ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

発病から今まで その4

2005-12-25 20:32:37 | 健康・病気

今週はリハビリがハードだったので更新が出来なくって・・・

さてさて、個室に移ってから正月休みの間検査できなかった『脳の造影検査』をすることになった。この時に最初の不思議が起こった。なんと造影剤で脳の中の梗塞が飛んでしまったのだ。しかし、残念な事に延髄の梗塞はそのままであった。医師の診断は『延髄梗塞による四肢麻痺』すなわち、両手両足が動かないのである。この時にレーザー光線を利用した音声発生装置や胃に穴を開けての栄養の採り方の話があったのである。まさに私も家族も絶望のどん底に落とされた気持ちであった。


発病から今日まで その3

2005-12-20 18:29:12 | 日記・エッセイ・コラム
ICU_での家族との会話をどうするか、自分の意思をどうしたら伝えられるか?何しろしゃべる事が出来ないのである。
そこで家族に口を呼んでもらい、50音表を作ってもらう事にした所、看護師さんが以前に作ったものを貸してくれた。アイウエオを家族に読みながら指で指してもらい、その文字まで行ったら眼をつぶるといった恐ろしく時間のかかる作業であった。私としてはまず、家族の生活が心配だったので、会社の社内貯金や住宅積み立てから果てはヘソクリまで(今思うともったいない事をしたと悔やんでいる(笑))そして年末ジャンボの隠し場所まで・・・家内に言わせるとこの宝くじの話をした時『こんな話をするんだから、この人は死なない』と思ったそうである。
そして一週間が経ち個室へ移る事が出来、そこから不思議な(私達にとって)病気との戦いが始まったのである。


発病から今まで その2

2005-12-19 14:38:11 | 日記・エッセイ・コラム
ICUで気が付いた時、まず目に入ってきたのは長女が泣きながら私の足をさすっている姿だった。
次に見えたものは、まるで夜店のお面屋の様に釣り下がったおびただしい数の点滴の袋だった。医師から『舌を出して』と言われ舌を出すと、医師は妻にこう言った。『これだけ舌が左に曲がってると、若し話せるようになったとしても相当な言語障害が残るのを覚悟してください』・・・ その言葉が頭に残っていた私は、気道確保のためにプラスチックのチューブ(カニュウレイ?)を挿入する時に舌を出来る限り右に曲げ、チューブを左から挿入してもらいチューブの力で舌が右に曲げるようにしたのを覚えている。
ICUには一週間居たのだが、その間は自分自身恐怖との戦いだった。当然、ICUには他の患者さんも居る訳だが、その内の何人かは残念な事に息を引き取ってゆく方もいる。私は目しか動かない状態だったため、耳から聞こえてくる家族の方の声で判断していたのだが、その度に次は自分の順番ではないか?と死の恐怖に脅えていた。実際、自分の葬式の夢を見て自分が火葬場の炉の中に入ってゆく所を見た。それも耐火煉瓦もくっきりと見えたのだ。
ICUで見た夢は通常では絶対見ないであろう、上下さかさまの夢や上半分だけの夢、球体や三角錐、四角柱だけの夢を見ていた。


発病から今まで

2005-12-18 17:25:59 | 健康・病気
発病は2001年12月30日、身体に力が入らなくなり猛烈な吐き気に襲われて、そのまま救急車で市立病院へ入院、ICUに・・・医師から家族に『一週間が山』と言われ、気が付いたときは目しか動かない身体になっていた。
家族には医師から『今まで自分が診た患者の中で一番重症であり、若し一命を取り留めても胃に穴を開けて栄養を採り目の上にレーザー光線の発信機をつけて、音声に変換して会話をするようになる。』と宣告された。
そこから、私のリハビリ生活が始まった。