ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

頑張っちゃ駄目ですか?

2009-06-30 15:57:40 | 健康・病気

私のブログにコメントを投稿していただいている方はご存知かとは思いますが、いまコメントを投稿していただいてもすぐに反映されず、一度、私が内容を読んで承諾しないと反映されないようにさせていただいています。 その原因は最近、また『どうして頑張る、頑張っても無駄。』『いつも感謝と書いてあるけれど、本当に感謝してる?』『みんなに迷惑をかけてまで旅行に行って・・・』等々のコメントが入り始めました。それも、携帯を使って・・・。大体の見当はついていますが、せっかく私のブログを読んでくださり、コメントしてくださる方に不愉快な気持ちを与えては・・・と思い、このような措置を取らさせていただいています。私は常に『感謝の気持ちをベースに、絶対に諦めずに頑張る。』を信条として、復活を目指して皆さんに支えられながら頑張っています。だから、どんなに誹謗しようが中傷しようが、このブログを閉鎖したり、リハビリを止めたり、頑張るのを諦めたりしない事を改めて宣言しておきます。

懲りずに続けられるなら、実名を公表します。


薬が減りました。

2009-06-25 14:48:07 | 健康・病気

今日は『木曜リハ』。凾館旅行の疲れが今頃出てきて 診察の時に医院長先生に『函館に行ってきました。』と伝えると、一瞬『エッ!』というような顔をされて『何もなかったからいいけれど、何かが起きた時が・・』と注意されてしまった。 でも『今度は娘さんの所へ行かなければならないのだから、それを目標に頑張らなきゃね』といっていただいた。 そして、約一ヶ月前に『リオレサール』という薬を一日、朝昼夜の三錠から朝夜の二錠にしましたが、今回、先生から『朝だけの一錠にしてみようか?』との提案があり、私も『トライしてみます』とこたえました。駄目なら元に戻せばいいことだし・・・。 薬を減らすのは勇気がいることだし、正直いって不安もあるけれど、何かに挑戦してゆかなければ前には進まないから・・・。起こる事は全て良い方向に考えよう。


♪は~るばる行ったぜ、函館へ

2009-06-22 15:09:14 | インポート

20・21日で函館に行ってきました。 ちょっと無理かな?と思いましたが、去年、長女夫婦の結婚式に二人からプレゼントされた旅行券が有ったのですが、今回、長女夫婦がアメリカに転勤になり、長女が勤めていた旅行会社を辞めるのでこの際、旅行券を使って出かけようか?ということになりました。『父の日』も兼ねて・・・。 何故『函館』?ということですが、私が無類の飛行機好きで『飛行機が見たい』と娘に言ったところ『どうせだったら飛行機に乗っちゃえば・・・』という事と、奥さんの好物が『ウニ』という事、そして私が大ファンの北島三郎記念館があるという事、五稜郭を一度見て見たいというのが『函館』に決まった理由でした。 皆さんの中には行かれた方もいらっしゃるでしょうが、写真を撮ってきましたのでごらんください。m(__)m (画像は全てクリックすれば大きくなります。)

Photo 羽田空港です。 久しぶりの飛行機に興奮して、娘と奥さんに笑われました。

Photo_2 『五稜郭タワー』です。高さ98mで、展望台は90mの高さにあります。この日は『雨男』の本領を発揮し、あいにくの曇り空でした。

Photo_3『五稜郭』です。今年は凾館開港150周年に当たり、色々なイベントが企画されていたようです。真ん中の大きなテントの中では『凾館奉行所』の復元工事が行われています。 五稜郭は1853年の黒船の来航に対して幕府の命令により、武田斐三郎の設計により建設され、どの方向からの攻撃に死角の無い『五角形』の形をしており、日本で最初の西洋型のお城で『土方歳三』終焉の地としても有名です。

Photo_4 五稜郭タワーからの『凾館山』です。残念ながら頂上は雲の中です。向かって左側の小さな丘が演歌に良く歌われる『立待ち岬』です。

Photo_5 TBSの『ピッタンコカンカン』で紹介された『ラッキーピエロ』というハンバーガー屋さんですが、カレーなんかも有り、店には石塚さんと安住アナウンサーの写真が飾っておりました。味は美味しかったですよ。

Photo_6 これもガイドブックで有名なハセガワストア(通称:ハセスト)の『焼き鳥弁当』。焼き鳥なのに何故か豚肉で、普通のタレと塩ダレの二味があり、焼き鳥と海苔とご飯の味のマッチが最高でした。

Photo_7 ホテルのすぐ近くにある、凾館名物『朝市』です。出かけた時間が早すぎて、まだ準備しているお店もありました。(早いといっても、6時過ぎなんだけれど・・・

Photo_8 『ウニ』です ウニ好きの奥さんは500円のウニを『試食』と称して、タダで食べていました。恐るべし『主婦パワー』

Photo_9 朝市からホテルに出前できる『朝食』です。

Photo_10 奥さんと娘が頼んだ『海鮮丼』です。イクラ・甘えび・イカ・ウニ・カニが載っています。

Photo_12 私の頼んだ『ホッケ定食』です。ホッケの他・タラコ・昆布・イカの明太子和え・卵焼き・ホッキ貝・マグロ、イカ、甘えびの刺し身・カニの酢の物・アスパラでした。ホッケは脂がのっていて肉厚で美味しかったですよ。

Photo_13 『北島三郎記念館』の入り口です。中ではガイドの若い女性がついてくれて、北島三郎大先生(笑)の生い立ちから結婚、デビューまでの苦労話を情感たっぷりに語ってくれて、ご年配の方ならついホロリとなりそうな素晴らしい語りでした。

この記念館は、数年前まで『GLAY』の記念館だったそうで・・・

Photo_14 北島三郎先生は『書』も達者で、直筆の書が飾ってありました。

『風吹かば吹け 雨降らば降れ 怒涛の如く生きたれば 我が人生に悔いはなし』

と書いてあります。

Photo_15 北島三郎記念館の入場料は1500円ですが、最後の『祭り』のステージを見るだけでも価値があるかも・・・。(私だけかも)口の動きやフリまで北島三郎先生にそっくりな人形が出てきて、ド迫力な舞台を繰り広げます。

Photo_21 似てるでしょ?

Photo_22 『チヤーミーグリーンの坂』です。昔、台所洗剤『チヤーミーグリーン』のCMで使われた坂道です。ほら、老夫婦が手をつないで・・・。

今では立派な観光地になっています。

Photo_17 小樽と並んで有名な倉庫街、『金森倉庫』です。今では、ビアホールやレストラン・ショッピングモールになっています。

Photo_18 金森倉庫の中で出会った『石にされたバイキンマン』です。

Photo_19 町のいたるところで見かけた北海道らしい『モーモータクシー』です。可愛い牛柄です。運転手さんは普通の制服でした。(笑)

Photo_20 レトロ感覚溢れる『路面電車』です。

Photo_23 『帰りの機内から』梅雨空の中、帰ってきたので地上は見えず羽田は梅雨らしい雨でした。

今回の旅行で、大変沢山の方たちにお世話になりました。まずは、奥さんに長女・・・感謝です。そして、JALのグランドクルーをはじめCAの方々。観光地の案内の方々。そして車椅子の私の為に道を譲ってくださった方々。この方々の御協力や親切が無ければ、今回の私の『凾館旅行』は実現しなかったと思う。みなさんに感謝です。

そして余談。凾館の道は何故あのように悪い(雪の影響?)レンタカーのカーナビは何故性能が悪い。(いまどき、車のスピードについて来れないカーナビがある?)このために何度もユーターンしなければならなかった。

とはいえ、無事、凾館旅行は終わりました。次の旅行はなるべく皆さんに迷惑をかけないで済む様に、リハビリに頑張らねばと思います。


大好物!!!

2009-06-13 12:26:27 | ブログ

P1000062 私の大好物・・・『たい焼き』ではなく小倉餡。いわゆる『つぶ餡』です。 そんなか、皆さんに紹介したいのが、多分チェーン店なんでしょうけれども『大阪焼きの三太』のたい焼きです。平面図はちょっとメタボのたい焼きですが、側面図は深海から引き上げられた魚のよう。 分解図は御覧の通りのアンコの量です。 さすがの私も一回では食べれず、二回に分けて食べています。意外とアンコもあっさりしていますよ。ダイエット中の私には月一回、出会えることになってます。(笑)

※画像はクリックで大きく表示されます。

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舞・・・。

2009-06-09 14:47:23 | 健康・病気

Kf8_1_2 いやぁ~この天気にはついてゆけません。 さすがの(?)私もつい泣き言がでます。 先週の木曜リハが終わった後も毎日、自主トレを続けてはいるのですが・・・。

毎日、萎える気持ちを奮い立てようとするのですが中々。そんな中、奥さんが読んでいた本の中に『舞』について書いてあったこと・・・。『舞には励ますという意味がある』と書いてあった。そういえば『士気を鼓舞する』という言葉もあるし、戦国の時代劇を見るとよく戦の前に舞を舞ってる場面が出てくる・・・。そういえば、うちの奥さんは『地唄舞』の師範です。ひとつ舞ってもらおうかなぁ 奥さんは幼稚園から日本舞踊を習い始めました。私がこの病気で倒れるまでは月に一回、大阪までお稽古に通っていたが、私が倒れてからは私の看病や面倒を見なければならず、それも儘ならなくなってしまった。最近は、たまに老人会の方に頼まれて披露する程度になっている。私にとって、奥さんの好きな事に制限をかけてしまうことがいつも気になっていたし、反面『早く良くなって、また好きな日本舞踊を・・・』ということが頑張る原動力にもなっていました。最近は、お互いに心にゆとりが出てきた事もあって、彼女は『習字』や『二胡』を習いに出かけられるようになりました。奥さんにとっても息抜きになるし、それを見ている私の気持ちも少し楽になったように思います。この事が私の病気の回復の力になってくれることを願っています。

※写真は奥さんが『鐘が岬』を舞った時のものです。(画像はクリックすると拡大されます。)