ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

旅立ちの準備

2013年05月29日 | 随筆・短歌
 最近「終活」という言う言葉を聞きます。死ぬ迄にしておきたい事を計画的に行い、家族に様々な伝えたい事を書き留めておくとか、自分のお葬式をどうしたいとか、愛する家族に書き残したりすることのようです。「終活ノート」なるものも出ていると聞きましたが、私は未だ見たことはありません。但しこの殆どは私達は既に終えていると思っています。
 就職活動を就活と言い、結婚の為の活動を婚活というのに真似て、人間が終焉を迎える為の準備を終活という短縮形の日本語に置き換えることに、いささか違和感を感じています。生まれることも死ぬことも人間にとっては、それはそれは大切なことであり、神秘的で厳かな現実です。
 しかし、死は何時も身近にあって、生まれたばかりの赤ちゃんにさえそれは存在し、何時かということは誰にも分かりません。最近は核家族になったせいで、家族の自然死(老衰による死)や病死を目の当たりにした経験の無い人が多くなったといいます。殆どの人が病院で亡くなる時代になり、安らかに家庭で自然に息を引き取っていく死に、出会う事がないというのは、ある種不幸なことのように思います。
 死は決して恐ろしいものではなく、特に老衰で亡くなる人の最後は、実に安らかなものです。輪廻転生とまでは言いませんが、その現実に立ち会うと、魂は永遠に不滅で、時を越えてお互いに無意識の内に又必ず会えると言う気がして来ます。
 90歳で亡くなった私の曾祖母は、元気で夏を越しましたのに、急に食欲を無くして床に着いたのでしたが、翌日の朝、母が「何だかおばあさんが駄目らしい。分家に知らせて来なさい」と言われ、私は息せき切って知らせに走り、戻って枕元に着いた時は、母は吸呑みから水を少し曾祖母の口にあて、脱脂綿を添えていました。やがてこくりと曾祖母の呼吸が止まったようでした。医師を呼びに行った分家の男性と医師を待ついとまもなく、安らかに逝ったのです。母は「大往生だったね。たった二食しか私に食事の介添えをさせないで」と、涙目で言ったのを覚えています。前日の夜と朝食を母に食べさせて貰っただけで、それ迄は自力で生活していたのです。
 祖母は私の兄が生まれる少し前に亡くなっていましたので、その次に死に目に会ったのは祖父でした。
 まさに虫の知らせのように、その年の秋祭りに、「もう自分が元気な内に、お祭りに呼んであげられないかも知れない」と78歳になった祖父が言い、親戚中から誰か一人ずつと、日頃から出入りの家内(やうち)の人達を全て招いて、お茶の間とお座敷をつなげて、大がかりな祝宴を開いたのです。それが無事に終わり、皆さんも一人二人と帰って行かれました。客を見送った祖父が、玄関先でバッタリと倒れたのです。ついさっき、帰ったばかりの叔母(母の妹でその時点で生きて居たたった一人の妹)を呼び戻し、医師にも来て頂きました。祖父は大きないびきをかいて意識はありませんでした。 脳卒中だったのです。「こうして手足を撫でてあげなさい」と叔母は言い、私達兄弟は皆集まって、手や足を撫でてあげました。やがて夕方に、祖父は息を引き取りました。自然に呼吸が浅くなって、静かに途絶えたのです。どちらも荘厳で安楽な死でした。
 その後父母の死、義父母の死、兄の死、弟の死、そして娘の死が続きました。最短で二日、長くて1~2ヶ月の入院の後の死等様々でしたが、何時もそこには医師や看護師さんの手厚い看護があり、回りには心配する家族が集まっていて、最後は全て静かな苦しみの無い死でした。
 この世に生を受けた人の死というものは、とても崇高なものです。見ず知らずの人を無差別に殺傷するようなことは、こういった姿で死を看取った人には、到底考えられない出来事です。
 最近日本人の心に、何か大切なものが欠落してしまっているように思えてなりません。元上智大学のディケンズ教授が、日本人には、もっと死の教育をしなければならないと仰ったということを聞きました。確かに死を考えることは、より良く生きることを考えることに繋がります。生きる教育と共に死に対する教育、現在生きている事の奇跡に近い尊さ、亡くなった祖先などへの哀悼や感謝の気持ち、ずっと昔から続いて来た遺伝子を持った自分という存在、等等考える教育が、いつの間にか人生のどの場面にも見当たらなくなった気がします。
 現在のお墓事情という特集がテレビであって、何処に眠るか、どのようなお墓を持つか、話題になったことがあります。義父母のお墓に一緒に入りたくないという人、夫とは別のお墓に、とか、一人暮らしで来た人が自分が死んだ後にも、永代供養してもらえるようにするにはどうしたら良いか、などさまざまでした。
 一方墓園の方は、放置されて手入れが行き届かず、持ち主不明で困っているとか、そんな問題もあるようです。先に旅立った人達の魂は仏となって自由に行き交い、この世における醜い人間関係とは全く異なって、清らかに飛翔していると私は思っています。私達がお花を持ってお墓にお参りに行く時は、待っていて呉れる人に会えると心弾む思いがします。

墓石を撫でゐる夫(つま)にも眠りゐる亡娘(こ)にもやさしき彼岸の海風(あずさ 実名で某誌に掲載)

 勿論私の実家のお墓にも家族で父母が亡くなってから毎年お参りを欠かしません。他に私達夫婦には、昔の偉人のお墓参りをするという共通の趣味があり、旅先に有名人のお墓があると聞けば、早速回り道をしてもお参りに行きます。良く行く所に鎌倉の東慶寺があります。今年春の旅行は京都へ行って、我が家の本山の智積院と、私の実家の東本願寺と大谷祖廟にもお参りして来ました。「もう今年が最後になるでしょうから、今度はそちらでお会いしましょう」と祈って来ました。そして秋には、兄が眠る筑波の霊園にゆき、そこから横浜市の娘のお墓にお参りし、一泊して鎌倉の東慶寺へ参詣します。尊敬する鈴木大拙、西田幾多郎、和辻哲郎、阿部能成など著名な学者のお墓にお参りしてこようと思っています。東慶寺は何回か行ったのですが、次回は曜日を会わせて、鈴木大拙が亡くなるまで住んでいた松ヶ丘文庫の公開日に寄りたいと思っています。
 昔の偉人のお墓の前に立つと、厳かで尊く、清らかな思いが胸に広がり、偉大な魂の温もりが体に満ちてくる思いがするのです。時にお花やお線香を手向け、ゆっくりと時間を掛けてその人を偲びます。難しい書物を通して僅かしか理解していなくとも、お墓の前に立つということで、近親感を感じて嬉しくなるのです。
 今年の秋で、一通りお参りしたい処はおしまいになりますので、肩の荷が下りる感じがして、今から楽しみにしています。それまでは何とか歩けるようにと、足を鍛えているところです。

 室生寺の奥の院への石段を登りし足も今は萎えたり(某紙に掲載)

 すっかり足に痛みが出て、歩きにくくなり、夫も最近痛みを訴えるようになりましたので、二人で日々歩くことを欠かさないようにして、その日にそなえています。

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