goo blog サービス終了のお知らせ 

孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

コソボ 独立から5年、「祖国」を手にしたが、生活向上には高い壁  進まぬセルビア系住民との和解

2013-02-26 23:34:41 | 欧州情勢

(「分断の街」ミトロビツァのセルビア系住民居住区での集会の様子 【2月17日 産経】)

EU加盟のための関係正常化模索
バルカン半島の旧ユーゴスラビア領内には多くの民族が暮らしていますが、ユーゴスラビア連邦の解体はその民族間の緊張関係“火薬庫”に火を付け、各地で紛争を惹起しました。

イスラム教のモスレム人(ボシュニャク人)、カトリックのクロアチア人、セルビア正教のセルビア人の3勢力が争ったボスニア・ヘルツェゴビナについては、人口構成の変化が民族間の対立感情再燃というパンドラの箱を開きかねないため、いまだ国勢調査すらできないという現状を、1月30日ブログ「「国家」という枠組み ボスニア・ヘルツェゴビナ、アメリカ、EU」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20130130)で取り上げました。

セルビアからの分離独立を目指して激しい内戦を戦ったコソボとセルビアの関係も未だ癒えていません。
欧米諸国の支援を受けたコソボは2008年2月に独立を宣言し、欧米や日本など96カ国が国家承認していますが、セルビアはコソボの国家承認を拒否しています。ロシア・中国も承認していません。
なお、セルビアはキリスト教徒(セルビア正教)が多数派であるのに対し、コソボはイスラム教徒のアルバニア系住民が多数派です。

ただ、セルビア、コソボともにEU加盟を目指しており、セルビアは昨年3月、加盟候補国として承認されています。
EUは両国の関係正常化を加盟手続きの事実上の条件としているため、本心は別としても、歩み寄りの姿勢を見せる必要があります。そうした事情もあって、セルビアのニコリッチ大統領とコソボのヤヒヤガ大統領が2月6日、ブリュッセルで会談し、関係正常化をめぐり協議を行っています。
両国の大統領同士が会談するのは2008年2月にコソボがセルビアからの独立を宣言して以来初めてです。

****セルビア・コソボ:初の大統領会談へ EU仲介で****
セルビアのニコリッチ大統領とコソボのヤヒヤガ大統領が6日、欧州連合(EU)の仲介によってブリュッセルで会談する。激しい民族紛争の末、08年にコソボがセルビアからの分離独立を宣言して以来、国家承認を拒み合ってきた両国元首が対話のテーブルに着くのは初めて。早期のEU加盟という共通の目標達成に向け、加盟条件の一つである関係正常化への道を探る。

EUのアシュトン外務・安全保障政策上級代表(外相)が招いた会談は、「両国の関係正常化にとって象徴的で重要な意味を持つ」(EU)。両国は11年3月から高官級対話、さらに昨年10月からは首相同士の協議をそれぞれ重ね、事実上の国境管理事務所設置やコソボ側での関税徴収、住民・土地台帳の作成などで合意してきた。

コソボの独立阻止を主張してきたセルビアだが、今年1月にはコソボ政府の施政を事実上認める代わりに、セルビア系住民が多数を占めるコソボ北部の自治を求める国会決議を採択するなど、現実路線へ大きくかじを切った。セルビアのダチッチ首相は「コソボにおけるセルビアの主権は実質的に存在しない」と言明。現実を受け入れ、条件闘争に転じる構えだ。

景気回復にてこずり、失業率が約25%に達するセルビアにとって、EU加盟の成否は死活問題。セルビアは、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷への協力やコソボ政府との対話継続などが評価され、昨年3月に加盟候補国の地位を手に入れた。今年6月のEU首脳会議で加盟交渉開始のゴーサインを得るため、コソボとの関係正常化に向け一層の成果を迫られている。

ただ、関係正常化がそのまま国家承認を意味するわけではない。EUも加盟条件として国家承認までは求めていない。このため、セルビアは今後もコソボの承認を拒みつつ、国境管理や関税徴収など実務面で協力関係を築いていくものとみられる。

一方、EUの狙いはセルビアやコソボをはじめ、バルカン半島西部の国々をEUに加盟させ、「火薬庫」と呼ばれる地域を安定させることにある。ただ、EU内でも、国内に分離独立運動を抱えているスペインなど5カ国がコソボを承認していない。EUはあくまで全加盟国の同意によるコソボとセルビアの同時加盟を目指しており、実現への道は長く険しいのが実情だ。【2月6日 毎日】
*****************

“EUのアシュトン外交安全保障上級代表(外相)によると、「率直かつ建設的な雰囲気」で進められ、両大統領は対話の継続を約束した”【2月7日 時事】というのは、EU側の手前みそ的な評価でしょう。
“ヤヒヤガ大統領は会談に先立ち、「過去の敵意を若い世代に伝えないと固く決心している」と表明。一方、極右民族派として知られ、コソボに強硬なニコリッチ大統領側は会談予定を公表したにとどまる”【2月7日 産経】とも。

もちろん、「セルビアの対応はEU加盟のためにやっている戦略的なものだ」といった見方がありますし、事実、そうした側面は否定できないでしょう。
そうであったにしても、互いに交渉すらしないよりはずっとましでしょう。将来に向けた何らかの関係も生まれる可能性があります。

独立しても欧州最貧国の一つである苦しさは続く
分離独立を果たしたコソボですが、独立から5年がたった今も、経済的には苦しい状況が続いています。

****コソボ独立5年、進まぬ和解…生活厳しく「祖国」発展は道半ば****
アルバニア系住民が主体のコソボがセルビアから独立を宣言し、17日で丸5年を迎える。国民は激しい闘争を経てようやく「祖国」を手にしたが、生活の向上には高い壁が立ちはだかり、少数派セルビア系住民との“和解”も進んでいない。国民が胸に描く「独立国家」としての発展は道半ばだ。

1月下旬の日曜日、クリントン元米大統領の像が立つ首都プリシュティナの繁華街は、多くの人でにぎわっていた。一角の女性用服飾店では、ひっきりなしに訪れる客の応対をしながら、ガスマン・イメラルダ店長(36)は「独立したおかげで、自由に(商売ができるように)なった」と笑顔を見せた。(中略)

市内各所では真新しいマンションなどが目立ち、ビルや高速道路の建設現場で槌音が響く。「インフラも改善され、団地も多くなった。少しずつ良くなっている」。繁華街を家族で訪れた電力会社社員のアルメンド・ガシさん(30)も明るい表情を見せた。
国際通貨基金(IMF)によると、2009~12年のコソボの経済成長率は年平均約4%。世界銀行は昨秋、ビジネス環境に関する各国ランキングで、コソボの順位を前年の126位から98位に引き上げた。

ただ、発展の実感は多くの国民に共有されているわけではないようだ。プリシュティナ近郊のドブロシュツォフ村で家族9人で暮らす電気技師のアレイ・シェイホさん(48)は、「発展の恩恵を受けているのは一部の金持ちだけだ」とやるせない思いを吐露した。
世帯収入は月額約400ユーロ(約5万円)。野菜などは自給自足しているが、生計を支えるのは米国の親類からの年間3千~4千ユーロの仕送りだ。長男の大学費用、自宅別棟の建築費用も親類が負担。大学に籍は置くものの、学費を出せず通っていない次男(20)は「これ以上、親類に迷惑をかけられない」と肩を落とす。

シェイホさん一家の生活は例外ではない。国連機関の報告によると、コソボでは国外の親類らの送金に全世帯の25%が依存。総額は国内総生産(GDP)の最大16%に相当するとされる。独立しても欧州最貧国の一つである苦しさは続く。

同時にコソボの発展に影を落とすのが汚職だ。国内開発を進める中、公共事業発注や公営企業民営化などをめぐる政治家・官僚と企業側の癒着は絶えない。
汚職疑惑を追及する非政府組織(NGO)「チョフー(目覚めろ)」の共同設立者、アブニ・ゾギアニ氏は「民主主義国家としての未成熟さが、腐敗蔓(まん)延(えん)の背景にある」と分析する。

若者の失業率が7割超とされる中、雇用創出には外国からの投資が不可欠。だが、増加傾向にあった投資も昨年は減少したと伝えられる。シンクタンク「コソボ政策開発研究所」のイリル・デダ所長は、「汚職が原因だ。外国投資家を(国外に)追いやってしまった」と指摘している。(後略)【2月17日 産経】
*********************

【「分断の街」ミトロビツァ 「セルビアの土地だ」】
コソボ領内に取り残された形になっているセルビア系住民と多数派アルバニア系住民の対立も大きな問題となっています。
コソボ北部では、独立を受け入れないセルビア系住民が多く暮らしていますが、その中心が川を挟んでセルビア系住民とアルバニア系住民が暮らす「分断の街」ミトロビツァです。
(12年5月8日ブログ「コソボのセルビア系住民に残された道は・・・」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120508
11年12月5日ブログ「セルビア 国境共同管理でコソボと合意 EU加盟候補国へ向け前進」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20111205)など)

事実上の国境管理事務所設置やコソボ側での関税徴収をセルビアが認めたことで、本国セルビアにも失望したセルビア系住民によって往来が妨害されるなどのトラブルもおきています。

****一緒に暮らせるはずなのに…」コソボで見た“不信”と“共生****
独立宣言5周年を機にコソボを訪れた。北部の「分断の街」ミトロビツァでは、イバール川を隔てた北側にあるセルビア系住民の居住区に、アルバニア系住民は危険を恐れ立ち入らない。だが、北側に入ってみると意外な反応だった。

当日は北側でデモ集会が行われ、アルバニア系の警官は「やめた方がいい」と助言してくれた。「写真だけ…」のつもりで川にかかる橋の北詰めに行くと、付近のセルビア系住民が手ぶりで集会場所を指す。「集会まで行け」と言っているのだ。周りにいたセルビア系警官も同じそぶり。「私らの意見も聞いてくれ」ということだ。

取材を終えると、案内人のコソボのジャーナリストが橋の北詰めまで迎えにきていた。連絡せずに川を渡ったので心配したようだ。彼はアルバニア系の警官も連れており、「スナイパーが潜んでいることもあるんだよ」と忠告された。本当にスナイパーがいたかはわからないが、両民族の根深い相互不信と当事者が抱く恐怖心をうかがわせた。

ただし、付記すべきエピソードもある。ジャーナリストが案内してくれたある街の市場では長年、両民族が一緒に商売している。買い物中のセルビア系の老人は「北部のセルビア人も一緒に暮らせるはずなのに…」。共生への希望がないわけではない。【2月26日 産経】
********************

上記記事にあるセルビア系住民居住地での“集会”については、“集会に参加した警備員、マルコ・ラトビッチさん(30)は「コソボはここを自分たちの物にしようとしているが、セルビアの土地だ」と憤る。「対立の解決策は?」という記者の問いには、こう言い切った。「この地がセルビアに戻ることだ。みんながそう思っている」”【2月17日 産経】とのとで、「共生への希望」は実現までには時間を要しそうです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする