ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

発病から今まで その52

2006-10-23 18:04:41 | 健康・病気

私に対して皆さんからの激励のコメント、メール有り難うございました。頑張ります!私は今、NHKの『チャングムの誓い』にはまってます。(*^^)v韓国に昔、実在した方のドラマなんですが、王宮に仕える医女の話ですが、これがまた凄い!脈診で病気を診断して、食事や漢方、鍼灸などで治してゆくのだが、是非、自分の医務官に・・・などと馬鹿な事を考えている私である。

さて、4年前の大学病院へタイムスリップ。入院した次の朝、4人の先生方が回診に来た。私の手や足を触り、感覚があるかどうか、どの辺まで曲がるかなどを確認した後、今朝から服用するようにと数種類の薬を処方された。昨夜、どの様な薬を使うか会議を開いて処方を決めてくれたらしい。午後からは1階のリハビリ室へ行ってまず、手の関係の作業療法、続いて足の関係の理学療法を行った。作業療法士の女性の先生は、一つずつそれぞれの筋肉の動きや指の役目を説明しながら私の指や腕を動かしていった。ここを動かすためにはこの筋肉を動かす。というように・・・山奥の病院では、例の先生の奥様がピンチヒッターで一回、私の治療をしていただいたとき以来の訓練方法であった。するとどうだろう、少しずつではあるが腕が伸びるようになって来た。一日目にしてこれである。私の持って行った太ももまである装具は、リハビリ科の先生が『こんな重たい装具で歩けるか!』と言って、長靴の大きさに切断してしまった。(^_^;)そして、何と私が夢にまで見た平行棒を使った『歩行訓練』が始まったのである。しかし、簡単にはいかない。考えれば私の病名は『延髄梗塞による四肢麻痺』なんだから・・・でも、山奥の病院とは明らかにリハビリに対する私の気持ちは違った。(山奥の病院は患者さんが多すぎ?たのかも・・・)同じ病室の人から励まされたのも初めての経験だった。山奥の病院では私が、患者さんやご家族の励まし役だったから・・・同室の一人の方は、大手電機メーカーのコンピューター技術者で『ギアンバレー』という、自分の細胞が自分の神経を攻撃して動けなくなるという難病の方。もう一人の方はダンス教室を経営されているダンスの教師の方で『筋硬化症』ということだった・・・。お二人とも幸いな事に快方に向かわれていて、リハビリに専念されていた。

コメント (6)
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