ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

大和心とは

2016年04月08日 | 随筆
 「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」これは本居宣長の有名な短歌です。大和心とは「日本人の持つやさしく、やわらいだ心情」と広辞苑にはあります。偶然にも今日は大リーグで、今年日本から大リーグに移ったピッチャーの前田が、第二打席でホームランを打ちました。鮮烈なデビューでした。マウンドマナーも立派で、大和心に花を添えてくれました。
 今年の大リーグのニューヨークヤンキースの始球式には、松井秀喜が投げましたが、もうヤンキースを離れてだいぶたったのに、このような晴れ舞台を彼に提供したのは、彼の持つ礼儀正しく真摯な態度と、自己を犠牲にしてもチームの勝利に尽くす姿勢が、きっと認められたからでしょう。何とも喜ばしい、二つの出来事でした。
 このように礼儀正しく、真摯でやさしく、和らいだ心情を大和心と言うならば、「花見の後のゴミの山に中国からの観光客驚く」等という今日の新聞記事は、同じ日本人として恥じ入るばかりです。私は最近の上野公園界わいの、花見の後始末を見たことがありませんので、それがどんなにひどいのか、解りませんが、察しはつきます。
 何時でしたか、金沢市の道路にゴミ一つない景観に、市民が「私達は観光に来られるお客さんに、美しい街並みを見て頂くために、各自が自分の家の周りは常に綺麗にしておこうという運動をしているのです」と言っておられたのが印象に残っていました。
 羨ましいと思ったあれから何年か、私が住む市でも「街をきれいに」という運動が行きわたり、「ポイ捨て禁止条例」はバスでもアナウンスしますから、以前とは打って変わって美しい道路になりました。
 今日あたり桜を眺めつつ歩いて見ますと、ゴミ一つ落ちて居らず気持ちの良い散策が出来ました。往々にして話題になるのが、河川敷などでのバーベキューの後始末の悪さ、そして今回の外国人の見た花見後の汚さ、これは大和心を持ち合わせていない人々が、如何に多く居るかを示しています。「自分が出したゴミは、自分が持ち帰る」を徹底すれば、このような恥ずかしい経験をすることはありません。この程度の良識も持ち合わせていない人の公共心は、余りに貧しい気がして寂しい位です。
 もう何十年も昔のことですが、尾瀬の長蔵小屋周辺の美しかったことを今でも鮮明に覚えています。景勝地でのゴミ持ち帰り運動が、言われ始めた頃です。小屋にはゴミ箱も整備されていましたが、中は全くの空っぽでした。
 一人一人の出すゴミはさして多くは無いので、自分の出したゴミは各自持ち帰れば、何時も気持ちの良いバーベキューや登山が出来る筈です。富士登山についても先頃頂上付近の汚れを「残雪かと見まがう様」と聞きました。雄大な富士ですから、そのゴミの多さも自ずから計り知れると言えますが、恥ずかしくて書くことさえ憚られるくらいです。
 本当に各自のちょっとした公共心で、その悩みは立ち処に解決出来る筈なのです。ネットで調べても携帯トイレは一箇100円台で買えるのです。調べて居る内に、富士山は5合目に使用済みの携帯トイレの捨て場所が設置されているとありました。此処まで持ってきたのなら、何故家まで持っていって処理できないのか不思議です。5合目から搬出するのに、どれくらいの処理費と人件費が掛かるか、それを負担する自治体のことも考えると、矢張り個人の責任で行うのが最良です。その為の入山料だから、と言うのも哀しい気がします。お金で処理することもある意味大切ですが(例えば歩けば土が掘れて溝になり、粘土質の登山道なら次第に深くなります。これを食い止めるのは横に丸太を敷いて土止めを作る必要があります。又石ころの多い登山道では、落石に依る怪我を防ぐ落石防止処置が必要です。この費用負担も登山者一人では出来ませんから、入山料は必要不可欠なのです)、自己責任をしっかり取ることが、社会の一員として当然の義務だと私は思います。
 みんなで大和心をもう一度思い返して、先人に恥ずかしくないような人間でありたいと思っています。
 桜前線も日一日と北上しています。日本人が昔から最も愛した花が桜でした。美しさ、気高さ、いさぎよさに人々は引きつけられるのでしょう。
 良寛禅師は「散る桜残る桜も散る桜」と桜を例にとって、人間の命のはかなさを詠っています。
 少し明るいニュースを。先に書いた前田投手が、6回5安打、無失点、4奪三振、無死球と快投し、ドジャースは7:0で開幕三連勝を飾ったそうです。渡米第一試合でしたが、それだけに嬉しい知らせでした。 

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