ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

愛される喜びと愛する喜び

2015年04月12日 | 随筆
 先日古い映画ですが「マイ・ルーム」と言う映画をDVDで観ました。成人した二人の姉妹は、疎遠なまま約20年の年月が過ぎています。独身を貫いた姉は、痴呆状態で殆どベッドで過ごしている父と、下半身不随で車いすの、しかし明るい叔母の面倒を見ながら暮らしています。家出同然のようにして結婚した妹は、二人の男の子を持ち現在は夫と離婚して、美容師の資格を目指して頑張っています。
 その姉が白血病になり、骨髄移植が唯一の助かる道だと言って来ます。妹は二人の息子と共に、血液型の検査に赴きます。妹は自分の長男としっくり行かなかったのですが、叔母の優しさに触れて、心を開き初め、やがて母との会話を通して、心が少しずつ通じ合うようになっていきます。
 初めは検査に協力しないと言っていた息子が検査を承諾しますが、結果は、妹家族の全員が血液型が一致しませんでした。
 それでも優しく温かい姉は、「人間は、愛されるから幸せなのではなく、愛することこそが幸せなのだ」と言います。そんな叔母の元へ、家族が次第に集まって来ます。ぎこちなかった姉妹も、妹親子も、鏡の光を壁に当てて、舞う様子を喜ぶ父や車イスの叔母の様子に、和やかな心となり、血液型不一致を忘れたように、集まって行くのでした。
 この映画の中で、「愛されることが幸せなのではなく、愛することこそが幸せなのだ」というセリフがとても心にしみました。
 兎角人間は自分が愛されているかどうかで、自分の幸・不幸を判断しようとしがちですが、そうではなく、人を愛する事こそが幸せなのだという言葉に目から鱗の衝撃を受けました。これこそが、人間普遍の真理だと胸を打たれたのです。
 アメリカの映画の「母の眠り」でも出てくる感動的な言葉があります。末期ガンの母の介護をする為に、ジャーナリストになる夢を途中で投げ出さざるを得ず、帰って来た娘は、何時も研究が忙しいと称して、毎日遅く帰宅する大学教授の父と、次第に険悪な関係になって行きます。
 ジャーナリストとして着実に力をつけて来た娘にとって、今が一番大事な時期ですが、その一方で、夫や娘を愛し、完璧な迄に家事をこなしてきた母には、叶わない思いもあります。いらだつ娘に、母は「一度しか言わないから、良く聴きなさい」とキッパリと言います。「幸せに生きることは難しく無い。無いものねだりをするのではなく、今、身の回りにいる者を愛しなさい。そして心豊かに生きることです。」と。
 家族を中心として、身の回りにいてくれる人をひたすら愛することこそが、自分を幸せに導く道だという、この二つの映画の主張が重なって、私の心を揺さぶりました。
 我が家の家族を守って呉れていた夫の病も、昨日「完治しました」と言う主治医の力強い言葉に、ホッとする余り、体から力が抜けていく程の喜びと共に、深く疲れていた自分に気が付きました。図らずも愛することの喜びを感じることができました。同時に今満開の桜の花の美しさを、家族揃って見とれる心のゆとりを取り戻せたことに、感謝しています。


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