高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

春日山城散策(歴史のたび2)

2009-01-27 01:29:14 | 地理

先日、シャコバサボテンを撮ったが、蕊がどうもはっきりしなかったので撮りなおしてみた。花の少ないこの時期に咲く貴重な花である。

昨日の続きであるが、兼続(妻夫木聡)とお船(常盤貴子)が、春日山城の北にある府内湊に出かけた。目的は景虎(玉山鉄二)と景勝(北村一輝)の妹菊姫(比嘉愛未)の婚礼の祝いの品物を贈るための買い物である。
当時の府内湊は7万人の人口をかかえて越後で一番賑わっていた。


(やっと蕊も撮れたシャコバサボテン)

現在の上越市は以前は春日山などの高田市と、海寄りの直江津市に分かれていた。府内湊は直江津にあたる。昔を知る者には高田と直江津に馴染みがあり、上越線の知名度が高いので、上越市の名前には少し違和感がある。
ここで直江津と直江兼続の不思議な組み合わせに疑問が起こるが、鎌倉時代にはすでにこの付近は直江庄(荘)と呼ばれていたので、兼続が命名したものではない。
やがて兼続が家名を継ぐ直江氏の先祖が、この直江庄付近に所領を持つ豪族だったとする説もある。そして戦国時代なると上杉謙信の重臣として与板城(長岡市)の城主になったようである。
謙信の時代に繁栄した府内湊も、景勝の会津への国替えにより、後を治めた堀秀治や松平忠輝の時代になると寂れていった。現在の上越地方の直江津は工業地帯である。 


(春日山から見た直江津)

コメント (4)
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