ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

我が子を信じる親心 ー 「北の国から」

2015年09月06日 | 随筆
 我が子が生まれる喜びは、経験した多くの人が「この上ない喜び」と言います。そして日に日に育っていく子供が愛らしく、朝、勤務に出掛けて夕方帰って来ると、もう朝よりも大きくなっている(ダッコした途端に、朝お願いしますと手渡した時より重いと感じる、お乳の飲み方が力強い、或いは朝話せなかった新しい言葉を話す)こと等に気付いて、成長を実感する喜びは、恐らく子供を産み育てた事のある人はみな経験したことでしょう。
 ところが、その愛らしい子供が段々大人になっていくと、今迄決して見せなかった思い掛けない姿を見せる事があって、その度にハッとすることがあります。そんな時に親はどうするのか、或いはどうしたら良いのか、そういう事を「そうだよねー」と感動と共に実感するドラマがあります。
 ドラマ「北の国から」です。これは以前も書きましたし、多くの人達がこのドラマを実際に見ておられると思われますから、(もし未だだったら、DVD になっていて、借りられますから、是非お勧めします)大人になった息子純(吉岡隆)と娘蛍(中嶋朋子)、父親の黒板五郎(田中邦衛)に照準を合わせたいと思います。
 彼等がまだ幼く、ひよわな都会っ子として、北海道の布部の駅に降り立った処からドラマが始まり、こわれたあばら家を自分達の手で直し、無かった水道を苦労して川から引き、電気を起こし・・・、と数数の苦難を乗り越えて大きくなって行く過程を、様々な出来事を織り交ぜつつ描いています。愛し、苦しみ、結婚し・・・親を労るようになるまで成長して行く、一大ドラマです。
 妻(いしだあゆみ)の不倫によって離婚した五郎です。しかし子供たちにとっては優しい母親です。その母がある時富良野に訪ねて来て、ラベンダー畑で楽しい一日を過ごします。母親が家に来たことを匂いで感知する鋭い感覚を持った蛍ですが、その母親が富良野から帰る日が来ます。駅への見送りを拒否した蛍が、列車で手を振って去る母を追いかけて涙を流しつつ、川岸の道を力一杯走ります。この時の蛍の姿を、泣かずに見た人は恐らくいないでしょう。
 そんな蛍がやがて看護学校を終えて、富良野に戻って来ます。父五郎が蛍の為に就職先を決めて待っています。しかし、駅から出て来た蛍は「もう決めたの」と自分が決めた病院を告げます。てっきり喜んで呉れると思っていた父は、肩すかしを食らうことになります。鳩が豆鉄砲を食らったように、キョトンとした五郎でしたが、直ぐに気を取り直してニコニコし、「そうかい、決めたのかい」と言い、「うん。それが良い」と優しく納得するのです。何と広くて温かい親心でしょう。普通の親は、折角あなたの為に決めたのに、と愚痴をこぼしたり、未練を残したりするところもあるでしょう。
 この辺が、なかなか出来ない親の態度のように思いました。又、蛍が勤め先の医師と恋愛して駆け落ちしてしまいます。そのことを聞いて呆然とする五郎ですが、二人が働いている落石(おちいし)の診療所に、純の運転で訪ねて行く場面があります。診療所の裏に着いた時、偶然外に出て来た蛍に会います。「元気だったかい」と温かい言葉をかけます。こうなったことは、成ってしまったのだから、気にすることはない、と五郎は言い「父さんに対して申しわけないと思うなよ。父さんは味方だから。」と言います。このような場面で、私はあなたの味方だから・・・、と言える親は、どのくらいいるでしょう?。やがて医師に鮭のお土産を選んで、「先生に宜しく」と蛍を見送ります。少し歩き出した蛍の背中に、「ホタル!いつでも富良野に帰ってくんだぞー」と叫びます。蛍は走って戻り、「父さん私一人の時は、本当は毎日自分を責めているの。でもどうしょうもないの。ご免なさい」と泣きながらしゃがみ込んでしまいます。五郎は肩を抱いて立ち上がらせます。心を取り戻した蛍は、微かな微笑みを浮かべて診療所へ戻って行きます。「富良野までの8時間の長い時間を、父さんは一言も喋らずに、着いた時はもう夜になっていた」と純のナレーションが続きます。逡巡する五郎の心が、無言の中に痛い程伝わって来ます。「これでいいのだ」と心でつぶやいて、自立した娘の生き様を温かく見守って行こう、と自らを納得させていたのでしょう。
 どうしようもない愛に突き動かされて行動に出た娘に対して、これ程深く理解出来る親が、どのくらいいるでしょう。いいえ、これ程何もかもうち捨てて子供を信じることが出来る親がどのくらいいるのでしょう。私自身の自戒を込めて、私は涙を流してしまいます。
 本当に子供のためにのみ考えて、自分の立場や世間体を気にしないで、ひたすら子供のことを考える、朴訥だけれど温かく立派な父親であり、その心の広さは誰も叶わないと思われます。やがて蛍から「わたしを見捨てないで下さい。父さん愛しています」と手紙が届きます。父と娘の微妙な間が、見事に愛で繋がります。このドラマ全編を通して、格別感動深い場面です。
 純が、卒業後に単身上京して、挫折して戻って来た時、近隣の父親の友達の温かいフォローもあり、純はその人達の温かさに失った自信を取り戻し、劣等感を克服して、やがてゴミ収集車に乗って働き始めるのです。やがて純自身も、蛍には意見もする大人になって行くのです。落石から帰った時に、「父さん冬の間だけでも俺の処へ来ないか」と五郎を誘います。たった一人で、自分が建てた石の家に厳寒の冬を頑張る父親を労るのです。
 こんな人間ドラマが、北海道の大自然の中で子供たちの成長を追いかけて、時に東京や札幌や根室も含めて、21年もかけて繰り広げられていくのですから、これ程スケールの大きい、スパンの長いドラマは日本では初めてではないでしょうか。
 先頃日経新聞にこのドラマのシナリオを書いた倉本聡が、「私の履歴書」と言うシリーズで30回に渡って書いていましたが、最終回は先月末(2015年8月31日)でした。彼の代表作の一つである、このドラマが生まれた背景や、21年もの長い時間をかけて書き続け、ドラマが終わった2002年には、富良野に250万人の観光客が訪れたそうです。実の処私達もその中の二人で、北の国から、の舞台になった家なども見てきました。五郎の石の家の近くには、「今も五郎はここに住んでいます。そっとしておいて下さい」という立て看板が立っていました。あの立て看板は今も残っているのでしょうか。
 大人のドラマを、と言う現在の彼のフジテレビへの「建白書」には、とても大切で重いものを感じました。「シルバータイム(朝・ターゲットは高齢者)に良質なドラマを」という発想は、大いに頷けます。また、期待もしています。
 我が家の子供たちが幼かった頃に、家族で見たアメリカの「大草原の小さな家」のような作品を書きたかったという、倉本聡の発想は、多くの人々に感動を与え、未だレンタルビデオ屋には、このドラマスペシャル版の「95’秘密」等も含めて全巻が揃っています。
 もう一つこのドラマの優れた特徴の一つは、登場して来る人達がみな温かく、苦労に耐え忍び、明るく強く生きている事です。そして北海道の大地にしっかりと根を降ろした人々の、生き生きとした生活が、共感と感動を持ってしっかりと描かれている事でしょう。
 配役の確かさや、さだまさしの曲だけで歌詞の無い「北の国から」の曲とか出演者のテーマ曲なども、みな作品をグレードアップしています。バックの大自然の美しさは、カメラの技術でしょう。それぞれの人が、倉本作品を盛り上げています。
 私は、このドラマのように、子供たちは何時も明るく、挫けず、太陽を浴びて外を駆け回り、どろんこになって遊ぶ事が、健全な心身の発達に一番大切なことだと、自分の子育てを通して思っています。今、家で、電車で、バスの中でさえも、いい大人も子供も、みな一様に、画面をスクロールしたり、メッセージを打ったりしていますが、これはとても不健全に見えます。
 大切な「生きている時間」を、運動をするとか本を読むとか、好きな事に打ち込むとか、良い映画や演劇、音楽、絵画の鑑賞をして、広く様々な経験をして欲しいと思うのです。
 親は、子供の喜びや悩みに寄り添い、親の価値観を押しつけたりせず、何時も温かく見守る存在でいたい、と我が身の子育てを振り返り、このようなドラマを見て深く思うのです。

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