説明しながら私の指や腕を動かしていった。ここを動かすためにはこの筋肉を動かす。というように・・・山奥の病院では、例の先生の奥様がピンチヒッターで一回、私の治療をしていただいたとき以来の訓練方法であった。するとどうだろう、少しずつではあるが腕が伸びるようになって来た。一日目にしてこれである。私の持って行った太ももまである装具は、リハビリ科の先生が『こんな重たい装具で歩けるか!』と言って、長靴の大きさに切断してしまった。(^_^;)そして、何と私が夢にまで見た平行棒を使った『歩行訓練』が始まったのである。しかし、簡単にはいかない。考えれば私の病名は『延髄梗塞による四肢麻痺』なんだから・・・でも、山奥の病院とは明らかにリハビリに対する私の気持ちは違った。(山奥の病院は患者さんが多すぎ?たのかも・・・)同じ病室の人から励まされたのも初めての経験だった。山奥の病院では私が、患者さんやご家族の励まし役だったから・・・同室の一人の方は、大手電機メーカーのコンピューター技術者で『ギアンバレー』という、自分の細胞が自分の神経を攻撃して動けなくなるという難病の方。もう一人の方はダンス教室を経営されているダンスの教師の方で『筋硬化症』ということだった・・・。お二人とも幸いな事に快方に向かわれていて、リハビリに専念されていた。


発病から今まで その51

2006-10-22 12:50:26 | 日記・エッセイ・コラム

今日も起きた時に指が動かなくなってるのかと思うほどであった。私はあるお年寄りのブログをたまに覗いてコメントを残しているが、何かしてあげようと思っても言葉で励ます事しかできない自分が悔しい。言葉だけでは伝わらない事もある。相手の表情などを見て、初めてコミュニケーションが成立する。ゆえに誤解も多い・・・。