ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

今週のリハビリ・・・人の命

2019-05-18 13:33:14 | リハビリ


画像は、箱根の「山のホテル」からお借りしました。まさに富士山の美しさを際立たせているのか、富士山が山のホテルの庭を際立たせているのか・・・素晴らしい景色ですね。私も元気な頃、この季節になると良く行ったものです。

今週の日曜日に、SNSでお友達になった難病と闘う方がご夫妻で我が家を訪ねて来てくれました。お互いの病気の状態や私の今までの体験や、奥さん同士は奥さん同士でなければ分からない話を・・・とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。

今朝、友人からLINEが届き、珍しいなぁと思いながらLINEを開くと、そこには私と同じ様な病気と闘っていた、私の先輩の奥様の訃報が・・・。とても笑顔がステキな奥様でした。この方には私や家内を始め、沢山の方がお世話になり訃報に接し、大勢の方が悲しんでいられると思いますが、葬儀はご家族でという事なので私達は自宅でご冥福を祈ろうと思います。

最近は「家族葬」という形が多いのも時代を映しているのでしょうか。亡くなる方の平均寿命も延びて、お友達も自然と少なくなってきたり・・・。お世話になった方の今世の最後の晴れ姿、立派に生き切った方を、盛大に送り出したい気持ちも込めて・・・合掌

色々とあった今週でしたが、リハビリはいつも通りに顔晴りました。

月曜日は、マザー湘南のいつもの明るい看護師さんのリハビリでした。今週も色々と話をしながら、下肢のストレッチや上肢、特に胸肉が延びる様に上肢のストレッチをして、次にうつ伏せにしての下肢の折り曲げや鼠頸部の伸ばしなど、丁寧にストレッチをして貰いました。歩行練習もいつもの様に、歩行器を使って直線を往復しました。


火曜日は、ムーブメントプロ円蔵へ。この日は明け方から雷を伴った激しい雨の中、ムーブメントプロ円蔵へ。「きっと何人かお休みがいるんだろうな」と思っていましたが、さすがのリハビラー!一人の欠席者もいませんでした。リハビリのメニューは、この日もレッドコードを使ってのグループ体操の後に、レッドコードで全身を吊りあげて貰って身体の緊張を取ってからの歩行練習でした。管理者の先生と歩行練習をしましたが、火曜日は身体の余計な力が上手く抜けて、姿勢よく体重移動もうまく出来て、足も突っ張らずに上手く膝の力が抜けてスムーズに出る事が多く、5往復、100m近くの歩行練習が出来ました。


水曜日は、マザー湘南の私の主担当の看護師さんのリハビリでした。リハビリはいつものフルメニューをして貰いました。いつもの様に下肢上肢のストレッチから始まり、「伊達巻ストレッチ」などいつものメニューを一生懸命の取り組んでくれました。寝返りの訓練をしてから立位の訓練、今週も足先にマットを積み重ねて、ふくらはぎを伸ばしながらの立位の訓練でしたが、今週も痙性が起きませんでした。その後、一周コースの歩行練習をしましたが、先週は半周を過ぎたところで膝の力が抜けて、立ちなおすことが出来ずにギブアップだったので、今週は「気力と根性」一周の歩行練習をこなしましたが、息も絶え絶えでした。 やはり体力、脚力そして気力をもっと付けなくてはと痛感しました。


木曜日はムーブメントプロ円蔵へ。この日はムーブメントプロ茅ケ崎の「くま先生」も顔を出してくれました。リハビリのメニューは、この日もレッドコードを使ってのグループ体操の後に、レッドコードで全身を吊りあげて貰って身体の緊張を取ってからの歩行練習でした。管理者の先生と歩行練習をしましたが、この日は足に若干の疲れが出たのか、火曜日の様なスムーズな歩行練習とはいかず、途中で軽い痙性も出始めたので、4往復の約80mで終了となり、レッドコードを使っての上肢を開く訓練をやりました。


金曜日はマザー湘南の癒しの看護師さんのストレッチと、マッサージをして貰いましたが、本当に一週間のリハビリでの疲れが遠のいていくようでした。




色々とお世話になった逝く貴女に感謝 また会いましょう。

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1 コメント

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Unknown (🚲チャリンコナース)
2019-05-19 16:23:23
こんにちわ😃お久しぶりです
母が亡くなり今日で49日たちました

今日まであっという間でした
と、いうのも、私は訪問看護と療養通所の仕事をしながら自宅療養の母を看取りました。
日曜日の夜8時半頃、家族皆でテレビを見ながら団らん中に急に目を閉じて呼吸が止まり、心臓も鼓動しなくなりました。
お母さんと呼んでも、目を開けてはくれませんでした。

自分が看護師だなぁと思ったのは、こんなときにも聴診器を当て、心臓の音を聞き、目にペンライトを当て瞳孔を確認してしまった時。

それからは自宅で、直葬。お世話してくれた看護師さんや、介護士さんたちがお悔やみに訪ねてくれました。
亡くなって3日後、住み慣れた我が家からあの世に送り出しました。

大好きな仕事を続けながら看とり、そして、また、仕事に生かすべく勤務しています。世の中で療養されている方々と同じような立場になり、気づいたこと、感じたこと、苦しかったこと、しんどかったこと、焦ったこと、不安なこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、沢山味わいました。
自分が自分らしく「生きる」ためにもがきました。
寝ているしかない母の人生の最期…。
これでいい?よかった?と何度も聞きました。
「いい」
何か言うことある?って聞くと「ないよ。」
あるでしょ?
「ありがとう」
それだけ?
「やりたいことはみんなやった」

母を看ながら仕事をするのは母に悪いかなと悩みました。
往診医のひきの先生はそんな私に
「それ(母のために仕事を休まず働くの)は、私たちの社会的な使命です。」
この言葉で私は楽になりました

ひきの先生は茅ヶ崎で自宅療養している方々のために、24時間365日頑張っているので、私も頑張って続けます!
自分の頑張っていることを自分なりに。
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