Con Gas, Sin Hielo

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「のぼうの城」

2012年12月15日 09時20分51秒 | 映画(2012)
芦田愛菜が若い。


東日本大震災の影響で1年以上も公開が先送りになった本作。そりゃ愛菜ちゃんも小さいわけだ。

そのことが結果的にどう影響したか定かではないが、興行成績はまずまずと聞く。

先送りの要因となった水攻めの場面は、確かに刺激が強かったかもしれない。CG自体はちょっとちゃちに見えたけれど。

主役の「のぼう様」こと成田長親を演じるのは野村萬斎

数年振りの映画出演というが、あまり色に染まっていない彼を主役に起用したことで、つかみどころのない長親の人物像がうまく立ったといえる。

敵方としてあいまみえる石田三成の描き方もおもしろい。主君・秀吉をして、理知に富むが戦略には長けていないとの評価を受ける微妙な立場。

一つ結果を得さえすれば能力に関係なく登り詰める者もいる。そういった意味では、やはり本作でも悲運の武将である。

一方で長親の人物像は、決してでくのぼうではないものの、間違っても戦に関しては「能ある鷹」というわけでもなかった。

彼が徹底していたのは人心の掌握に尽きる。

平時は田畑に赴き、いや、赴くというよりは遊びに行っていたのに近いが、民と同じ景色を見て空気を吸った。現代の政治家が口を揃える「現場主義」の実践だ。

そして、関白の巨大軍勢を前にしての開戦の決意も、無謀と承知の上でも民衆の立場を第一に考えたものであった。

彼の周りに戦いの術に秀でた者がいたことは確かだが、それも彼の人徳の成せる技と言えるのかもしれない。

おもしろいのは、これが今語られていることだ。個の能力をそれぞれが追求するよりも、それを組み合わせて最大の力を発揮することこそ、生き抜く術だということである。

それは同時に、たとえ厳しくてもどこかに光明はあるということを教えてくれてもいる。

「のぼう様」の、決して悲壮感の影を見せない姿ってのは、トップとしてまず心得るべきことだと思った。

明日は、国のトップを決める1日である。

(65点)
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