皆様明けましておめでとう御座います。今年もどうぞよろしく御願い申し上げます。
大晦日の夜、テレビの時刻表示が午前0時を示すと、厳かに東大寺の鐘が鳴り、めでたく新年を迎えました。その瞬間に直前の事は全て去年となって、新しい年の始まりに思わず身が引き締まる思いでした。「今年は災害の無い平穏な年でありますように、そして一刻も早く被災地が復興しますように」と祈っていました。
私事で恐縮ですが、今回も紅白歌合戦は見ずに年を越し、家族で専らニュースの解説を愉しんでいました。紅白を見ずに年を越すのが慣例となって、久しくなります。
年を追う毎に、おせち料理が豪華になって、作る愉しみ・食べる愉しみが増えました。温かい身の回りの人々が送って下さった品物のお陰で、夫も息子も今年も大満足でしたし、私もおせち作りの甲斐がありました。
元旦であろうと年中例外なく、同じ時刻に起きる習慣の私達家族は、深夜まで起きていても元旦は定刻に起床して、お雑煮を神仏にも供えしてお参りを済ませ、御神酒で新年を祝いました。
家の数だけお雑煮の種類があると言われますが、それぞれ実家の家風を持ちこんだりする為のようです。以前も書きましたが、我が家のお正月は、お雑煮とお汁粉の両方を食べるのです。これは、夫が持ち込んだ風習で、どちらの家系でもないのです。
夫が独身だった頃に、お正月に帰省出来ない年があって、御世話になっていた下宿でお正月を迎えたことがあったのです。その家でのお正月は、お雑煮とお汁粉を両方食べる不思議な習慣でした。
我が家のお雑煮は、そのお宅のお雑煮を少々アレンジして、鶏肉と椎茸、大根、里芋、キンナン、ナルト、芹等々細かく切った十種類以上の具が入ります。醤油味で、酒、みりんを加え、汁を少なめにしつらえます。そして別鍋に、つぶし餡でお汁粉を作ります。 角餅は焼いて、湯を沸かした鍋で少し煮て、柔らかくなったものをお椀に一つ入れて、どちらか好きな方を上から掛けて食べるのです。お椀は二つ用意してありますし、お餅を中に入れて煮込まないので、三が日は、毎日このままで良く、合理的と言えます。お餅に味がなじまないという短所はありますが、何しろ具だくさんで、味がしっかりついていますから、普通のお雑煮と変わらず美味しく頂けます。
私達は、先ずお雑煮、次はお汁粉、最後は矢張りお雑煮になるようにして頂きます。私の実家では、元日と二日がお雑煮三日がお汁粉と決まっていました。勿論その都度お餅を煮込んで作りす。ですから両方を頂くという風習は、とても珍しいと思いました。
結婚後に夫に是非こうして作って欲しいと言われて、およその内容を教えられて以来、義父母と同居になってからも、夫の意志に依ってこの習慣が引き継がれたのです。年数が経つにつれて、芽出しクワイとか、百合根とか、トトマメといって、イクラの成熟した卵とか、お正月にお雑煮材料として、店頭並べられる物が加わって、今では15種類以上の具になっています。
お正月のおせちや、こうしたお雑煮の材料など、全てレシピにしてファイルしてあり
材料の買い出しから、何日の何時になったら、どの仕事をするか、時刻まで記載してあります。年々改良を加えて来たものです。
今年も、材料の買い忘れがないか点検しましたら、矢張り幾つか忘れていて、やっと間に合いました。こんな筈ではなかったと思うのですが、寄る年波で、これからはレシピなしではやって行けないばかりか、あってもなお心許ないと、つくづく思い知らされました。
元旦は初詣をしましたが、午後には暇になって、テレビで、ウィーン・フイルのニューイヤーコンサートを観ました。ワルツやポルカとバレエの組み合わせがとても美しく、クルムトの名画「接吻」と最初と最後に重なり合う仕掛け、美しく青きドナウの曲と素晴らしいバレエ、そして普通の姿の男女の組み合わせ等、なかなか工夫が凝らしてあって愉しめました。恒例のラデツキー行進曲に合わせて、観客が手拍子を打ち、最後のコンサート会場が華やかに盛り上がりますが、私まで最後は拍手で、何だか夢のような新春の気分に酔いました。
こうして世界の何処にいても、中継放送が見られる時代になり、娯楽と言えばラジオしか無かった子供の頃を思うと、幸せな世の中になったものだとしみじみと感じました。
翌日は、新春檜舞台で、日本舞踊や歌舞伎の狂言や箏曲を愉しみました。新春ならではの感動を独り占めでした。我が家の男性達は、テレビは見ないで、みな書斎に閉じこもっていましたので、居間には私一人の贅沢な女正月でした。
去年の東北大地震の、あの真っ黒な津波の、万物を飲み込み破壊していく悪魔のような暴力の映像も、家族で再度見ました。言葉を失ったまま、もう二度とあのような酷いことが起きないようにと祈るばかりでした。でも生憎新年早々に震度4の地震に襲われたところもあり、ヒヤリとしました。それぞれ友達が住んでいる所の震度を検索して、新年の第一報のメールが、地震のお見舞では縁起が悪いと言いつつ、被害が無さそうでしたから、じっと我慢したまま過ごしました。
真っ赤な日の出の新年に、今年の希望を託し、つつがない平穏な年でありますように祈りました。皆様も、どうぞ今年が良い年でありますように、健康に留意されてお過ごし下さい。新年早々の駄文にお付き合い下さいましたこと感謝致します。
無造作にポケットに夢を詰め込みて叶わぬままに喜寿の近づく(実名で某誌に掲載)
大晦日の夜、テレビの時刻表示が午前0時を示すと、厳かに東大寺の鐘が鳴り、めでたく新年を迎えました。その瞬間に直前の事は全て去年となって、新しい年の始まりに思わず身が引き締まる思いでした。「今年は災害の無い平穏な年でありますように、そして一刻も早く被災地が復興しますように」と祈っていました。
私事で恐縮ですが、今回も紅白歌合戦は見ずに年を越し、家族で専らニュースの解説を愉しんでいました。紅白を見ずに年を越すのが慣例となって、久しくなります。
年を追う毎に、おせち料理が豪華になって、作る愉しみ・食べる愉しみが増えました。温かい身の回りの人々が送って下さった品物のお陰で、夫も息子も今年も大満足でしたし、私もおせち作りの甲斐がありました。
元旦であろうと年中例外なく、同じ時刻に起きる習慣の私達家族は、深夜まで起きていても元旦は定刻に起床して、お雑煮を神仏にも供えしてお参りを済ませ、御神酒で新年を祝いました。
家の数だけお雑煮の種類があると言われますが、それぞれ実家の家風を持ちこんだりする為のようです。以前も書きましたが、我が家のお正月は、お雑煮とお汁粉の両方を食べるのです。これは、夫が持ち込んだ風習で、どちらの家系でもないのです。
夫が独身だった頃に、お正月に帰省出来ない年があって、御世話になっていた下宿でお正月を迎えたことがあったのです。その家でのお正月は、お雑煮とお汁粉を両方食べる不思議な習慣でした。
我が家のお雑煮は、そのお宅のお雑煮を少々アレンジして、鶏肉と椎茸、大根、里芋、キンナン、ナルト、芹等々細かく切った十種類以上の具が入ります。醤油味で、酒、みりんを加え、汁を少なめにしつらえます。そして別鍋に、つぶし餡でお汁粉を作ります。 角餅は焼いて、湯を沸かした鍋で少し煮て、柔らかくなったものをお椀に一つ入れて、どちらか好きな方を上から掛けて食べるのです。お椀は二つ用意してありますし、お餅を中に入れて煮込まないので、三が日は、毎日このままで良く、合理的と言えます。お餅に味がなじまないという短所はありますが、何しろ具だくさんで、味がしっかりついていますから、普通のお雑煮と変わらず美味しく頂けます。
私達は、先ずお雑煮、次はお汁粉、最後は矢張りお雑煮になるようにして頂きます。私の実家では、元日と二日がお雑煮三日がお汁粉と決まっていました。勿論その都度お餅を煮込んで作りす。ですから両方を頂くという風習は、とても珍しいと思いました。
結婚後に夫に是非こうして作って欲しいと言われて、およその内容を教えられて以来、義父母と同居になってからも、夫の意志に依ってこの習慣が引き継がれたのです。年数が経つにつれて、芽出しクワイとか、百合根とか、トトマメといって、イクラの成熟した卵とか、お正月にお雑煮材料として、店頭並べられる物が加わって、今では15種類以上の具になっています。
お正月のおせちや、こうしたお雑煮の材料など、全てレシピにしてファイルしてあり
材料の買い出しから、何日の何時になったら、どの仕事をするか、時刻まで記載してあります。年々改良を加えて来たものです。
今年も、材料の買い忘れがないか点検しましたら、矢張り幾つか忘れていて、やっと間に合いました。こんな筈ではなかったと思うのですが、寄る年波で、これからはレシピなしではやって行けないばかりか、あってもなお心許ないと、つくづく思い知らされました。
元旦は初詣をしましたが、午後には暇になって、テレビで、ウィーン・フイルのニューイヤーコンサートを観ました。ワルツやポルカとバレエの組み合わせがとても美しく、クルムトの名画「接吻」と最初と最後に重なり合う仕掛け、美しく青きドナウの曲と素晴らしいバレエ、そして普通の姿の男女の組み合わせ等、なかなか工夫が凝らしてあって愉しめました。恒例のラデツキー行進曲に合わせて、観客が手拍子を打ち、最後のコンサート会場が華やかに盛り上がりますが、私まで最後は拍手で、何だか夢のような新春の気分に酔いました。
こうして世界の何処にいても、中継放送が見られる時代になり、娯楽と言えばラジオしか無かった子供の頃を思うと、幸せな世の中になったものだとしみじみと感じました。
翌日は、新春檜舞台で、日本舞踊や歌舞伎の狂言や箏曲を愉しみました。新春ならではの感動を独り占めでした。我が家の男性達は、テレビは見ないで、みな書斎に閉じこもっていましたので、居間には私一人の贅沢な女正月でした。
去年の東北大地震の、あの真っ黒な津波の、万物を飲み込み破壊していく悪魔のような暴力の映像も、家族で再度見ました。言葉を失ったまま、もう二度とあのような酷いことが起きないようにと祈るばかりでした。でも生憎新年早々に震度4の地震に襲われたところもあり、ヒヤリとしました。それぞれ友達が住んでいる所の震度を検索して、新年の第一報のメールが、地震のお見舞では縁起が悪いと言いつつ、被害が無さそうでしたから、じっと我慢したまま過ごしました。
真っ赤な日の出の新年に、今年の希望を託し、つつがない平穏な年でありますように祈りました。皆様も、どうぞ今年が良い年でありますように、健康に留意されてお過ごし下さい。新年早々の駄文にお付き合い下さいましたこと感謝致します。
無造作にポケットに夢を詰め込みて叶わぬままに喜寿の近づく(実名で某誌に掲載)