ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

環境と可能性

2008-07-31 18:57:24 | リハビリ

今日は『木曜リハ』でした。スタッフの方から『筋肉が柔らかくなった。』とお褒めのお言葉。私の場合、『筋肉が柔らかい=緊張の低下』なのである。これに7年半もの間、苦しめられてきた。酷い時は、筋肉の緊張により身体全体が『痙攣』をおこしたり、軽いときは、ちょっとの振動で足がまるで『貧乏ゆすり』のひどい状態になっていた。筋肉の緊張が取れてきた為か、ニューステップでの手足のストロークも伸びてきた。

さて先日、次のような記事を見つけたので紹介します。

『それは、まるで真っ暗な宇宙空間に放り出された感じ』。日本のヘレンケラーと呼ばれる福島智・東京大学准教授が全盲ろうになった時のことをこう述懐している。目も見えず耳も聞こえない福島氏が先月、博士号を取得。国内で初めて。困難に挑み、夢に向かって進む姿は多くに人の希望となった。福島氏は9歳で視力を、18歳で聴力を失った。だが、『全盲ろう者になり、二つのことを学んだ。』と、昨春、東大の入学式の祝辞で述べている。一つは『人間は一人ぽっちでは生きていけない。』。光と音を失った福島氏にとって、多くの人に支えられての成功であった。支えは、感謝の心へと変わり、全身の力となった。もう一つは『どのような困難な状況にあっても、可能性がゼロになることはない。チャレンジし、現状を変革していく可能性は必ずある』。この二つは、障害をバネに凱歌の人生を闊歩している人は大勢いる。加えて、『自分が励ます側』にいることが素晴らしいと。この記事を読んで、深く感銘を受けると共に『幸、不幸を決めるのは、環境ではない。あくまでも自分自身である。自分自身の勇気である。』との偉人の言葉を思い出した。


苦楽

2008-07-26 20:38:22 | 日記・エッセイ・コラム

先日、皆さんに『足が一歩でた。』と報告してから、いっこうに足が出なくなってしまいちょっと落ち込んでいる。足が出た時は天にも上る気持ちだったが、今は地を這うような気持ちである。 世に『苦楽』という言葉がある。『人生、苦あれば楽あり』『苦楽を共にする』等々。ちょうど、夏休みが始まったばかり。夏休みといわれて、私の想い出は楽しい思いでもあり、休みも終わりに近づいた頃、宿題に追われて辛い日々で休みを締めくくった思い出がある。なにせ、読書感想文など、本の後書きを見て書いたくらいですから・・・。 楽しかったけれど大変だった。こうした経験から、人は楽しいことと、相反する苦労があることを自然のうちに『楽』と『苦』を学ぶのだと思う。この二つを、どう考えるか。『楽』と『苦』は『快』と『不快』ともいえる。『パイドン』という本の中の一場面に、牢屋に入れられていたソクラテスが面会に来た弟子たちに、足かせを外された足をさすりながら言った。『苦痛に対して、快は生来なんと不思議な関係にあるのだろう。まるで、二つでありながら、一つの頭で結合されているみたいにね。』と。足かせによる苦痛のあと、外されて訪れる開放感。苦と快は常に一方が表われると他方も表われると。辛いリハビリを続けてきて、やっとでた一歩。それが、また出なくなって落ち込む自分。毎日、凪だけの海がないように、楽しいだけの人生はない。同じように、苦しいだけの人生というのもありえないはずだ。楽と苦は常に『表裏一体』。コインの裏表だ。古書に『苦をば苦と悟り、楽をば楽と開き』と有るそうだ。意味は、『苦も楽も人生の習いととらえ、現実を果敢に乗り越えて行く生きかた』を示しているそうだ。私も、『絶対治す!』という気持ちを忘れずに、その時その時の結果に『一喜一憂』しないような、強い気持ちを養いながら、毎日のリハビリに頑張りたいと思う。だって、絶対にこの病気を克服したいし、益々暑くなるから・・・。


ご利用は計画的に・・・。

2008-07-25 13:13:48 | リハビリ

暑中お見舞い申し上げます

昨日は、恒例の『木曜リハ』 頑張ってきました。いつものメニューをこなし、ニューステップへ。その前にいつものバランスをとりながら、自力で立つ練習。今までは、ただつかまらずにバランスをとって立つだけだったが、昨日は、ただ立つだけではなく、左右に身体を揺らして体重の移動、左右、片足ずつ体重を乗せ、バランスをとりながら立つこと3分。何回か片足が浮くこともあった。 まだまだ立てたのだが、あまり立ちすぎるとニューステップをする、エネルギーがなくなるのでやめておいた。 ニューステップで手足を動かすこともスムーズになってきたし、ストロークも伸びてきた。 これも、自主トレで一時間毎に歩行器につかまりながら立ち上がり、片足ずつのスクワットを繰り返してきた賜物かな?とチラッと感じた木曜リハだった。 しかし、今日は昨日のお返しとばかりに、体中が筋肉痛だ 調子の乗りすぎたかな?まるで、筋肉が『ご利用は計画的に』といってるみたいだ。


感謝と思いやり

2008-07-18 20:26:27 | リハビリ

私は毎週木曜日に通院リハビリに近くの医院に通っている。リハビリ室のスタッフは4人、その人たちがシフトを組んで、毎日3人でまわしている。私には、一人のスタッフの方が二時間近く、付ききりでリハビリをしてくれる。 リハビリ室に通われている人は、私が一番若い方でお年寄りが多い。前から感じていたことであるが、スタッフの方と患者さんの会話の中に『感謝と思いやり』の言葉がふんだんに含まれているのである。 普通の病院は(私の知る限りであるが・・・)患者は『ありがとうございました。』スタッフや看護師は『お大事に』程度であるが、ここのスタッフの方は、まるで自分の母親、父親と話すように『つまづかないで』とか、『こういう運動を考えたんだけれど』とか、その患者さんに合わせて運動を考えてくるとか。すべての行動や言葉に思いやりが込められているのである。これは、リハビリのスタッフをはじめ、看護師、はたまた先生までに言えることである。当然、患者も単なる枕詞でなく、自分の症状がどうなったかを理解したうえで『おかげさまで、楽に歩けるようになったよ』などの『感謝』の言葉が、ごく自然に口から出てくる。そして、患者が帰る時に、スタッフがかける言葉が、患者それぞれによってみな違う。ある人には『次も待ってるから休まないで頑張ろうね!』とか『○○運動、一日○回ね!』とか『無理してやっちゃだめだよ』とか、スタッフが患者それぞれの状態をしっかり把握した声がけをするのである。 こういう関係って、やはり『信頼』の上になり立っているんだと思う。こういう雰囲気であれば、治り方も違うんではないのかな?と感じている。今週、帰る時に先生に言われた『○○さん!必ずいった事やるんだよ。』と。  ありがたいことである。