3日目、台南から高雄へは台鉄の特急で行こうと駅へ歩いて行きました。地下道にはホームレスが2人寝ていました。切符を買おうと筆談しましたが、自強は11時過ぎとのこと、EXPRESSと言ってくれた切符は普通でした。しかし、来た電車は鈍行で月曜日のため、通勤・通学の風景でした。満席でしたが、若い学生さんが席を譲ってくれました。疲れた外国人とみられたのか、高齢者と見られたのか親切を受け入れました。高雄の駅は新しくなっていましたが、隣に写真の古い駅舎が保存されていました。ロッカーを探しましたが、コインではなく諦めました。やむなくタクシーでホテルへ行き荷物を預けました。
帰ってから、西澤泰彦(2008)『日本植民建築論』名古屋大学出版会を、再度拾い読みしました。台湾の歴史概要は「旅々台北.com」で大筋理解できます。歴史は別の機会にして、植民地時代の建築遺産をどう読み解くか、この本が参考になります。歴史的な背景を著者は良く理解しているとが以下の分から推察できます。「列強による領土獲得を目指した戦争は、獲得を予定している地域に軍隊を送りこんで占領し、戦争に勝てば、相手からその地域を割譲させるといのが常套手段であるが、台湾は日清戦争の戦場にはならなかった。にもかかわらず、台湾の日本への割譲が決定したため、台湾の住民にとってはまったく予期できぬことであり、反発を強めた台湾住民は清の役人と糾合して台湾民主国を設立し、日本軍への抵抗運動を展開した。」とあります。植民地建築と日本様式、西洋様式との相違、意匠、材料など興味深い論述であります。さらには、台湾の「日本びいき」、反日感情対策などについては後日にします。
帰ってから、西澤泰彦(2008)『日本植民建築論』名古屋大学出版会を、再度拾い読みしました。台湾の歴史概要は「旅々台北.com」で大筋理解できます。歴史は別の機会にして、植民地時代の建築遺産をどう読み解くか、この本が参考になります。歴史的な背景を著者は良く理解しているとが以下の分から推察できます。「列強による領土獲得を目指した戦争は、獲得を予定している地域に軍隊を送りこんで占領し、戦争に勝てば、相手からその地域を割譲させるといのが常套手段であるが、台湾は日清戦争の戦場にはならなかった。にもかかわらず、台湾の日本への割譲が決定したため、台湾の住民にとってはまったく予期できぬことであり、反発を強めた台湾住民は清の役人と糾合して台湾民主国を設立し、日本軍への抵抗運動を展開した。」とあります。植民地建築と日本様式、西洋様式との相違、意匠、材料など興味深い論述であります。さらには、台湾の「日本びいき」、反日感情対策などについては後日にします。