ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

発病から今まで その26

2006-06-25 15:40:14 | 健康・病気

まいさんお元気そうで安心しました。

さて、病院についた私はストレッチャーのまま病室へと運ばれた。暫くそのまま待っていると、若い医師が二人とその上司と思われる医師が一人、合計三人の医師が病室を訪れ私の身体を触ったり動かせる箇所を聞いた。この間わずか5分間、私はこの後この病院に4ヶ月お世話になるのだが、診察は後にも先にもこの1回だけだった。数日後、担当の若い医師から説明があった。この説明が私には非常にショックであった。病状よりも説明の仕方が・・・医師の説明はこうであった。『貴方はもう自分の足では歩けません』前にも書いたが私の梗塞は延髄梗塞である。『ほらプロレスの技で延髄蹴りってのがあるじゃん、そこに梗塞ができているから・・・』私が『どんなに頑張ってもダメですか?』と聞いたところ『四肢麻痺だからね。無理だね。』更に私が『C市立病院で、ここまで頑張って良くなってこの病院に入れるのは奇跡なんだから、もう一度奇跡を起こしてきなさいと言われてきました。』と告げたところ、『奇跡は何度も起きるモンですかね?』と言われてしまった。後で家族にこの話をした所、入院当日に家族には『入院してる間に良くなるなんて期待しないで下さい。それより退院してからのことを考えてください。』と言われ、ショックで家内と娘は泣きながら家へ帰ったそうである。皆さんはご存知でしょうが、リハビリテーションの和訳には『復活』と言う意味があります。前にも書きましたが、どんなに障害が酷くても、意識障害があっても、本人は勿論、家族の方も必ず『復活するぞ!絶対少しでもよくなるぞ!』と思っているはずです。それを治療に当たる医師から患者の『治そう!絶対復活するんだ!』と言う気持ちを言いすぎかもしれないが奪ってどうするのか?と感じた。数日後、見舞いに来た家内に紙に『絶対歩く!』と書いて枕元に張ってもらった。自分の決意として・・・しかしこれを見た医師は『誰がこれを書いた?』と少々ご立腹のようであった。そんな私を救ってくれたのが、一人の看護師さんの一言であった。おりしも世の中はG/Wでリハビリも長期に無く、他の患者さんも家に帰れる方は『外泊訓練』とかでそれぞれの自宅に帰られ、病院に残っているのは私を含め数人であった。ただ寝てるしかない私を若い看護師さんたちが見かねて、車椅子に乗せて病院の中庭に連れ出してくれた。中庭を散歩している私にナースセンターから大きな声で私の名前を呼んでくれていたのを思い出す。この若い看護師さんたちの元気さと明るさにどれだけ勇気づけられた事か・・・そして散歩をしているときに、車椅子を押してくれていた看護師さんに『先生にもう歩けないって言われた。』とふと漏らしたところ、その看護師さんから『それは医師の言ったことでしょっ!私達はそう医師から言われても歩いた人を何人も見ているから、諦めないで頑張ろうよ』と励まされた。今まで何人もの患者を見てきた看護師さんの一言にどれだけ勇気づけられた事か・・・G/Wが終わって本格的なリハビリが始まった。

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発病から今まで その25

2006-06-10 15:08:50 | 健康・病気

皆さん、お久しぶりです。世間は『サムライブルー』で盛り上がっています。そして我が家も・・・私が山奥のリハビリ病院に入院していたときも、日韓W杯で盛り上がっていたなぁ、あれから早いもので4年がたったのか・・・

そんな訳でやっぱり書くことにしました。C市立病院からリハビリ病院への転院が4月の中旬に決まった。担当だった先生や看護師の皆さんがかわるがわる現れて、私を励ましてくれた。脳外科の先生は『ここまで来れたのが奇跡なのだから、もう一度奇跡を起こしておいで』『修行だと思って頑張っておいで』看護師の皆さんからは『良くなりに行くのだから諦めずに頑張ってきてね』『リハビリでは有名な病院に行くのだから悪くなるはずは無い。』リハビリ科の先生からは『向こうに行ったら、すぐに装具を作ってもらって歩行練習をしてもらいなさい。私の奥さんが勤務しているから、逐次報告させるから』理学療法士の先生には『今まで頑張ってきたものをばねにして頑張ってきなさい。靴も良い物が売っているから、それを履いて頑張って』と色々な方から励ましを受けた。

いよいよ、転院の日、廊下に今まで私の面倒を見てくれた看護師の皆さんが並ぶなか、また玄関には、脳外科、リハビリ科、理学療法士、の先生方、看護師長や非番で休みだった看護師さんもわざわざ見送りに来てくれ、その中、希望と不安に揺れながら山奥の病院へと向かった。約一時間ちょっとでその病院に着いた。が・・・そこに待ち受けていたものは、私が聞かされていた事とは大きくかけ離れていたものだった。

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