ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

原発依存からの脱却を目指して

2011年11月09日 | 随筆・短歌
 ある日、突然原発の恐怖がやって来ることは、想像に難くはないことではありましたが、まさか現実となり、想像していたよりも広範囲に被害が起きていることに、改めて愕然としています。
 原子力工学を学んだ私の兄は、急性骨髄性白血病で60歳で亡くなりました。ですから、最も近くの原発で事故が起きた場合には、私たちも被害を被ることがあるかも知れない、とうすうす感じてはいました。しかし、これ程の広い範囲で被害が生じ、これから先何十年にわたって、不安に脅かされ続けて行かなければならない、ということは予想を遥かに超えていました。
 これだけ電力を消費しながらも、電気の来ない日が無いということは、確かに原子力発電に負うところが大きいのは事実です。安価に発電出来ると云っても、施設のある自治体へ保証金を支払い続けて行かなければならないとか、老朽化した施設をどう維持管理していくのか、発電を停止した施設が、事実上無害になるまでには、一体どれ程の年月がかかるのか。私は知識不足で知りませんが、それでコストを考えても、なお安価な電力と言えるのか、問題は山積しています。だかといって今すぐに原発を全て停止したら、日本の産業や生活はどうなるのでしょうか、それも心配です。
 手を出せば自動的に蛇口から水が出る、といった便利な生活が日常になり、エアコンや冷蔵庫の無い生活は、もう考えられなくなっています。停電を我慢せよ、と云っても、人工呼吸器で生きている人は生命を維持できなくなり、高層マンションに住む人は、エレベーターが停止すれば、たちまち生活できなくなってしまいます。
 科学者の代替えエネルギーの開発に期待して、一時も早く、安全で安心な、発電方法の確立をしなければなりません。そして出来てしまったこの原発をしっかり維持管理して、なるべく早期に無害化処理が出来るように、研究して欲しいと願っています。代替えエネルギーの開発と共に、この無害処理の開発の実現は、まだまだほど遠いのでしょうか。
 私は、以前にも申しましたが、福島県産のホーレン草など、原発の被災地の食品が目に止まると、なるべく買うようにしています。もうこの年ですから、寿命が縮まっても何も怖れません。原発被害に苦しむ人の為に、少しでもお役に立てれば、と考えています。
 安全だと保証されているのに、未だ買い渋る人は、何故なのでしょうか。但し未来を生きていく子供達には、矢張り気を付けて、遺伝子に傷を付けたりしないようにと願っています。風評被害に左右されず、賢い選択をしたいものです。
 自国の崩壊を目の前の危機と感じながら、なおかつ自己犠牲を嫌うギリシャ国民に対して、怠け者だと云う前に、私たちももう少し他人の痛みに気を配り、日本という国のしっかりした基礎造りに寄与しなければならないと思います。この莫大な借金大国を建て直すためには、お役に立てることが何なのか、国民一人一人がただ見守っているだけでなく、身の回りをしっかり見直して、どんな些細なことでも出来ることから実行していかなければなないと思っています。こんな事をしたら、役立つといった情報を、広く提供して協力を仰ぐことも必要なのです。例えば、「もったいない」をみんなで実行して、節約出来たお金を集めれば、それだけでも何かの役に立つ資金となります。
 様々な税を上げることも一つでしょうが、大勢の力で対処すれば、もっと能率的に少しでも国力強化に役立つことを、具体的に示して欲しいと思っています。そこからやがて強い連帯感も生まれ、愛国心も育つと思っています。揺るぎない国家というものは、人々の深い信頼感や絆から生まれるものではないでしょうか。
 3.11以来、最初は「国や東京電力がどう保証してくれるのか」、といった要求が目立ちましたが、やがて「我々はどうしたら良いのか」とみんなで考えて行こうとする機運が出て来たようで、嬉しく思います。国の片隅で生きている私にも、明るい希望が見えかけています。みんなで力を合わせて、頑張っていきましょう。

原発の恐怖ひと時忘れをり草蜻蛉(くさかげろふ)の羽ばたきを見て(実名で某誌に掲載) 



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