ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

ご挨拶

2006-12-30 12:36:39 | リハビリ

本年も本日を入れて後二日となりました。今年、私のブログに立ち寄って頂いた方、そして、心温まる激励やアドバイスのコメントを残していただいた方々に、沢山のパワーを戴きました。今年も何とか年を越す事が出来るのは、皆さんのお陰と心より感謝いたしております。どうぞ来年も変わらず、未熟な私に皆さんのパワーを分けてくださいね。来年が皆さんにとって素晴しい年でありますよう、心より祈っております。

どうぞ、良いお年を!

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発病から今まで その77

2006-12-29 16:22:16 | リハビリ

今日の訪問リハで、年内のリハビリは全て終了なのダ(ライダーさん風(笑))後は来年一月五日まで自主トレに励むだけである。訪問リハに通っていただいた看護師の方、一人の方は、小さな身体で私のずうたいを一生懸命支えて歩行練習に励んでくれ、もう一人の方は、色々なアイデアを出してくれて私の身体に色々な刺激を与えてくれた。このお二人にも、ただただ感謝の一言である。さて、この正月をどう乗り切るか?留意するべき点は2点・・・。食べ過ぎて体重を増やさない事、そして自主トレを欠かさない事である。『建設は死闘、破壊は一瞬』と言う言葉がある。ここで気を緩めてしまってら、一年間頑張ってきた事、それをサポートしていただいた皆さんの苦労が無駄になる。リハビリとはそういうものだと私は思っている。リハビリを続けるのは辛い上り坂、リハビリをやめてしまえば、転がり落ちるだけの下り坂・・・。頑張らなければ!

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発病から今まで その76

2006-12-28 18:58:44 | リハビリ

今日は『地獄の木曜リハ』の今年最後の日でした。足上げはマットの数が3枚から4枚になりました。例のご婦人には残念ながらお会いできずに、スタッフの方たちと年末のご挨拶をしてきました。女性の方たちばかりなのに、私の様な自由の利かない患者に本当に好くして頂き、ただただ感謝の一言です。我が家に帰って、家内の友人のマッサージ師の方のマッサージを受けたのですが、今日は臀筋を中心にやっていただきました。と言うのも、私はほぼ一日中、車椅子に座ったままで尚且つ、スクワットや立つ練習などで一番、酷使する筋肉が臀筋であるため、朝の身体が捻じれる様な身体のツッパリは臀筋から始まる。私のお尻を触ったマッサージ師の友人は『何これ!カチンカチンだよ!』とビックリして、とても指が入らないからといって肘で私の臀筋をほぐし始めた。その痛いのなんのって!(@_@;)あまりの痛さに声が出そうになって必死にこらえた為に、声の代わりに『オナラ』が出てしまった。(=_=)何故か私の頭の中にはチャングムのあの歌が・・・♪オ~ナ~ラ、オ~ナ~ラ♪(知っている人は知っている)臀筋のもみ戻しってあるのだろうか?あったら、痛くって車椅子にも座れなかったりして・・・。明日は今年最後の訪問リハである。

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迷い道、分かれ道

2006-12-27 14:21:28 | つぶやき

またこの季節がやってきた・・・。実を言うと倒れてから毎年この時期になると、私は気持ちがブルーになる。と言うか落ち込む・・・。2001年12月30日。この病気で倒れた日である。毎年、クリスマスの時期から暮れにかけて、心の中に鉛の塊がつかえてるような気持ちになる。あの年の今頃は、元気に出張に飛び回っていたなぁ!とか、色々な事が思い出されるのと同時に、あの時もっと健康に留意しとけば・・・とか、倒れて病院に運ばれたときの記憶が呼び戻されるのである。後遺症?なのかそれ以来、救急車のサイレンには敏感になってしまって、我が家から2㌔近く離れた所にある消防署の救急車のサイレンが聴こえる様になってしまった。勿論、我が家の他の人は気づかない。近くになって始めて気がつくのである。早くこの時期が過ぎてほしい。紅白の北島三郎先生が見れればいい。(私は北島三郎先生の大ファンである。(笑))

さて、TVでモンゴルの大草原を放映していた。遥か彼方にぽつんとある家。それも、時期によって移動する。GPSなど有る訳もなく、昼までさえ見つけるのが大変なのに、夜はどうするのだろうと思っていたら、現地の方が『闇夜に草原で道に迷ったとしても、雲間から少しでも星が見えれば、それを頼りに方角を知り、遭難から逃れる事ができる。』と言っていた。大袈裟かもしれないが『人生という草原』でも、星が見えず、行くべき道がわからない夜もある。困難に直面した時に『~するしかない』と自分を追い込んでしまうか、それとも『~することもできる』と別の道を探せるか・・・。まさに『雲間の星』は『希望』であり『目標』であると私は思っている。希望や目標を見失わない限り、心に『ゆとり』『余裕』が生まれて困難に直面した時に、一喜一憂したり振り回される事が少なくて済むのではないかと・・・。希望や目標に対する一念が強ければ強いほど・・・。こんなことを書いている私も、常に気持ちは揺れている。でも、揺れが収まり始めたときに目指す中心軸(目標)さえぶれてなければ大丈夫だと思っているし、それが、私を何とかこの病気と前向きに取り組まさせてくれてるのかもしれない。

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石炭とダイアモンド

2006-12-24 13:47:49 | つぶやき

朝の身体のツッパリが辛い・・・。臀筋から始まって身体がねじれるように筋肉が勝手に突っ張る。今朝は思わず涙が出た。去年はこんな事はなかったのに・・・。きっと、身体の中に何か好い事が広がっているのだろうと、自分に言い聞かせている。

さて、今日はクリスマスイブ。頑張っている皆さんに、昔聞いたお話をプレゼント!(プレゼントになるかなぁ?(笑))それは私が高校生の頃、ホームルームの時間に担任の教師から聞いた話です。『お前ら、石炭もダイアも同じ炭素で出来ているが、何が石炭とダイアの分かれ目になっているか判るか!』といきなり話し始めた。生徒は何を言い出すのか?と黙っていたら『ダイアは地中深くにいて、物凄い高熱や圧力に耐え切ったものがダイアになって、耐えられなかった物は石炭になる。判ったかぁ!』ときた。続けて『お前らは石炭にもならない石炭のくずだぁ!』言ってる事は判る。色々な困難に耐え抜いたものだけが光り輝く人生を送る事ができる。でも先生、『石炭の屑』はないでしょう!とその時、思ったことを今でも覚えている。更に教師は続けた『ダイアは何を使って磨くか知ってるか?ダイアはダイアで磨くんだ。例えお前達がダイアの原石であったとしても、ダイアで磨かなきゃ光り輝く事はできないんだよ!』私はその時思った。たとえ私がダイアの原石でもこの先生じゃ原石で終わっちまうな・・・と(笑)

何でこんな話を?と思われた方がいるかもしれません。正解です。私は、ブログを始めて色々な方に出会いました。皆さん物凄く頑張っていて、私も元気を分けて頂いています。私にとって、皆さんは私を磨いてくれるダイアモンドなのです。(私は石炭の屑かもしれませんが・・・。)少し早いかもしれませんが、今年一年、こんな私を磨いてくださった皆さんに感謝を込めて、そして今、同じように病気や色々な困難に立ち向かい頑張っている皆さんにエール送りたいと思って、支離滅裂になりましたが書かせていただきました。一緒にダイアモンドになりたくて・・・。

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