ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

発病から今まで その47

2006-10-18 14:29:46 | 健康・病気

朝晩だいぶ冷えてきましたね。と言っても私だけがそう感じているのかもしれない。何しろ我が家には、半袖のTシャツ一枚の者がいたり、中には扇風機にあたっている者もいる。私にはこの寒さ?は結構きつい。筋肉や筋が突っ張って、特に指はキーボードを叩いてブログを書いた後は、スムーズに曲がらなくなる。去年は余り感じなかったのに・・・良くなっているのか悪くなっているのか・・・とても悔しい事があった。でもそれをバネに頑張らねば・・・

さて、退院後の初めての市立病院への通院でしたね。時間になって送迎サービスの車が来て、いざ市立病院へと出発した。4ヶ月ぶりの通院である。しかし、私に思わぬ事態が待っていた。以前にも私の病気は振動や刺激に弱く、チョットした事で筋肉や筋が突っ張ってしまう。と書いたが、我が家から市立病院までは車で5分程度の道のりなのだが、その間、車の振動で4回も体が硬直して車椅子からずり落ちてしまった。それ以上に私を苦しめたのは、車から玄関までのアスファルト、そして『Pタイル』と呼ばれる30センチ角位の床材の目地、この小さな振動で体が緊張して車椅子からずり落ちてしまい、その都度、家内に引きずり上げてもらった。診察の順番を待つ間も久し振りに大勢の人達にあったせいか、緊張して例の『貧乏ゆすり』が始まり止らなくなった。やっと順番が来て診察が始まって以前、市立病院に入院していたときにお世話になったリハビリ科の先生が私の身体を看て『一体、●●リハ(山奥の病院の事)は何をやっていたんだ。薬の調整さえやっていないじゃないか!』と大きな声を上げた。この先生は物腰が柔らかく非常に物静かで優しい事で有名な先生だった。『家内からある程度の事は聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった・・・』と絶句されてしまった。この先生の奥さんは『山奥の病院の作業療法士』であり、私の訓練や治療の進み具合を伝えてくれていたらしい。診察の後、この先生と一緒にリハビリ室へと行き、これまた入院時にお世話になった理学療法士の先生に身体の具合を看て貰った。その後、リハビリ科の先生と理学療法士の先生と長いこと話していたが、理学療法士の先生が私のところへ来て『山奥の病院での4ヶ月は忘れましょう。』といった。私と家内の感じた失意の大きさは、未だにどうやって表現したらいいのか判らない。

その晩、我が家の電話に見たことも無い携帯番号から電話がかかって来た。家内は薄気味が悪いと切ったのだが、何度切ってもかかってくるので出てみると、何と市立病院のリハビリ科の先生からだった。『若し、良かったら私の大学病院に薬の調整で一週間ぐらい入院しませんか?』と言う内容であった。何とその医師は自分の派遣元の大学病院と交渉をしてくれて、ベットを確保してくれたのだった・・・勿論、私達家族は是非にとお願いした。この入院が私の病気にも精神的にも転機となる。

コメント (6)
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