ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

『相棒』と『絆』

2008-03-27 21:48:16 | つぶやき

TVドラマ『相棒Season5』が終わった。我が家は全員このドラマのファンである。水谷豊の杉下警部と寺脇康文の亀山刑事の『特命係』のコンビが絶妙である。このドラマが始まったころのSeason1での杉下警部のセリフが忘れられない。岸部一徳が演ずる警察庁官房長とのやり取り。官房長が『捜査には、限界がある。もう、この辺で止めておけ』と言うと、杉下警部が『捜査に限界などありません!もしあるとしたら、それは捜査を諦めた時です。』と言うセリフである。何か自分のしていること、考え方に通じるな。と思って、いまでも心に残っている。話は変わるが、最近、読んだ本に『そうだ葉っぱを売ろう!』(横石知二著)がある。内容は、徳島の山あいの町が「葉っぱを売って2億円を稼ぐおばちゃんたち」と脚光を浴びている。和食に添えられるナンテンやモミジの葉を農家が栽培し流通させる新市場を開拓したのだ。今では町の人口より多くの視察者が訪れる。そこでは、ファックス、携帯電話、パソコンを駆使して注目の事業を営む年配者の姿を見ることが出来る。ビジネスには企業秘密がつきもの。が、ここでは完全公開。仕組みをまねされても、絶対に負けない自信がある。それは『人と人との強い絆があるから』だと書かれていた。いま、どこでも過疎の町は産業や仕事がない。経済基盤も弱い。事実、この町も寒波の襲来で主力産品のミカンがだめになって生活が立ち行かなくなった。その”どん底”で悩みぬいた一人が、すし店で見つけた新規事業。愚痴をこぼしあうだけの人間関係から、目標を掲げ、皆で幾度も共に困難を乗り越えて、共に生きる絆が出来上がったという。『環境で、心の大きさは変わらない。心は、いくらでも広げてゆける。心は、どちらの方向にも行ける。』は偉人の言葉。環境が悪いと嘆くのか、環境を変えようと動くのかで、おのずと結果は違ってくると思う。私が勝手に思い込んでいるのか分からないが(笑)このブログを通じて、いい『相棒』に巡り合い、とても素敵な『絆』を結べたと思っています。私もリハビリ生活を続けていると、自分の境遇を嘆いたり、人の言葉に傷ついたり、時には怒り、時には涙し、時には悔しくて唇をかむ時があります。でも、今、その全てをパワーに変えて、諦めずに前に向かって進めるのも、この『相棒との絆』があるからだと思っています。感謝!

尚、本日の『木リハ』は最悪でした。(涙) また来週を目指して頑張ります。


それでも私は負けない。

2008-03-20 17:25:37 | 健康・病気

今日は木曜日。本来なら『木曜リハ』の日ですが、今日は春分の日でお休み。でも、今週の土曜日に、スタッフの方がわざわざ出勤してリハビリをしてくれる。本当に感謝しています。という事で今日は、先日、友人からいただいた『それでも私は負けない』という二人の方の闘病記を私のブログを読んで頂いている、どなたかのお役に立てればと思い、抜粋ですが紹介しようと思います。私もこの闘病記を読んで勇気と可能性を感じ、さらに頑張ろうという気持ちになりました。

①【4期の進行がんと戦う(女性)】==「早期がん」に対して、「進行がん」という言葉がある。臓器の種類によって定義は異なるが、他の臓器やリンパ節にまで転移していたり、治癒不可能、もしくは余命が限られているがんのことである。なかでも、4期の進行がんとなると、手術も困難であり、治癒は難しいといわれている。==私は今まで病気ひとつしたことがありませんでしたが、平成7年、食べてもすぐに嘔吐するようになり、病院での検査の結果、医師から告知されました。『残念ですが、胆のうの進行がんの4期です。もって3ヶ月でしょう』と。頭の中が真っ白になりました。医師が言うには、がんが周囲の臓器まで広がっており、完全にがんを摘出できないとのことでした。それでも1週間後『可能な限り、摘出しよう』とのことで手術をし、胃と十二指腸、胆のう、小腸を全摘し、肝臓と大腸を半分、摘出しました。術後、息子は執刀医から念を押されました。『指触で、がんだと思えるものは全部とりました。でも必ず転移しますので、その時にまた相談しましょう。これまでの経験からいって、これほどの状態で助かった例はありませんから』と。ショックのあまり、65キロあった体重は35キロまでに落ちていました。退院してからも『必ず転移しますから』との医師の言葉が頭から離れず、不安と恐怖に打ちのめされて『どうか死ぬときは、苦しまずに逝きたい。』と思う私がいました。そんな気持ちを変えてくれたのが兄の言葉でした。『いいか、がんなんかに負けちゃだめだぞ。病気にはな、まず、心が勝たなきゃだめなんだ。』兄の言葉には説得力がありました。というのも兄自身、45歳の時、直腸がんになり、術後30年以上もたった今も元気だったからです。『私だけが乗り越えられないはずがない、こんなことで負けたりするもんですか』打ちひしがれていた私の心が、ようやく前を向き始めました。それから私はひとつのことに挑戦し始めました。それは『掃除』です。『いつまであるか分からない命を、今まで世話になった地域の人のために。』と思ったからです。息子も『いい運動になるし、地域の人にも喜んでもらえる』と賛成してくれました。それからというもの、毎朝5時に起床し、家の前の公園の落ち葉の掃除を始めたのです。そんな行動が地域の人の目にとまり、いつしか子供たちからも『掃除のおばさん』と親しまれるようになり、皆さんに喜んでもらえることが、うれしくてたまらなくなりました。区から感謝状も頂き、それがまた、大きな喜びになり、生きがいとなりました。でも人間ですから、心が揺れ動く日もありました。心が弱ってくると『必ず転移します』との医師の言葉が浮かんで来るのです。でもそんな時は『転移なんてさせてたまるもんですか!』と弱い心を叩き潰すように頑張ってきました。そのあいだ、病院ではがんの転移を警戒し、半年に一度、MRI、CTなど、それこそ頭のてっぺんからつま先まで、丹念にがんの検診を続けてきました。しかし、何回検診を行っても、転移は見られませんでした。退院から12年がたった時、医師はこういいました。『どうして転移しないのか分からない。やはり、おばあちゃんの生きようとする力が勝ったということでしょうね。』といった。==「進行がん」はイコール「死」ではない。「4期」だからといって、それもまたイコール「死」ではない。人間には、医療の常識を覆す、秘めた力が備わっているのでる。

②【血液がんと戦う(男性)】==血液のがんと呼ばれる「悪性リンパ腫」。このがんは手術が出来ない。基本的な治療法は二つ。化学療法と放射線療法である。いったん、「寛解」となっても、身体のどこかに悪性リンパ腫が残っている場合があり、再発を繰り返すことでも知られている。==それは2度目の再発の時でした。2003年6月。悪性リンパ腫が再発し、太もも、両腕、おなかなど、6箇所で悪性腫瘍が見つかりました。危険な状態でした。骨に転移した腫瘍は、放射線治療で撃退しましたが、おなかに出来た腫瘍は、効果的な治療法は見つからず、残された道は骨髄移植ただひとつ。しかし、適合した5人のドナーの方々の協力は得られず、唯一の生きる道も閉ざされてしまいました。その後は、がんを叩くための強力な抗がん剤の投与が始まりましたが、だんだんと治療効果も薄くなり、2003年10月、激しい副作用で、食事も出来ず、声も出せず、目も開かず、そしてついに、意識が混濁状態になり、医師は最後の日が近いことを妻に告げました。そんな時に見舞いに来てくれた友人の『がんに勝つためには、それに打ち勝つぐらい、命がけで強い気持ちを持たなきゃあかんよ』と耳元で激励をしてくれました。それから私は、必死になって生きることに執念を燃やし始めました。そして、万事休すの状態に陥った時、第4の治療法といわれる『免疫療法』に巡り合ったのです。『免疫療法』というのは、自分の血液中のTリンパ球を強化・増強し、再び体内に戻して、がんに打ち勝てるようにするのです。しかし当時、この方法はまだ臨床実験の段階でした。とうぜん、医師は渋りましたが、最後にはわずかな可能性にかけて踏み切ることにしました。2003年12月、1回目の免疫療法を受けました。これが功を奏して、腫瘍マーカーの数値が下がったのです。しかし、残酷にも医師は妻に告げました。『誤解のないように言っておきますが、免疫療法でがんを治癒することは出来ません。一時的にがんを抑える事は出来ますが、効果が持続するのは2週間ほどです。』と。体調が少しよくなった私の姿を見て妻は、私に学生によるベートーベンの『第9』の演奏会に参加しようといってきました。その合唱に、娘が参加することになっていたからです。車椅子と鎮痛剤を持っていく事と、容体が悪化したらすぐに病院に戻ることを条件に、病院の許可が出ました。演奏が始まり、じっと聴いていたその時、苦悩を突き抜け、無限の歓喜を表現したこの曲のように、激しくも、繊細な音律が私の心にビンビン響き、止まりかけていた心臓が突然、動き出したような、打ち震えるような感動が五体を貫いていったのです。『私は今、生きている』涙がとめどなくあふれてきました。病気に押しつぶされそうな弱い心、逃げ出したい心は吹き飛び、病気に立ち向かっていこうとする『戦う心』が湧き上がってきたのです。私自身、生まれ変わったのではないかと思えるほどの感動でした。その後、再び病院に戻りました。すると不思議なことが起きました。検査の結果、がん細胞が抑えられ、生死の境から蘇生し、まさに劇的な『寛解』となったのです。『うちの治療が効いたとは思えない。まさに奇跡です』と医師も驚いていました。そして、2004年1月、雲ひとつない、澄み切った青空のもと、私は元気に退院することが出来ました。
==副作用の激しい化学療法と放射線治療、また手術と違って、身体に負担の少ない第4の療法として注目されているのが『免疫療法』である。これは自分の血液中にある、Tリンパ球を体外で培養しながら活性化させ、それを再び体内に戻すのである。本来、自分の身体の中にある免疫細胞を活性化させることで、がん細胞に対する攻撃力を高めようとする治療方法である。病気になるのも、直すのも、結局は自分なのである。


仲人の落とし扇

2008-03-17 19:11:31 | 健康・病気

私のところへ毎月一回、二人の壮年の方が訪ねてきてくれる。75歳と70歳の老人会の会長をされてる方で、人生の大先輩です。私はまだ『老人会』に混ぜて貰うにはまだまだ早いのですが、我が家のPCで名簿を管理してる関係で・・・。(笑)その一人の方が、数年前に身体がまるっきり動かなくなるという『難病』に罹り、それを物凄い、まさに血を吐くような努力をされ克服された経験を持っている。その方が我が家を訪れるたびに、自分の体験を交えながら私を励ましてくれる。その方がこの様な事を言っていた。『現実に病気はある。ぱっとなくなるわけではない。でも病気ごときに、自分の人生を邪魔されてたまるか!病気よ、そこをどけ!邪魔をするな!って心で叫びながら病気と闘ったよ!最初は病気を恨み、病気に罹った自分の人生をうらんだ。なぜ俺だけって。でも今思うと、人生に失敗や苦難はある。でもそれが無い事が幸せではなく、それを克服する勇気を持つことこそ、自分の人生にとって真の幸せなんじゃないか?って思ってる。だから、今の自分の置かれている状況を嘆くことなく、頑張るんだよ!少しぐらい問題を抱えてるほうが真実を見て、感じることが出来るんだ。』と励ましてくれるのである。実際の体験に基づいた話であるから、重みもあるし、勇気づけられる。そんな話を聞いていて、昔の大阪の言葉に『仲人の落とし扇』というものがあったことを思い出した。結納や婚礼が滞りなく進行している時に、仲人が扇を落としてしまう。世間的には扇は『末広がり』『縁起がいい』ことの象徴だ。それを仲人が落とす。迷信深い人ならば『縁起でもない』となってしまうところだが、この言葉が意味するところは違う。そのぐらいの『失敗』は、むしろプラスというのだ。全てが完璧、何の欠点もない、などということは、あまりあることではない。もしあったとしても慢心や油断を生み、敗北の原因となるかもしれない。また、少し欠点があった方が、価値が高まる場合がある。そのような教訓がこもった言葉だ。大先輩の話を聞きながら、やはり、大病を克服するためには、こちらもそれなりの心構えを持って望まなければならないし、泣き言を並べても一歩も前には進まない。たとえ今は辛くとも、この山を登りきらなければと、改めて感じた一日であった。


42.195km

2008-03-13 18:56:54 | リハビリ

今日は『木曜リハ』。今日のニューステップは新記録の134歩・・・。実は以前、ブログで紹介した『スーパー1800』を四日前くらいから復活したのだ。そう!オークションで1800円で落札した、自転車のペダル部分だけがモーターで動くやつです。それのペダルにゴム製のベルトで括り付けて、毎晩15分間。正直言って今、私の太ももはパンパンである。でも、終わった後は力をそんなに入れなくても膝が持ち上がるのです。今日は辛いからと、止めようと思う日がありましたが『継続は力なり!』『絶対に諦めない!』とブログにも書いてきたこともあり、諦めずに続けました。たった四日間ですけれど・・・。(笑)でも、その結果がもう出ました!。この裏にはもうひとつ、『俺ももっと頑張らなくては』と思うことがあったのです。それは、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、先日のニュースでの幼稚園児の頑張りを見たからです。なんと幼稚園児で大人も難しい42.195kmを走るというのです。その幼稚園は、数字は定かではありませんが、毎朝、一周350mの園庭を10周、園長先生を先頭に走っているそうです。マラソン当日も早い子で5時間台、遅い子でも8時間、全員が完走を果たしました。園長先生いわく『毎日走っているから』とは言うものの園児達にはかなりきついはず。でも、全員が完走したという事実を見ると、やはり『継続は力なり』である。そのニュースを見てから、自主トレでめげそうになると、園児たちの走る姿を思い出して頑張ってる。『チビちゃん達!オジサンも頑張ってるよ!』。


常識と現実

2008-03-08 17:58:43 | リハビリ

ある記事を読んでいて、山奥の病院のことを思い出した。それは、私が医師から『もう、自分の足では歩けないから・・・。』と宣告され落ち込んでいる時に、看護師さんが車椅子に乗せて中庭に散歩に連れ出してくれた時の事。私が医師から歩けないと告げられたというと、その看護師さんがこう言った。『それはあくまでも医師の見解。私たちはそう言われた人が歩けるようになったのを何人も見ているから・・・。』  その記事の中に、【世の中には、常識を打ち破る現実がある。『こうなるはず』という思い込みが砕かれることがある。これまでの『常識』は案外当てにならない】という事を書いてあったので紹介します。

自然科学で近年、今までの常識を覆す報告が続いた。一昨年の秋、世界の屋根・ヒマラヤ山脈が、モンスーン(季節風)のために隆起することが分かってきた。季節風に乗って雨が降り、山脈の岩石が削られる。削られると山は低くなりそうだが、逆に、地下深くに抑えられていた岩石が押し出されて高くなるという。今年、ハワイの地下深く、何千万年も位置を変えずに溶岩を供給してきた『ホットスポット』が、実は動いていることが分かってきた。動かないことを前提に理論を積み上げてきた研究者に、大きな衝撃が走った。『前提』は、あくまで仮説。鵜呑みにしてはいけない。人生もまた同じである。思い込みにとらわれるのではなく、現実に根ざし、それを、どう変えていくかであろう。強い意志を持って立ち向かう時、自身の未来は大きく開けていくのではないか。『これは絶対無理』という思い込みを勝手にしてはいないだろうか。

この記事を読んだ時に、あの時、医師の言葉を素直に受け入れていたら・・・。あの時、看護師さんが散歩に誘ってくれなかったら、今の私はなかったと思う。だって、不可能と言われた例え摑まっていても、自分の足で立つことが出来、歩行練習が出来るようになっているのだから・・・。人生のターニングポイントは思わぬところにあり、それに気がつくためには『絶対無理・絶対駄目』というような、全ての可能性を否定するような考えを捨てる事だと、今、感じている。