ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

たった一度の人生なのだから

2017年12月22日 | 随筆
 今年も残り少なくなりました。一日一日をいとおしみながら、噛みしめながら、生かされて今があることにしみじみ感謝して過ごしています。
 「感謝して生きる」という言葉は、極めて簡単であり、聞く方も抵抗なく耳に入ることばではあります。しかし、現実の人生は年を重ねるに伴って、様々な辛い思いや苦しい思いを積み重ねて生きて来ています。その辛さ・苦しみ・悲しみの経験が、余りに多い時、人は他人に対して冷やかになったり、厳しく批判したり、自己本位になる面を持つこともあるのではないか、とも思わせられることがあります。
 しかし又、前号にも書きましたように、入院を通して、心優しい人々が周囲に沢山居られる事をも知りました。度々の引用で恐縮ですが、高野山金剛峯寺の金堂に、「少しばかりの悲しみが人の心を優しくする。心配せんでも良い.必ず良いようになるものである。」という墨文字の紙が貼り出されていました。感動した夫と私はしばらくそのままそこに立ち止まって、このことばを噛みしめました。
 今またあの時の感動を思い出して、「味わった悲しみや苦しみが反って人の心を優しくする」ということだと思っています。
 私の知人にとても立派な女性の教育者がいます。障害者教育に全身全霊を打ち込んで、頑張っておられます。過日の私のブログに、「患者の心に寄り添い、あくまでその人の心に共感し、忍耐強く対応している看護師さん」のことを書きました。その後その方からのメールに「私達の教育も同じです。パニックになって暴れたり、泣いたりしている生徒には、先ず『何をしているのかわからなくて辛かったんだね。音がうるさかったんだね。』と受容して寄り添うことをしています。落ち着くまで待つ。待つことの多い仕事です。わかってくれた、と生徒が思ってくれたら、信頼関係が出来、段々と待つ時間も短くなります。看護師さんの仕事との共通点を知ることができました。有り難うございます。」とあり、私は又々感激したのです。
 確かに思いがけないことにパニックを起こしやすい生徒達だということは、同じように幼い子供が良くパニックになっていた知人の家庭で、その母親の根気強さに感激し、又大変さを身近に感じたもでした。成長した今は、グッと落ち着いて生活しているようですが。私達の身の回りにも、沢山同じような経験をしている人が居られるのだと、私も認識を新たにした処です。
 同時に、この方の何時も素直に真正面から問題を見つめ、常にそこから学び取ろうとする心の素晴らしさに、私は日頃からとても尊敬して折々のメールに向かっています。
 今年の夏休みも、例年のように彼女には休みは、殆ど無いようなものだつたでしょう。皆さんもご存じかと思いますが、マラソンランナーの高橋尚子さんが、履き古したスニーカーのまだ履けるものを、きれいに洗って、アフリカの裸足の子供たちに送る「~高橋尚子のスマイル プロジェクト~」にも参加して、せっせとシューズを集め、届けていますし、お返しに届けられたヒマワリの種を校舎脇などに植えて、夏休みも休まずに水を与えに通うのです。これもそう簡単には実践し、続ける事は難しいことです。
 高橋尚子さんは、「陸上を引退してから外の世界に目を向けた時に、スポーツを楽しむ以前に、シューズを履きたくても履けない子どもたちが多くいることを知りました。靴のない暮らしは、衛生上多くの問題を抱え、破傷風やHIVなどの感染症の危険にさらされています。
 今回のプロジェクトによって、まだまだ使うことのできるシューズを、アフリカを中心とする途上国の子どもたちに届け、子どもたちの安全を守り、シューズを履いた子どもたちが笑顔で元気よく走り出すことができるのなら、こんなに素晴らしいことはないと思います。そしてシューズを寄贈してくれる日本の子どもたちへは、アフリカの子どもたちからお礼としてひまわりの種が贈られますが、ひまわりの種をみんなで植えることによって地球環境問題についても考えてもらえたらいいなあ、と思っています。」とメッセージを寄せているのを、私も目にしました。
 言葉にするのは簡単ですが、実際指導して実践するのは、大変なオーバーワークになります。
 私は、このように何事にも、真摯に取り組む彼女をとても立派な教育者として、尊敬の目で眺めて、その努力に一層頭が下がる思いです。
 この人も又沢山の悲しみを乗り越えて生きて来た人です。尊敬して止まないお父上(元裁判官)の後ろ姿を見つめつつ、頑張っておられます。空海の教えのように、悲しみや苦しみを、優しさや温かさに昇華して、生きている姿に感動を禁じ得ないのです。
 空海の名言集に、
「 片手だけでは拍手できない。片足だけでは歩けない。右手と左手が感応して 拍手になり、右足と左足が感応して歩く。だから相手が感応するまで祈り続けなさい。 仏 として生きる道は遠いところにあるのではない。すぐそこにある。 修行して悟りを得ようと する人は、心の本源を悟ることが必要である。心の本源とは清らかで綺麗な明るい心で ある。 周りの環境は心の状態によって変わる。心が暗いと何を見ても楽しくない。静かで 落ち着いた環境にいれば、心も自然と穏やかになる。 他人の利益をはかるように努めていると、苦しみの世界に行く因縁が消える。」という下りがありす。
 宗派は違いますが、彼女は鎌倉の円覚寺の日曜説教会にも、足繁く通って、横田南嶺老師のお説教を拝聴し、常に心を磨いているのです。たまの日曜日はゆっくり過ごしたい私ですが、朝の早い時間から出かけて心を磨くことは、これも続ける事が出来る人は少ないでしょう。
 インターネットでお聴きすることも出来ますが、朝の清らかな空気に触れて、聴くお説教はきっと心にしみこんで、そうしてこのような行動に結び付くのでしょう。
 精神科医の神谷美恵子氏は、「大きな悲しみや苦しみも無い、いわゆる平凡な人生を送る人は、ごくまれである。大方の人は多くの悲しみや苦しみの中を生きている」と言う意味のことを書いておられます。
 そんな悲しみや苦しみの人生ですが、たった一度の人生であればこそ、みな納得のいく人生を求めて、あくまで努力しようとするのでしょう。それが忍耐強さになったり、優しさや温かさに溢れる人を作るのでしょう。
 神谷氏の言うように、多くの人が悲しみや苦しみを持つとしたら、金剛峯寺にあったように、それは優しさとなって、周囲を温かく包み込むことになります。かくして私の入院経験のように、優しい人々に囲まれる事に繋がります。
 このようにして優しい人々に満ちていく事を思い描くと、年末の喧噪の中にも、静かに優しさが満ちて来るように思えてきます。 新しい年は、また新しい希望を胸に迎えることに致しましょう。

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