皆さん、大変ご無沙汰をいたしました。
実は、私、13日より28日まで入院をしておりました。
病名は「蜂窩織炎」(ほうかしきえん)・・・最初、先生から診断書を頂いたとき、なんて読むのか判らない初めて聞く病名でした。(汗)簡単に言えば、傷口から細菌が侵入して体の中に膿疱を作り、酷くなると命にも影響が出るという怖い病気だそうです。
実は12日の日曜日の午前中に、ちょっと寒気を感じ検温してみたところ、37.8℃でした。たまたま、家内の実家のお母さんの具合が悪く、奥さんと娘は実家に・・・。私はパソコンに向かっていたのですが、そのうち丁度、あぶられたスルメの様に勝手に身体がよじれるようになってきて、パソコンどころではなくなり、家内たちに急いで帰ってもらい検温をしたところ、39、7℃ すぐに市立病院の休日緊急外来の受診に・・・。
病院で、血液検査や尿検査レントゲンなどの検査をした結果「白血球の数値が高いので、どこかが炎症を起こしている可能性があるので、明日一番でまず皮膚科の受診を」という事でした。次の日、皮膚科で受診をしたところ、それらしき場所はなく、総合内科での受診を勧められました。最後に先生から「他に気になるところは?」と聞かれたので、家内が私の靴下を脱がせたところ、先生から「ここだな、すぐに血液検査をしてください」と言われ、採決室へ。血液検査の結果が出る歩を待ち再度、皮膚科に行くと先生が「非常に悪い結果です。すぐに入院の手続きをします」との事でした。
私が「出来れば入院は避けたいのですが・・・」と言うと、先生が「何故ですか?」と聞くので「リハビリが・・・」と言うと「このままほおっておくと、二度とリハビリが出来なくなりますよ!」と言われ、おとなしく入院をしました。 でも、先生が気を遣ってくださり、リハビリ科に指示書を出してくださって、リハビリを続けられるようにしていただきました。
入院した市立病院は、竹〇内豊、上〇彩さんの主演のTVドラマのロケに使われた病院で、それよりも、10年半前に私がこの病気を発病した時にお世話になった病院で、入院手続きをして病室に移動した時に、IDバンドを持ってきてくれた看護師さんが、このブログにも登場した、私が山奥の病院に転院する時に、「今まで出来ていたことが出来ない訳がないから、顔晴っておいで・・・」と声をかけてくれた男性看護師さんで、「随分元気になったねぇ・・・」と感慨深げに言われて、私も当時を思い出して胸が熱くなりました。その他にもたくさんの懐かしい方々に出会う事が出来て、お世話になったリハビリのPTの先生からも「曲がる様になったじゃない。」と言われました。何しろ10年半前は、緊張が強くて棒のようでしたから・・・(汗)
治療は、朝と夜の二回の抗生剤の点滴と、患部を氷で冷やしながら絶対安静を続け、血液検査の数値の変化を見る・・・と言うもので、炎症反応は順調に下がったのですが、白血球の数値がばらついて、都合、16日間の入院でした。
今回の入院で感じたこと。
看護師さんが男女とも若いけれど、まずよく動く、マンパワーの不足をベテランの看護師の方や看護補助の方とのチームワークで乗り切っていたこと。皆さん元気がよく明るく、そして辛抱強く患者と接していたことに、とても好感が持てました。でも市立とはいえ、かなりなハードワークだなぁと感じました。今日、日勤を済ませた看護師さんが、次の日の夜勤という様なシフト・・・。あるベテラン看護師さんの言葉が今も心に残っています。
私がその看護師さんに「夜勤は何人でするんですか?」と聞いたところ「3人ですよ」との答え、私が「大変ですねぇ」と言うと、看護師さんが呟くように「マンパワーが不足してるんです。別に自分たちが楽をしようという事ではなく、患者さんに思う様なケアをしてあげられなくて・・・」と言う内容でした。何とかなりませんかね、市長さん
今回の入院は、身体が動けば読書や勉強(?)の良い機会だったのですが、残念ながら自由に動けないので、得意な人間ウォッチャーを・・・。
4人部屋で、サンプル数が3なので、これで結論付けるのは、いささか乱暴ですが・・・。
①ご老人は、昼間も良く眠る、そして夜も良く眠る。いま食事をしていたかと思う間もなく、いびきが聞こえ始め、その寝つきの良さに驚いた。
②ご老人のいびきは、とにかくでかい。いくら「湘南爆走族」の舞台とはいえ、その轟音は暴走族に匹敵しました。
③ご老人は、よくオナラをする。それも豪快な奴を 特に朝の一発は、「号砲一発」というか、エンジン始動という様な、思わず「ドキッ」とするような、豪快な一発で、幸いなことに無臭だったので助かりました。(笑)
今回の入院でつくずく感じたことは、前にブログに書きましたが「病気の数は星の数ほどあるけれど、健康な体は一つだけしかない」と改めて感じた事と、毎日健康で元気に生活できるという事は、とても幸せであるとともに、毎日ナイアガラの滝にロープを張って、綱渡りをしているようなものだと感じました。
最後に、今回の入院に際して、お世話になった皮膚科の先生を始め、PTの先生、そして何よりも私の看護にあたっていただいた、看護師・看護補助の方々に心から感謝申し上げて、ぶうちゃんの入院日記の巻を終わります。