ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

行ってきました。

2012-10-22 20:41:28 | 思い出

20・21の土日に、姪の結婚式に福島県白河まで、この日のために購入した新車で行ってきました。
往復ともカーナビのお世話になりながらですが、最近のカーナビの進歩には驚きました。なんだって、カーナビが自分で渋滞を感知してくれて、カーナビが渋滞を回避したコースを案内してくれるんですから!(これって、当たり前の機能?)まぁ、おかげで帰りは一般道を案内されて都内の一般道を走ってきました。休日の都内は意外と空いているんですね。

道中、カーナビが、「那須付近に障害物があります。注意してください。」というので気にしていたら、なんと高速道をラブラドールが走っていて、それを高速隊の隊員さん達が追いかけていました。
ワンコも隊員さんも無事であるように祈りながら通過しました。
結婚式は、招待客180名・・・にぎやかな中にもほのぼのとした、とても素晴らしいものでした。
私も、10何年振り似合う人たちも多く、私の回復ぶりに驚き、そして心から喜んでくれたのが、とても嬉しかったです

P1010691_3P1010703_3写真は、車窓からの、おなじみ「スカイツリー」と、塙町の名産の「ダリア」の花です。


タイムスリップ

2011-06-26 18:09:24 | 思い出

Burma 皆さんは、何かの拍子に昔を思い出したりしませんか?例えば、音とか匂い、食べ物の味とか風景とかで…。私は歳のせいか(笑)たまにあります。例えば、住宅街で空を見上げて電信柱や電線がないのを見てサンディエゴを思い出したり…。今日、排気ガス・・・それも、ちょっと石油まじりの匂いを嗅いで、一気にビルマ、今のミャンマーの山奥に赴任していた頃にタイムスリップしました。別に-JIN-続きじゃありませんけれど。 そこで『Google Earth 』で探してみました、昔の記憶をたどりながら…。見つけましたイラワジ川とアラカン山脈に挟まれたジャングルの中に。でも、私が設備を設置していた工場は、上空から見る限り屋根は苔むし、一目で稼働していないんだろうなぁ…と察する事ができ、何となく寂しい感じがしたり、あの頃の出来事や生活、一緒に苦労した仲間たちの顔が浮かんできて、懐かしく思えたり複雑な気持ちになりました。見る場所、見る場所に、あの頃の思い出が待っていました。

※クリックすると画像が大きくなりますが、あまり判らないかも・・・黄色い虫ピンの下です。


4周年 VS 35周年

2010-10-17 19:37:11 | 思い出

Photo 今日は一番下のチビの4歳の誕生日 写真は『シンケンジャー』だそうです。近くにキャラクターのケーキを作ってくれるケーキ屋さんができて、真ん中のチビの時は『プリキュアファイブ』でした。恐ろしいのは12月・・・奥さん・二番目の娘・一番目のチビの誕生日とクリスマスが、絶妙な間隔で並んでいます。 そりゃぁ『一緒に・・・』などといった日には、まさに『俺たちに明日はない』状態に陥るのは『地に向かって矢を射るがごとし』です。 でも、女性の皆さんに怒られるかもしれませんが『甘いものは別腹』なんですね。 今日、一緒に末娘から、私達の『結婚35周年』のお祝いケーキをプレゼントしてくれました。 うれしかったけれど、二人で食べるにはチョット大きすぎです。

Photo_2 画像はクリックで大きくなります。


バンド仲間

2008-12-01 21:27:42 | 思い出

日曜日に昔のバンド仲間が訪ねて来てくれた。私が倒れたことを風の噂に聞いて・・・。 今は、それぞれの地域で生活をしているから、25年ぶりか? 私は学生時代に吹奏楽部にいて、卒業してから今のメンバーとバンドを組んだ。担当は、テナーサックスとパーカッション。 主に『ダンパ』。ダンスパーティの演奏のアルバイトをしていた。ちょうどこの頃は『Xマスパーティ』で忙しかった。あとは毎月、定期的に行われる『ダンス教室』のバックバンド。懐かしい顔がそろって、昔話に花が咲いた。私たちのバンドの編成は、テナーサックス2本、トランペット1本、サイドギター、リードギター、ベースが各一本ずつ、それにドラムと女性のボーカルという具合で、曲によってパーカッションに回ったり、フルートを吹いたり、ボーカルをしたりの中小企業バンドだった。というよりも、やることは『コミックバンド』に近かったかもしれない。 リードギターを担当してたのは極度の近眼。 ダンスパーティだから照明は暗いし、牛乳瓶の底の様な眼鏡をかけても譜面に顔をこすり付けなくては見えない。よって自然に『暗譜』(楽譜を暗記すること)になる。他の楽器がイントロを担当する時はいいのだが、リードギターが担当する時はメンバーはヒヤヒヤである。スタートの音を間違えると指で楽譜を覚えているので、そのまま突っ走る。後のメンバーは慌てて、リードギターに合わせて転調をしなければならなかった。(笑)トランペットは寒いと唇が動かないからといって、フットライトのそばに楽器を置いておいて、いざ演奏という時にマウスピースを唇に当てたら、熱くなりすぎていて音よりも先に出たのは『アチッ!』の声。見ると唇に白く丸い痕が出来ていた。(笑)うちの奥さんも、ダンスパーティに一緒に来ていて、私がさんざん『踊ろうよ』と誘ったのに『私、踊れないから』と断っておいて、私が演奏していたらホールの真ん中で、見事にジルバを踊っていた。家に帰って追求したら、『リードが上手かったから・・・。』 練習の時は、ドラム担当は背中に赤ちゃんを負ぶってるし・・・。そんな昔話で盛り上がった日曜日だった。そして、帰る時にみんながかけてくれた言葉『また、バンド出来るようにガンバレ』思わず、涙が出てきた。そういえば、バンドのオープニング曲は、レターメンの『涙のキッス』だったっけ。


ビルマのおもひで・・・①

2008-05-25 17:04:40 | 思い出

私がビルマに日本技術団として、最初に赴任したのは今から20数年前。任期は半年、赴任地はラングーンから汽車で10時間、それから大河、イラワジ河を渡り、そこからアラカン山脈へジープで3時間ほど入ったところでした。ビルマ政府の軍需工場での技術指導が目的でした。昼近くにラングーンを出発して現地に到着したのは夜中。 前任者に挨拶をして宿舎のバンガローに行って寝ることになった。ベットは虫や蚊の進入を防ぐ蚊帳つきのベット。横になってふっと天井に目をやるとカタカナの『キ』という文字の模様がある天井だった。私は『ビルマは不思議な模様が好きなんだなぁ』とぼんやり眺めていたら、突然、そのカタカナが動き出したのだ。私は飛び起きて電気を付けてみると、なんと!一面『ヤモリ』だらけだった。その晩は気持ち悪くて一睡も出来ずに過ごしたが、慣れというものは恐ろしく、2週間もすれば慣れてきて、机に向かって書類を書いている時に、机の上を走ろうが、灰皿の中に入ろうが、平気になり終いには頭の上に落ちてきても平気になっった。そのうち、捕獲しては背中にマジックで背番号を書いてあそんでいて、よく隣の部屋の人から『お宅の12番うちに来てるよ』などといわれた。 苦労したのは、飲料水を含め水。飲料水はイラワジ河から引いた水を浄水場で処理して、尚且つ、自分たちの宿舎の食堂の横で浄水装置に通し、その水を沸かしてビンにつめて冷蔵庫で冷やして飲むのだが、ビンの底にはなにやら浮遊物体。イラワジ河の土の粒子が細かくて、ろ過しきれないのである。雨水の方がよほど綺麗だった。下痢は日常茶飯事。私など、最初の一ヶ月で10キロも痩せましたから・・・。 日本から持ち込んだ『下痢止め』はやたら強烈で、ヘタに服用すると便秘になるような代物だった。そこで考え出したのが、下痢止めを雨水で飲むという方法。これだと、まことに具合のいいものが出るのです。 ドラム缶に貯めた雨水。これのふちをコップで叩いて、湧いているボウフラを沈めて上澄みをすくって薬を飲むのです。今考えると、よくやったなぁと思いますけれど・・・。 あとはお風呂。毎日、女中さんがタライ一杯のお湯を持ってきてくれるのですが、頭などを洗っていたら足りなくなる。そこで、また考えたのが自然のシャワーを使うことである。丁度、雨季だったのでスコールが来る。これがまた、局地的も局地的。工場の屋根半分は雨が降っているのに半分はドピーカン。 極端になると、広さが20平米ぐらいの雲の下だけ土砂降りということがある。そこで、そういう雲が来ると、裸になり、ロンジーという腰巻のようなものを腰に巻いて、手に石鹸とシャンプーを持って雲の流れを見ながら待ち、2,3メートル先が降り始めたら、頭にシャンプーをふりかけ洗い始めるのである。 これを間違えると、シャンプーをかけたけれど雲がこっちへ来なくて、髪の毛はバリバリということになる。たまに身体も洗えるとスッポンポンになって石鹸をつけて洗っていると、雲の流れる方向が変わったために、スッポンポンで雲を追いかけるときもあった。 まぁ、他にも色々とエピソードには事欠かないが、おあとは次回ということで。