高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

愛宕山と長岡藩邸(後編)

2012-02-06 06:28:30 | 歴史
幕末にイギリス人ベアトが、愛宕山から写した江戸の街並みは、当時の大名屋敷を正確に伝えるものとして極めて貴重です。正面に写った屋敷が長岡藩邸です。


(ベアトが愛宕山から見た長岡藩邸)


(尾張屋板江戸切絵図から愛宕下之図)

幕末の長岡藩邸は、皇居二重橋付近に上屋敷、愛宕下に中屋敷、深川と広尾に下屋敷、向島に預かり屋敷がありました。上屋敷は藩主の役職により、たびたび屋敷が変わりますが、中屋敷などはほとんど同じ場所にありました。
尾張屋板の切絵図では、御紋が付いているのが上屋敷、■が中屋敷、●が下屋敷です。また文字の頭方向が、屋敷の入口になります。
都市図画家の立川 博章氏は、明治陸軍の測量図、古文書、古地図、浮世絵等の情報から、江戸の町並みを鳥瞰図で再現しましたが、空から町を見たような素晴らしさです。
幕末に西郷隆盛と勝海舟が愛宕山に登り、江戸の町を戦火から守ることを話し合ったといいます。この鳥瞰図のような光景が、二人の前に広がっていたのでしょうね。

 
(立川博章氏の江戸鳥瞰図から愛宕図の一部)

この日は新潟から上京された長岡藩士の末裔が、五間梯子の肩章を持参しました。長岡城が落城し、八十里越から会津の戦火を潜り抜けた貴重な品物です。


(長岡藩の五間梯子の肩章)

 
(長岡藩中屋敷のあった場所)

長岡藩邸の詳しいことについては、“江戸の長岡藩邸めぐり”、五間梯子については、“長岡藩藩旗の「五間梯子」”をご覧下さい。

(東京都港区)

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2 コメント

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五間梯子!! (腰元おK)
2012-02-06 23:40:56
 こんばんは。
 私も愛宕には行ってみたいです!
 この間N○Kの放送で愛宕山を見かけましたので、春になって足の具合が良くなってきたら行ってみたいものです。
 増上寺には行った事あるのですが、東京タワーも登ったことがないです。

 今回の日記、五間梯子の画像UPして頂いてありがとうございます
 2回撮影させていただいたにも関わらず、私の携帯のカメラは何故か綺麗に撮れなかったです
 ご自身で既に見かけていらっしゃるかもしれませんが、海外の義姉上様にも画像オススメしてきますね
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背中に乗せて男坂を上るとか (寅太)
2012-02-07 09:47:52
腰元おKさま、おはようございます。
久しぶりに雨が降っています。
週末から来週にかけ、法事で長岡に行ってきます。
足の具合が悪かったら、馬垣寅九郎が背中に乗せ、男坂を登るのはいかがでしょう。
多分、重さに耐えきれず、数段でばてると思います。
増上寺は何回も行っています。
徳川家の霊廟に入れたのが良かった。
自慢ではありませんが、近くに勤務していながら、寅も東京タワーは登ってはいません。
血染めの五間梯子はバッチリ撮れています。
パラオの出城には、先日の一番槍に続き、また攻め込みましたよ。
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