ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

嵯峨野に寄せる想い

2020年07月16日 | 随筆
 先日仏壇のご本尊様の下壇から、ひらりとおふだが一枚零れ出てきました。何かしらと思って見ましたら、裏に曼荼羅山寂庵とありました。蓮の花びらの形のその紙には、カラーで観音さまが実にフリーに美しく描かれていて、「寂」と小さな落款が押してあります。
 寂庵さまの庵には、京都へ行って嵯峨野を回った三回の中で、二度お邪魔しています。一回目は可成り遠い昔ですが、義父母の納骨に京都のご本山の寺院(智積院)へ行った時です。嵯峨野は天竜寺から常寂光寺・落柿舎・二尊院・祇王寺・寂庵・化野の念仏寺その他清涼寺や大覚寺などに足を延ばして、気ままに拝観させて頂きお参りしました。
 私達が初めて伺ったその日は、丁度瀬戸内寂聴さまは、東北の天台寺へおいでになっていてお留守でした。お寄りして「寂庵だより」を頂いて来ました。初回のその時は「どうぞ気楽にお立ち寄り下さい」とあった気がします。
 初めてお参りした時は、庵と畑と駐車場があって、今のような緑の木々に囲まれた静かな寂庵さまではありませんでした。二回目は、奈良・京都を巡った9泊の旅の中でした。次第に木立の緑が美しく、趣の深い庵になっていきました。
 清涼寺では、後に五臓六腑も収蔵した宝物殿が拝観出来るようになって、私達も4月8日の午前11時ころから、と言う指定の拝観日に出かけて、甘茶を頂いたり、布で出来た珍しい五臓六腑を拝観したのです。
 その後また嵯峨野を巡りましたが、その時も確か祇王寺辺りから寄り道して、寄せて頂きました。今はもう祇王寺も落柿舎も拝観出来ないようです。
 ところでこの寂庵さまのお札は、私達がお参りした日ではなく、京都の清涼寺のバス停で出会ったご婦人から頂いて来たものです。
 清涼寺からの帰り道に、近くのバス停でバスを待っていましたら、とてもお元気なご婦人二人と言葉を交わす機会がありました。「今二人で寂庵さまへ行って来ました。お札を撒いてくださって、沢山頂いて来ましたから、一枚あなた達にも上げましょう」とこのおふだを頂いたのでした。不思議なご縁でした。
 それが今回ひらりと仏壇から出て来たお札なのです。ご縁とはこのようにして思いがけなく繋がって行くものなのですね。懐かしくもあり、暫く眺めて、また仏壇の中壇に納めました。
 今回は、たまたま懐かしくて嵯峨野の寺々をパソコンで引いて見て、現在の嵯峨野の様子が良く解りました。寂庵だよりは366号をもって廃止になっていて、寂しい思いをしています。
 嵯峨野で出会った親切なお二人は、その後お元気だろうかと、お札がつないでくれたご縁に思わず手を合わせたのでした。


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