(タイ王室 中央に座られているのがプミポン国王 左後ろに立っているのがワチラロンコン皇太子、写真右端に立っているのがシリントーン王女・・・ではないでしょうか。間違えていたらタイでは不敬罪でしょうが、無知な外国人ということで許してください。 “flickr”より By atlantidochka http://www.flickr.com/photos/76975075@N07/7169362841/)
【カンボジア:想定外の王室人気】
全国民の4分の1とも3分の1とも言われる未曽有の犠牲者を出したポル・ポト政権による大量虐殺の時代を生き、ときに時代の中心におり、ときに時代の荒波に翻弄されたその半生は、カンボジアの激動の歴史を体現しているとも言えるシアヌーク前国王の葬儀が盛大に執り行われました。
****カンボジア 前国王葬儀 総選挙向け政治色濃い演出****
カンボジアのシアヌーク前国王の葬儀が2月1日から4日にかけて、首都プノンペンで執り行われた。前国王は昨年10月15日、療養先の中国・北京で89歳で亡くなった。遺体は10月17日に、妻のモニク妃、息子のシハモニ現国王、フン・セン首相らとともに帰国し、王宮に安置されていた。
葬儀は1日、特設された火葬場に前国王の棺を王宮から移送する儀式から始まった。「独立の父」として敬愛されたシアヌーク前国王に最期の別れをしようと、沿道には喪服姿の国民が詰めかけた。
葬列を待つ人々の表情に、北京から遺体を迎えた日のような衝撃的な悲しみはなかったが、無料で配られていた前国王の「ブロマイド」を手にしんみりと語り合う姿があちこちで見られた。
(中略)
一連の葬儀は、伝統にのっとって盛大に行われた。国立博物館前に急遽(きゅうきょ)設置された火葬場は、地元紙の報道によれば120万ドル(約1億1100万円)以上の経費を要したが、カンボジア政府が負担した。今年7月末に総選挙を迎えるフン・セン首相にしてみれば、手を抜くわけにはいかない葬儀だった。
◆王党派に恩恵
昨年10月、北京から帰国したシアヌーク前国王の遺体を出迎えた人々の熱気に、フン・セン首相の与党、カンボジア人民党関係者は「正直、驚いた」という。
繁栄を誇った1950年代、60年代のシアヌーク時代を知るお年寄りばかりではない。内戦すら知らない若い世代が、テレビで繰り返し流されるシアヌーク時代のカンボジアに驚き、関心を持ち始めたのだ。
今回の葬儀期間も、カンボジア国内のテレビ局はそろって50年代と60年代のシアヌーク前国王の功績をたたえる映像を流し続けた。葬儀を通じて、国民にはシアヌーク前国王の美しい記憶だけが残ったのだ。
シハモニ国王は、父親や長兄のラナリット元首相と違い、即位前も含めて政治には関与していない。だが、カンボジア政界には、シアヌーク前国王が創設したフンシンペック党や、愛国党といった王党派勢力が存在する。
ラナリット氏が昨年8月に政界からの引退を表明するなど、迷走を続ける王党派だが、想定外の王室人気を追い風に、政治に無関心だった層や、現政権への批判層の受け皿にもなる可能性が出てきた。
一方でフン・セン首相は、王室が必ずしも時代遅れの存在ではなく、若い世代も含めた国民の統合を象徴する「効力」があることも再認識したのではないか。
独裁との批判にさらされがちなフン・セン政権にとって、葬儀で盛り上がった王室人気は便乗する価値がある。7月の総選挙に向けて、フン・セン与党が王党派や無党派層をどのように取り込んでいくかが注目される。【2月6日 SankeiBiz】
*******************
カンボジアの政治の実権は、現在は完全にフン・セン首相が握っています。
7月に行われる総選挙を控えて、“今回の式典を前に、国営テレビでは連日前国王の特番が組まれているが、北京で死去した前国王のひつぎにフン・セン首相が寄り添う場面が繰り返されるなど、政権は前国王の人気を利用している節もある” 【2月5日 朝日】
【基盤が固いフン・セン政権】
シアヌーク前国王の次男で、シハモニ現国の長兄でもあるラナリット元首相が率いたフンシンペック党は、一時はフン・セン首相の人民党と勢力を二分する力を有していましたが、フン・セン首相に次第に追いつめられる形で勢いを失い、2008年の総選挙では僅か2議席(改選前26議席)と激減、90議席(改選前73議席)に増加した人民党とは比較にならない存在となっています。
ラナリット元首相も、党首解任、新党の資産不正売却で有罪判決、政界引退・復帰、更に再度の引退と、影響力を失っています。
こうした状況で王党派の復権があるのかという点に関しては、かなり疑問です。
カンボジアの政情は全く知りませんが、辣腕(ときに強権及び金権)をふるうフン・セン首相の前では、厳しいのではないでしょうか。
その独裁的・強権的姿勢に批判も多いフン・セン首相ではありますが、大量虐殺の悲劇から平和と経済成長の時代へとカンボジアを導いた実績において、多くの国民の支持を得ているとも言えます。
【タイ:プミポン国王、85歳の誕生日】
国王の死去が政治に与える影響という点では、フン・セン首相が掌握しているカンボジアよりも、タクシン・反タクシンの対立が続く隣国タイの方が遥かに大きなものがあります。
もちろん、タイのプミポン国王は健在で、昨年12月5日には85歳の誕生日を迎え、宮殿前の広場は祝福に訪れた約20万人の国民らで埋め尽くされたと報じられています。
軍部のクーデターが繰り返されるなど、タイの政治は必ずしも順調ではありませんでしたが、国民から深く敬愛されるプミポン国王の影響力で統一を保ってきたとも言えます。
しかし、近年は高齢のため健康を害することも多く、タクシン元首相支持派・反タクシン派で国を二分する争いについては、前面に出て影響力を発揮することがなくなっています。
【国王の健康問題はタブー】
年齢・健康状態からみて、最悪の事態も遠くないのでは・・・とも思われていますが、タイではそうした国王の健康状態に関する話は不敬罪で罰せられます。
****タイ国王の健康めぐる憶測コメントで禁錮刑4年****
一部の国では、証券会社の幹部やトレーダーが市場操作や違法取引をして刑務所に送られる。タイでは、Katha Pajariyapong被告(39)が今週そうなったように、王の健康状態について憶測を書いただけで同様の刑を受けることになる。東南アジアの主要な経済国の1つであるタイが、同地域の政治的に興奮しやすい国の1つであることを示すものだ。
バンコクのKTセアミコ・セキュリティ-ズのマーケティング担当幹部だったKatha被告は2009年、プミポン国王の健康状態という微妙な問題についてネット上に憶測を書いたとして、他の数人とともに逮捕された。
(中略)
現在は閉鎖されているサイトの管理者だったChiranuch Premchaiporn氏は、不敬罪法違反となる可能性のあるコメントを迅速に削除しなかったことで、執行猶予付きの有罪判決を受けた。
ある高齢者は今年、シリキット王妃を中傷するSMSテキストメッセージを送ったとして禁錮刑に処せられたあと、刑務所病院で死亡した。
さらに、ある出版者は来年1月、親タクシン派の雑誌に国王批判の記事を載せた容疑で裁判にかけられた。(後略)【12年12月28日 The Wall Street Journal】
**********************
【タクシン派・反タクシン派の対立とも連動する王位継承問題】
国王の健康に関して議論することはタブーとなっていますが、その死去がタイの政治・社会に大きな衝撃を与えるであろうことは誰しも感じています。
誕生日に国民の前に無理を押して現れたのも、その影響力の大きさゆえに「健在であることをアピールしなくてはならなかったのだろう」とも言われています。
水面下では、「Xデー」に向けた政治的動きなどもあるように報じられています。
****タイ国王「Xデー後」の混沌****
・・・・「王室周辺の努力はむしろ危機説を助長するだけで、政財界では『Xデー』は遠くないとの見方が広がっている」
継承手続きはベールの中
もちろん、こうした話は大っぴらにはできない。王室に対する「不敬罪」がいまだに機能するタイにおいて、国王の健康問題は最大のタブーだ。国王は、一昨年に重篤が噂された状態から持ち直しただけで、「年齢を考えれば回復するはずもなく、実際そうした発表はされない」(在バンコク英国人ジャーナリスト)。
(中略)
閉ざされた国立シリラート病院の病室で本当に起きていることは外部には漏れないが、王室が国王に無理をさせるほど不安が高まり、これが危機感に繋がっている。
東南アジア諸国連合(ASEAN)地域を代表する国として成長を続けるタイにとって、経済活動の継続を保証するための体制安定は最大の課題だ。王位継承を巡って混乱に陥れば、その衝撃は一昨年のドンムアン空港占拠事件や、水害の比ではない。
「タイ王室が愛されているのではなく、プミポン国王の個人的資質により敬愛を受けてきただけ」
前出ジャーナリストはこう語る。プミポンという柱を失えば、勢力争いに巻き込まれて瓦解すらしかねないと指摘する。実は、タイの王政はそれほど脆い。
王位継承の手続きは明確ではない。前回、ラーマ八世の死去に伴う継承が行われたのは六十六年前の話だ。当時のことを記憶している人間さえ少なくなっている。継承手続きを議論することさえできず、「微笑みの国」と言われる一方で世界報道自由度ランキングで百三十位台に低迷するタイのメディアで取り上げられることはない。
(中略)
影の部分のみが取り上げられるのはワチラロンコン皇太子だ。近年は国王の側にかいがいしく寄り添う姿が報じられる皇太子は、過去の放蕩のせいで、国民からの支持が低いことで知られる。
現行憲法は王位継承の概要に触れている。第二十三条によれば、後継者が指名されていれば国会で承認する手続きがとられる。指名がない場合は、枢密院が推挙することになっている。この「指名」の手続きはベールに包まれており、さらに、王子だけではなく王女を指名することも可能になっている点が禍根として残る。
主導権争いは不可避
実は、プミポン国王は七八年に、ワチラロンコン皇太子だけでなく、次女のシリントーン王女にも王位継承権を与えている。同王女は国王の信任も厚く、各国との王室外交へも名代として派遣されてきた。国内での人気は皇太子より圧倒的に高く、「シリントーン待望論」は皇太子に男児が生まれた〇五年以降も根強く残っているのだ。
「順当に皇太子が即位すれば、枢密院を中心とした既得権益者の反発が出る」 前出現地紙記者はこう語る。皇太子はかねてタクシン元首相からカネを受け取っているとの噂が絶えない。即位後に自在にコントロールするために、タクシン氏が接近していたとされる。だからこそ、〇六年のクーデターが発生し、同氏は放逐された。言うまでもなく、現在のインラック首相はタクシン氏の妹だ。枢密院や軍には焦りが広がっている。
「仮にシリントーン王女が即位した場合には、タクシン周辺が再び騒ぎ始める」
前出した日本人ジャーナリストはこう語る。どちらにせよ混乱は不可避だ。
問題はこの過程で動き出すと見られる軍だ。過去のクーデターが常に平和裏に行われたのはプミポンという重しが機能していたからに他ならない。(中略)
「Xデー後」に訪れる混沌は、国内だけでなく周辺地域経済にも濃い影を落とすことになる。プミポン国王がタクシン派を巡る対立を収められず、自身の後継問題を決着できぬなかで、刻一刻と「その日」が近づいている。【選択 2月号】
****************
ワチラロンコン皇太子に関する評価は、“タイ国内では不敬罪に触れる可能性があるため公の場で議論されることはまずないが、一般的にはかなり悪い。これはその親しみにくい人柄や、結婚と離婚を繰り返していることが「素行が悪い」と言う評価を作り出していることなどが挙げられる。これは国内外を問わず各地を訪問し地道に活動する妹のシリントーン王女の人気とは対照的である。このため未来の王位にはシリントーン王女が就くことを望む者が多いと一般に言われている。ラーマ9世が高齢の今、この不人気をどのように克服するかが今後のワチラーロンコーン王子の課題となっている”【ウィキペディア】とのことです。
シリントーン王女は言語学などの学識も高く、地方視察などを地道にこなし、気さくな人柄で人気が高い・・・・と、ワチラロンコン皇太子とは好対照ですが、独身で子供(跡継ぎ)がいないことが問題となります。
国民的に不人気ということはありますが、世継ぎ問題などを考えるとワチラロンコン皇太子が順当と思われてはいます。
ただ、皇室関係に大きな力を有する枢密院は、反タクシン派の牙城でもあり、タクシン派に近いとされるワチラロンコン皇太子を認めるか・・・?
そう遠くない時期に間違いなく訪れる「Xデー」。そのときタイは大きく揺れ動くこともあります。