ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

脳死が人の死だといわれても

2009年07月11日 | 随筆・短歌
 脳死を人の死とする法案が、まさに参議院にかけられようとしています。私は臓器移植を待っている人に、移植をしてはいけないと言う積もりはありません。死の判定が、移植をする人に限って脳死を死とし、その他は心臓死をもって死とすることが、今まで行われてきました。
 もしかして、これからは脳死が人の死だと決まるかもしれない事態になっています。私の義父は突然の脳梗塞で倒れ、救急車で病院に入院して、主治医にはっきりと「脳死です」という診断を受けました。脳死の状態で人工呼吸器を付け、二日間生きていました。   脳死でも心臓は動いているし、身体は温かいのです。爪も伸びるし、髭も髪も伸びます。そのような状態で、もう亡くなったのだから治療は出来ません、遺体?を引き取って下さい、火葬にしなさい、といわれたらとても黙っていられない気持ちがするのです。
 もしかしたら、脳死の人を身内に持った経験が無い人には、気付きにくいことかも知れませんが、この状態で、住職さんにお経を読んでもらうことも、ましてや火葬にすることも、とても出来るものではありません。心臓が動かなくなって、身体から体温が消えていって、初めて死を受け入れられると思います。
 現在の法律では、死後何日までに火葬しなければならないのか、私は知りませんが、心臓が動いているのに、誰だって火葬はできないと思うのです。私は遺族として、このような状態にある肉親の内臓を、移植の為に持って行って下さいなどとは、とてもいえません。 もう一度言いますが、私は臓器移植に反対をしているのではありません。それが可能の人は、それで良いのです。けれども心臓が動いている内に内臓を取り出せば、心臓は確実に止まります。私にとっては、それは家族が肉親の殺人に手を貸すような気がするのです。みんながそうだと言っているのではありません。あくまでも、私の気持ちです。
 義父の場合、二日後に心臓死しましたが、心臓死の間際には、家族で手足をさすってやり、主治医も傍に付いていてくださいました。本当に安らかな死でした。家族にとってもこの二日間は、お別れの心構えのできる大切な時間でしたし、義姉夫婦にしても、生きている内に会って、お別れ出来てとても良かったと思います。亡くなった後も髭はまだ少し伸びました。息子は黙々と髭を剃ってやっていました。
 先日火葬場で親戚の火葬に立ち会いました。火がボッと着く音は、矢張り何とも言えず辛いものです。思わず手を合わせてしまいます。もし、その遺体?がまだ温かかったら、燃やせるでしょうか?
 日本人には日本人独特の死生観があると思います。臓器移植の為にだけ、脳死をもって人の死とはしないで欲しい、というのが脳死の人を看取った私の率直な感想です。
 もっともっと国民的な規模での、議論が必要なのではないでしょうか。死は人生の終焉で、荘厳な現実だと思います。そこには医学ばかりでなく、宗教も死生観や人生観をも包み込む厳粛な事だと思うのです。
コメント (2)
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