幕末にイギリス人ベアトが、愛宕山から写した江戸の街並みは、当時の大名屋敷を正確に伝えるものとして極めて貴重です。正面に写った屋敷が長岡藩邸です。
幕末の長岡藩邸は、皇居二重橋付近に上屋敷、愛宕下に中屋敷、深川と広尾に下屋敷、向島に預かり屋敷がありました。上屋敷は藩主の役職により、たびたび屋敷が変わりますが、中屋敷などはほとんど同じ場所にありました。
尾張屋板の切絵図では、御紋が付いているのが上屋敷、■が中屋敷、●が下屋敷です。また文字の頭方向が、屋敷の入口になります。
都市図画家の立川 博章氏は、明治陸軍の測量図、古文書、古地図、浮世絵等の情報から、江戸の町並みを鳥瞰図で再現しましたが、空から町を見たような素晴らしさです。
幕末に西郷隆盛と勝海舟が愛宕山に登り、江戸の町を戦火から守ることを話し合ったといいます。この鳥瞰図のような光景が、二人の前に広がっていたのでしょうね。 この日は新潟から上京された長岡藩士の末裔が、五間梯子の肩章を持参しました。長岡城が落城し、八十里越から会津の戦火を潜り抜けた貴重な品物です。 長岡藩邸の詳しいことについては、“江戸の長岡藩邸めぐり”、五間梯子については、“長岡藩藩旗の「五間梯子」”をご覧下さい。
(東京都港区)
尾張屋板の切絵図では、御紋が付いているのが上屋敷、■が中屋敷、●が下屋敷です。また文字の頭方向が、屋敷の入口になります。
都市図画家の立川 博章氏は、明治陸軍の測量図、古文書、古地図、浮世絵等の情報から、江戸の町並みを鳥瞰図で再現しましたが、空から町を見たような素晴らしさです。
幕末に西郷隆盛と勝海舟が愛宕山に登り、江戸の町を戦火から守ることを話し合ったといいます。この鳥瞰図のような光景が、二人の前に広がっていたのでしょうね。 この日は新潟から上京された長岡藩士の末裔が、五間梯子の肩章を持参しました。長岡城が落城し、八十里越から会津の戦火を潜り抜けた貴重な品物です。 長岡藩邸の詳しいことについては、“江戸の長岡藩邸めぐり”、五間梯子については、“長岡藩藩旗の「五間梯子」”をご覧下さい。
(東京都港区)
私も愛宕には行ってみたいです!
この間N○Kの放送で愛宕山を見かけましたので、春になって足の具合が良くなってきたら行ってみたいものです。
増上寺には行った事あるのですが、東京タワーも登ったことがないです。
今回の日記、五間梯子の画像UPして頂いてありがとうございます
2回撮影させていただいたにも関わらず、私の携帯のカメラは何故か綺麗に撮れなかったです
ご自身で既に見かけていらっしゃるかもしれませんが、海外の義姉上様にも画像オススメしてきますね
久しぶりに雨
週末から来週にかけ、法事で長岡
足の具合が悪かったら、馬垣寅九郎
多分、重さに耐えきれず、数段でばてると思います。
増上寺は何回も行っています。
徳川家の霊廟に入れたのが良かった。
自慢ではありませんが、近くに勤務していながら、寅も東京タワーは登ってはいません。
血染めの五間梯子はバッチリ撮れています。
パラオの出城には、先日の一番槍に続き、また攻め込みましたよ。