週間予報ではあまりはっきりしない天気であるが、予報に反して一日おきに晴れ、秋の空は本当にわからない。あさ晴れていると足が高尾に向かうが、この山は一日一日変化があり、奥の深い山と言っておこう。
きのうは裏高尾から日影林道を通り、一丁平経由で高尾山に登った。日影の手前に高尾山のトンネル工事現場があるが、きのうはこの付近から少し横道に入り、「列車空襲慰霊碑」に寄ってみた。
戦時中の昭和20年8月5日、終戦の10日前であるが、米軍の戦闘機P51が列車を銃撃した。死者52名負傷者133名の大きな出来事で、碑には犠牲者の名前と年齢が書かれている。列車空襲という未曾有の事件であるが、市街地の空襲での大勢の犠牲者の影に隠れ、事件を知る人は少ない。
地元の有志が毎年のように慰霊祭を行い弔ってきたが、この日も慰霊碑の前には新しい花が供えられていた。事件を象徴するような燃えるような紅葉と、圏央道のクレーンが重なっていた。
圏央道との説明なしの画像としては下段左の画像がよいのかな?
ところで圏央道は、仕訳リストには載っていない???
初めて知りましたが、列車空襲は忘れてほしくない出来事です。
日本のへそは我が県です・・・などと言っている県もあるようですが、新潟と神奈川の中間は群馬です、くらいがわかり易い。
とことこ17号線を走っていた頃が懐かしくなります。
齢とった
下段左の画像と最初の画像の紅葉は同じものです。慰霊碑の入口にありました。
列車空襲なんて、考えるだけでも恐い話です。低空で列車を追いかけたと思いますが、機関士もトンネルの中に必死で逃げ込んだのでしょうね。
52人のうちで60歳以上が3人、高齢社会の今なら、ほとんどが老人でしょうね。
裏高尾のバス停(水飲場のあるバス停)に案内の看板が出ています。
でも「湯の花トンネル」と書いて、いのはなトンネルですから、かなり訛っています。
合掌
今でも関越道と中央道は結ばれましたから、もう少しです。あと3年くらいでしたか。
慰霊碑の看板の隣に「高尾が泣いている」の文字が読めます。
圏央道では高尾山への影響は少ないと思いますが、最近の高尾山の混雑は銀座以上ですから、ミシュランが圏央道より自然保護には敵ですね。
先日の高尾の頂上