ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

背中で演技する

2012年06月16日 | 随筆・短歌
 映画が好きな私と夫は、レンタルビデオ店で借りる映画を決める時に、演技力のある人のものを好んで選びます。多くは夫が選び私が同意して決まります。時折私のリクエストが入ります。最近、私が趣味の短歌や俳句を作る時間が足りなくて、夫一人に好きな映画を観て貰う日も増えて来ました。
 私達が長い間に見て来た映画に、時折「これは素晴らしい」と思う俳優さんに出会います。
 その一人が笠智衆です。人によっては、「演技が一本調子で不器用な人」だと言いますが、私は彼の背中が見せる演技にとても打たれることがあります。無言で丸めた背中が「泣いている心」を表現するといった演技にかけては、彼の右に出る人はいないかもしれません。しみじみと静かに悲しむ老人の姿を演じさせたら抜群だと思うのです。
 ずっと若い時から、老人を演じてきた人だと聞きますが、自然な感じでの老いの表現とその悲しみが胸を打つような演技は、そう簡単には出来ません。余りに有名になった「東京物語」や大女優原節子との共演の「晩春」や、やはり後ろ姿の演技が光った「老いぬれば」「冬構え」など、どれにも彼独特の悲しみの演技が光っています。
 そして比較的最近心に残った名演技の場面は、NHKの大河ドラマ「独眼竜正宗」に出て来た豊臣秀吉を演じる勝新太郎が、正宗に初めて相対した時の恐ろしさです。緊張する正宗と共に、見ている私までが恐ろしくなり、こぶしを握りしめて見ていました。
 後に聞いたことですが、この時未だ若かった正宗役の渡辺謙と勝新太郎は初めて顔を合わせたのだそうです。勝は役の上で逢うまでは、顔を合わせることを避け、初対面の緊張感をそのままスクリーンに映し出したということです。さすがに芸に打ち込む姿勢が違い、そのために出来上がった名場面だったのだと、痛感しています。
 もう一つ、「真田太平記」に出て来た豊臣秀吉を演じ「お拾いをお頼み申す」と大名達に懇願しつつ、睥睨する長門裕之の演技、どちらも一流の俳優ですが、なかなかの見応えでした。その場その場で、相応しい演技をするには、余程台本を読み込み本人に成り切る、そして「先ずは眼がものを言うこと、なにげないような細かな動作も計算が尽くされている」という点では共通するものがあるように思います。何度観てもあのすさまじい迫力の「切腹」の仲代達也の演技もその仲間です。彼については「人間の条件」も忘れられません。
 外国人の中では、メリル・ストリープや、ニコール・キッドマン、アンソニー・ホプキンス、モーガン・フリーマンなど、それぞれに役になりきっています。アンソニー・ホプキンスの「羊たちの沈黙」の冷酷な凶悪犯の恐ろしい表情と、「日の名残」の口に出して「好きです」と言えない、もどかしいばかりの実直な執事とでは、両極端な人物を見事に演じています。
 ニコールキッドマンは体重を大きく減らして「巡り逢う時間たち」を演じました。あの神経質な作家の役を、何処で観察して身に付けたのでしょうか。からっとした、あるいは人をくったような多様な演技をする女優さんと思っていましたが、実に見事に演じ分けています。見る度に新しい女性を演じる彼女に大いに期待しています。
 メリル・ストリープは、誰もが知っているアカデミー賞女優ですが、「マジソン郡の橋」で恋人と別れるか、家族を捨てて彼のもとに走るか、車の中から彼を見つめながら煩悶する姿には、ハラハラしながら涙が止まりませんでした。ドアのノブに手を掛けて、降りるか残るかと迷い、夫に知られぬように涙を流しつつ、やがて彼を見つめつつ眼で追いながら、夫の運転する車と共に去って行きます。何度見たか、解らない作品です。良妻賢母で通して、たった四日間で灼熱の恋をし、愛し、そして家族の為に残るという物語ですが、クリント・イーストウッドと共演のアカデミー賞受賞作品です。
 モーガン・フリーマンはあの優しさがたまりません。「ドライビングMissデージー」の温かく優しい人間像は、彼そのものなのかも知れません。しかし「インビクタス/負けざる者たち」でネルソン・マンデラを演じた気迫を見ると、やはり主演兼製作総指揮として、熱のこもった名演技は、鍛え抜かれた名優のものです。
 「映画って本当にいいもんですね」と冥界から水野晴郎さんの声が聞こえてきます。名画は何回見ても色褪せることはありません。それは多分名優達が人間の弱さや哀しさをスクリーンに映し出してくれるからに違いないと思っています。 
 

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