ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

本との出会いと供養

2014年04月22日 | 随筆・短歌
 針供養は、日頃針を使って仕事をしている人々が、2月8日に折れたり曲がったりして使えなくなった針を、柔らかい豆腐などにさして、供養する日です。最近は様々な供養がなされるようで、人形供養・茶碗・筆・メガネ・トウシューズなどもあるようです。
 最近私は、愛読してきた本の処分に際して、何とか心を込めてよい形の供養が出来ないか、と思うようになりました。私は、断捨離とばかりに、退職後、1トントラック一台の本(バックナンバーを揃えて集めた書籍や、もう資料が古くなった本)を捨てたことを初めとして、その後少しずつ何ヶ月もかかって、本を沢山捨てました。後に残る家族にとっては、迷惑になるばかりだし、体力が衰えたらそれさえ出来なくなるという思いに駆られて、次々と捨ててしまいました。
 でも折角買った本で、しかもその本によって、ずいぶんと教え育てて貰ったにもかかわらず、ポイと捨ててしまうのは、いささか気後れしました。最後に専門書が残りました。捨てようと手にしては本棚に戻し、又手にしては戻しして、それも遂に思い切って捨てることにして、持てる分だけ紐で括っては、ゴミの集積所に捨てて来ました。今は月に二回しか捨てられませんが、燃やすのではなく再生されるそうなので、それだけで本に申し訳なく思う気持ちが救われ、有り難いことです。
 息子が春になって自分の部屋の整理をして、本棚にある不要になった本を、下取りする○○オフへ持って行きました。すると買った時には、数万円の本が、5冊で僅か24円で、買い取られたそうです。
 とても高かった専門書や、辞書類のドイツ語英訳・英文英訳などでも、今は資料が古くなったとか、電子辞書があるので、不要になったとかで、文庫本一冊も買えない始末です。
しかし、長く書棚にあった本を、古新聞のように再生にするのも残念で、矢張り誰か欲しい人が居られて手にして下されば嬉しいし、本も喜ぶことでしょう。
 息子は古い時代の出版でも、今は得難い本があり、ネットで売っている場合は、買うことが折々ありますが、遠くは沖縄から届くこともあります。何万円もする本が、とても安く手にはいるので、本当にありがたいと言います。
 問題は捨てるという行為をする時のその人の気持ちですから、私は愛用していたもので、未だ役に立ちそうなものを捨てる時は、せめて仏壇の前に置いて手を合わせ、お礼の祈りを捧げてから、可能な限りリサイクルにしようと心に決めました。何にも無かった時代を思うと、心苦しいほどに簡単に捨てています。本供養も悪く無い発想だとひとりでそう思っています。
 この冬、とても寒い日に、私の図書館の本が返還しなければならない日になりました。日頃その図書館を利用していない息子が、風邪気味の私に代わって返してあげるといい、でかけました。ところが思いもかけず、その図書館でとても貴重な全集に出会いました。
 出会いはいつも不思議なもので、縁としかいいようがありません。思わぬ出会いに喜んで、初めは一冊ずつ借りていましたが、ついに手元に置きたくなって、ネットで古書を探して買ったのです。始めて出会ったその書籍は、古い時代の図書館に寄付されたようで、寄付者がわかるものでした。この本で学びそれを後世の人の為に寄付した人は、どんな人なのだろうか、と一時我が家でも話題になりました。
 しかし、これを発見出来たことに感謝して、大切にして何度も読んでいるようです。生き方を変える程の出会いと言えば大げさなのでしょうが、たまたま代わって返却に行った図書館で出会ったことに運命的なものを感じずにはいられません。
 私は自分の本には、大切なところに線を引いたり、書き込んだりしますから、寄付出来るようなものではないのです。
 本供養から、本との出会いの不思議さを思いますが、人との出会いも縁としか言いようが無く、出会うべくして出会っていると思うと、矢張り大切にしたいと思うのです。今も何かしらの出会いによって、教えられることの多い毎日です。無数にある書籍から、自分に取って価値ある書籍と出会えるかどうか、図書館での時間は心弾む時間です。

嫁入りの折(こおり)に入れ来し啄木の歌集古びてなほ宝なり (あずさ)



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