この季節に昭和公園で見られる変わった花は、花弁が退化して蕊(しべ)が中心の花のチャセンバイ(茶筅梅)です。少し時期が早いかと思いましたが、数輪咲いていました。公園に行ったのは4日でしたので、1週間で見ごろになっていると思います。
(立川市国営昭和記念公園)
天気予報では関東地方では昨夜から雪が降るとのことでしたので、今朝は一面の銀世界を期待したのですが、吹き溜まりに少し雪がある程度でした。雪を待つ草に、マツユキソウ(待雪草:別名スノードロップ)がありますが、本来の意味は雪を融けるのを待って咲く草ということのようです。マツユキソウも春を告げる代表的な花です。
(立川市国営昭和記念公園)
今年のNHK大河ドラマは「江」ですが、長岡の実家の近くにも安浄寺という江の時代の寺があります。豪雪の中を古刹を訪ねてみました。江と徳川秀忠との間には、千姫、珠姫、勝姫、長丸、初姫、家光、忠長、和姫(後に天皇の后となる)の3男5女の8人の子供が生まれています。
安浄寺は越前家の松平忠直に嫁いだ高田姫(勝姫:徳川勝子)ゆかりの寺です。そしてこの寺には徳川家康の長子結城秀康、松平忠直、松平光長3代の位牌が伝わっています。越後中将光長の時代には菩提寺に加えられ(越路町史)、葵の御紋の使用が認められ、江戸時代はこの門前を通る時には、馬から降りたと伝わっています。 結城秀康は徳川家康の次男で、嫡男の信康がすでに亡くなっていたので、2代将軍の可能性もあった。事実、武勇に優れていたのは秀康で、主要な家臣が将軍の後継者に推したが、豊臣秀吉の養子になり、秀吉の死後豊臣秀頼と親しかったがゆえに、家康に毒殺されたとも梅毒で亡くなったとも言われます。秀康の嫡男の忠直は越前家を起こすのですが、これも兄の子ということで秀忠により改易となり、忠直と勝子の間に生まれた嫡男の光長が越後を譲り受けることになります。やがて光長も家督争いに伴う越後騒動で失脚し、結城家の家系は悲劇の3代となりました。勝子に仕えた御側用人が安浄寺に嫁ぎ、この3代の位牌を預かることになったと言われます。
これらのことは長岡でもあまり知られてないのですが、現住職が真宗大谷派(浄土真宗東本願寺派)の法人トップの宗務総長に就いていることからも、寺の格式の高さがわかります。 (長岡市)
安浄寺は越前家の松平忠直に嫁いだ高田姫(勝姫:徳川勝子)ゆかりの寺です。そしてこの寺には徳川家康の長子結城秀康、松平忠直、松平光長3代の位牌が伝わっています。越後中将光長の時代には菩提寺に加えられ(越路町史)、葵の御紋の使用が認められ、江戸時代はこの門前を通る時には、馬から降りたと伝わっています。 結城秀康は徳川家康の次男で、嫡男の信康がすでに亡くなっていたので、2代将軍の可能性もあった。事実、武勇に優れていたのは秀康で、主要な家臣が将軍の後継者に推したが、豊臣秀吉の養子になり、秀吉の死後豊臣秀頼と親しかったがゆえに、家康に毒殺されたとも梅毒で亡くなったとも言われます。秀康の嫡男の忠直は越前家を起こすのですが、これも兄の子ということで秀忠により改易となり、忠直と勝子の間に生まれた嫡男の光長が越後を譲り受けることになります。やがて光長も家督争いに伴う越後騒動で失脚し、結城家の家系は悲劇の3代となりました。勝子に仕えた御側用人が安浄寺に嫁ぎ、この3代の位牌を預かることになったと言われます。
これらのことは長岡でもあまり知られてないのですが、現住職が真宗大谷派(浄土真宗東本願寺派)の法人トップの宗務総長に就いていることからも、寺の格式の高さがわかります。 (長岡市)
いつもの年は新聞記事を読んでから出かけるのですが、今年は節分の翌日に昭和記念公園に、セツブンソウ(節分草)を見に行きました。こもれびの里には大勢のカメラマンが集まっていました。
(立川市国営昭和記念公園)