豊田の生活アメニティ

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台湾紀行

2011-05-06 | 気になる本
 海外へ行く場合は日程や宿、それに基本情報は事前に調べるますが、歴史、文化などは帰ってからの方が多いです。今回は時間が取れ少し本を読もうと思いました。台湾へは5、6回目になります。台北は何度も行ってます。地震の視察では台中へ行きました。彰化県鹿港、基隆、花蓮も行っているし、高雄へ新幹線で行きたいと思い、エバー航空を予約しました。
 まずは棚にあった司馬遼太郎の街道をゆくを手始めに読みました。台湾は小さな島国で、戦争の歴史でもあります。オランダ、清、日本の植民地であり、今は中国の1国2制度となっています。本を読んでいて台南の歴史が書かれていて、古都の台南に興味が湧きました。17世紀にオランダ人が築いたゼーランジャ城の跡があります。「オランダは17世紀の栄光の時代の最盛期に台湾にやってきて、衰退がはじまるころに台湾をさった」とあります。マラッカに行った時も、オランダ支配の跡がありました。アジアの国で英語や日本語が残っているのも、戦争の爪痕と言えるでしょう。同じ土木技師の八田興一にも興味がありますが、日程が難しいようです。彼は多大な功績を上げたが、「陸軍に徴用されフィリッピンに向かう途中」撃沈されたとあります。私の父親もフィリピンへ行ってますが、九死に一生を得て敗戦を迎えました。「工学は、受益者である世の人たちに高度な余裕を生みださせるためにある、という。なにやら現代の私どもは広井に対して恥じ入らざるをえない。鉄道をふくめた土木文明の発達のためにかえって忙しくなっており、その上、“過剰な土木”によって政界の腐敗さえまねいている」という文は含蓄があります。気になる文が他にあります。日本はなぜ台湾を捨てたのかと聞かれ、「日本がみずからの意志で捨てたのではなく、昭和恐慌以後、“満州”や中国での膨脹政策があだをなし、ついに15年間も戦争をしたすえに台湾を捨てざるをえなかった。ポツダム宣言受託によって捨てさせられたのである」。「日露戦争がおわって、膨大な戦費やら外債やらが、国民生活を逼迫させていた。」とありました。日清・日露戦争とアジア・日本近代史を読み直したいと思います。
<時の話題>
 菅総理が浜岡原発の中止を中電に要請しました。歓迎します。原発に代わる風力、太陽光、小水力などの代替エネルギーや節電を考える社会にしなくてはなりません。写真は家の近くで見つけた雉です。
コメント
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