ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

伝わる心

2012年12月05日 | 随筆・短歌
 衆議院議員選挙が近づいて、世の中の動きがせわしくなって来ました。様々な人々がテレビや新聞・雑誌で様々な意見を述べています。党の離合集散もあって、人々の心の在りかが透けて見える思いがすることもあります。
 私達国民が直接国政に参画することの出来る唯一の機会であり、国民の義務でもあり、また権利でもある一票を、慎重に考慮して投じたいと思っています。
 ところで、東北の大災害があり、原発事故があって、その復旧が急がれています。ヨーロッパを発端とした経済危機があり、中国や韓国との間の、また北朝鮮との間にも様々な出来事が発生して、国の経済や将来の不安材料となっています。
 この混沌とした日本に在って、私達はどう考え行動したら良いのかと、しばしば考えます。
 震災のその後について、少し身近な例を引きますと、莫大な瓦礫を焼却する事になり、一部の自治体が引き受け始めています。いまだ知らぬ顔の自治体が在るのはどうしてでしょう。同じ国民として私は当然のことだと思っています。幸い私は被害に逢わなかったのですが、被害者だったら、「どうか皆さん助けて下さい」と言ったでしょう。先ず片づかないとそこに家も建ちませんし、暮らすことも出来ません。処理を申し出ない自治体を「自己本位で冷たい」とさえ思います。
 ところが「放射能が危険だから」を理由にさしたる線量でないことを承知の上で、「焼却反対」と人間の盾を作って瓦礫を積んだトラックの搬入を阻止している集団があります。この映像をテレビで見ると、悲しい思いがしてきます。
 放射線被害の専門家が大丈夫だと判断した上でのことですから、素人の私達はそれを信じるしかないではないかと思います。危険だというのなら、その科学的な根拠を示さないと、自己防衛の亡者のように見えて、被災者に対しても余りにも冷たいのではないかと思ってしまいます。非科学的な風評被害にめげない強さで、被災者を応援してこそ、同じ日本人だと言えないでしょうか。
 私は福島県産の野菜も果物も、店頭に並んでいれば、そちらを優先して買います。それがせめて私に出来る応援だからです。当然の事であって、自慢する積もりは全くありません。
 原爆が落ちた広島の人達は、検診が行き届いていることもあり、他の政令指定都市より、平均寿命が長いと聞きました。嬉しいニュースです。これを以て福島にすぐ当てはめられないかも知れませんが、核爆弾が落ちて被曝した人達が元気であるということが一つの安心材料ではあります。
 学者が安全だと言っても「信じられない」と思う子育て世代の人の気持ちも察することはできますが、そう不安ばかりを言いつのって、自ら一層不安と不便な生活にはまり込むのも、どうかと思ったりしています。
 専門家は科学者としての良心に恥じないように、正しい情報を伝え、私達はそれを信じる。そのようにして伝わっていく心が、今何より大切だと思います。個人も又社会全体も、被災地に温かい支援の手を差し伸べれば、復興にも拍車がかかることでしょう。被災地が早く立ち直ることが、結果として国民の幸せに繋がると思っています。その為に出来る事は協力したいものです。
 全ての人の心の深くに、汚れのない人間本来の正しい心が存在していると思っています。様々な出来事に対して、その心で見聞きし判断すれば、きっと温かい心が湧き出して、人々に伝わり安心できる社会に繋がると私は信じています。利得で計算していては、何時の日か我が身に天災が襲ったときに、誰が助けて呉れるのでしょう。
 先ず信じることから考えてみたいものです。疑ってばかりいてはそこから何も生まれません。人間社会の成り立ちは、互いに信じ合うことが基本なのではないでしょうか。
 この度の選挙に際しても、汚れのない心で見聞きし、判断したいものです。次代を背負う日本人が、幸せであるように、今を生きている私達が責任を持たなければならない、とても重い選挙だと考えています。
  

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