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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「X エックス」

2022年07月18日 17時56分05秒 | 映画(2022)
シルバー社会に果敢に物申す。


電車で立っているお年寄りを見かけたら席を譲りましょう。交差点で困っているお年寄りがいたら、手を引いて一緒に横断歩道を渡ってあげましょう。

高齢者は人生の先輩であり、やがて自分が行き着く先でもあるのだから親切にするのが当たり前、と道徳の時間などで教わってきた。

しかし最近、タチの悪い高齢者クレーマーの話題をよく聞くように、高齢者=弱者という図式が成り立たなくなってきた。

何しろ、どの年齢で区切るのかにもよるが、高齢者は数の上ではマジョリティである。票数が多いから政治も若者より高齢者優遇の政策を取らざるを得ず、本来あるべき将来の国のビジョンを立てることができない。

話はずれたが、本作は高齢者へのリスペクトなど微塵もない、極めて不道徳な作りとなっている。

屈強な高齢者といえば、「ドントブリーズ」の盲目のじいさんを思い出すが、彼は老人らしからぬパワーを見にまとった、いわばモンスターであった。

今回、ポルノ映画を撮影しに来た主人公たちを追い込む老夫婦は、普通の、いや普通よりも朽ち果てた身なりで客を迎え入れる。顔はしわだらけ、腰は曲がり、話す言葉も聞き取りづらい。とにかく製作者の悪意が集中して込められたように外見が醜いのである。

そんな老夫婦だが、なぜか若さへの執着だけは人一倍あり、特にばあさんはその執着をこじらせて若い客人たちに突然牙を剥くという、とんでもないキャラクター設定になっている。

ポルノ映画の撮影を窓から覗くともう歯止めが利かない。若い男性に、若い女性に、果ては連れ合いのじいさんにまで迫る迫る。

高齢化社会の中で、年を取るのは素敵なこととある種慰めの言葉が交わされる中で、見た目は汚い、力はない、でもこじらせた執着心だけは持っているという、ここまであからさまに年寄りを醜く描くとは、もはや驚きを超えて清々しくもあった。

あの性格では優しくしたところで満足しそうもないし、ある意味関わったら最後という感じ。前日譚を見れば、彼女が特殊な存在であることが分かって、少しは救われるのだろうか。

(65点)
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「ソー ラブ&サンダー」

2022年07月17日 09時32分44秒 | 映画(2022)
ガンズ&ローゼズVSマリリンマンソン。


サノスとの戦いの後、アスガルドをヴァルキリーに譲り、ガーディアンズオブギャラクシーの面々と共に宇宙へと旅立った雷神・ソーが久々に銀幕に戻ってきた。

これまでのシリーズは「マイティソー」と冠されていたが、今回は単なる「ソー」。マーベル印で確実に客は呼べるという判断は時の積み重ねの成果に違いなく、配給側の大きな自信を感じる事象である。

とはいえ、かなり時間も経過していることから、本篇中では親切な説明の場面が結構出てくる(語りはおそらくコーグ役のT.ワイティティ(監督兼任)。コーグの存在自体忘れかけていた身からするとありがたい配慮であった。

一種の喪失感から故郷を離れたソーであったが、全宇宙で神々を殺害する事件が発生していることを知り、再び戦いの場へと戻ることになる。

型通りにガーディアンズとの別離を済ませた後は、ソーの本来の居場所である神々の世界で話が展開する。

それにしても、素顔をほとんど見せない"神殺し"ゴア役のC.ベールとか、神々の頂点に立つゼウスのR.クロウとか、加えておそらく気付いていないカメオ出演などもあるはずで、改めてぜいたくな配役に驚く。

話は「神々の世界」の危機のレベルであり、絶望的なものでもなければ意外性があるわけでもない。ソーも余力を残しているようにも見え、力を尽くした死闘というよりは、かつての恋人や跡を継ぐ者たちとの関係が軸となった物語に見受けられた。

愛する者たちとしっかりと向き合う姿勢を示すことでソーの成長を匂わせ、最後の情景へと移る。ソーは再び戻ってくるが、次の作品ではまったく新しい彼を見ることができるだろう。

他方、軽妙なやりとりも健在で、特に元カノのものとなったハンマー(ムジョルニア)に未練たらたらで、現在の相棒である斧(ストームブレイカー)からお灸をすえられる場面がところどころに登場して空気を和ませる。

「ラブ&サンダー」とは一見ふざけたタイトルだが、ソーの立ち位置を考えればこれほどぴったりなものはないのである。

(75点)
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「はい、泳げません」

2022年06月25日 01時04分33秒 | 映画(2022)
助けがほしくて、ただ手を伸ばした。


6月は映画館へ行かないうちに20日を超えてしまった。ちょっと空き時間ができそうなので、何を観ようかとラインナップを当たってみた。

世の中的には、空前のヒットとなっている「トップガン:マーヴェリック」が最有力なのだが、何を隠そう前作を見ていない。加えて最近気分が低めで、どうにもノリの良い作品を観る気にはならず、「傷ついた人生に光を灯す」という言葉が宣伝でうたわれていたこちらの作品を選んだ。

大学で哲学を教える教授・小鳥遊雄司は顔を洗うこともできないほどの水恐怖症であるが、ある日一念発起して水泳教室に入学する。

教室では薄原静香という女性がコーチを務めていた。「人魚のようなコーチ」と書かれているが、小鳥遊が教室に通うようになったのは彼女が目的ではないらしい。

その謎は、小鳥遊が水への恐怖を拭い去るのと同じスピードで少しずつ解き明かされていく。彼は未来のためにではなく、過去と向き合うために泳げるようになろうとしていたのだ。

外から水の中の世界が見えないように、水の中には別の世界が存在する。泳ぎを習得した小鳥遊は水の中で子供の声を聞く。そして閉ざされた記憶の底にある過去の風景が見えてくる。

一見コミカルに捉えられるタイトルと裏腹に、映画の後半は人生を一変させた出来事に立ち向かおうとしては挫折する小鳥遊の苦悩が続き重苦しい。

ただ、そこを完璧に癒やすのが静香コーチを演じる綾瀬はるかである。

凛とした女性の役を多く演じているにも拘らず、彼女は常に「天然」の衣をまとっているように見える。今回の、屋外に出るとまったく人が変わってしまうという設定は少し行き過ぎの感はあったが、彼女が演じると、これはこれでありかもと思ってしまうところが凄さである。

彼女のキャラクターに限らず、水泳教室で一緒になるおばちゃんたちの設定や会話など、いかにも邦画な居心地の悪さを感じる演出は多かったが、綾瀬はるかに癒してもらえたのでプラスマイナスゼロ。水泳教室に思い切って飛び込んだ小鳥遊と同様に、映画館に足を延ばしたから救われたというところか。

(65点)
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「シン・ウルトラマン」

2022年05月21日 12時58分42秒 | 映画(2022)
ゾフィーは意外に冷酷だった。


最初にテレビ放映されたのが1966年7月というから、ジャストな世代ではない。ただ再放送は頻繁にやっていたと思う。見たこともあると思う。

「思う」ということは、記憶にないか実際は見ていないか、いずれにしても個人的にさほど思い入れがないということである。記憶にあるのは、遊んでいたメンコのデザインなどにウルトラマンの怪獣が使われていたことくらいだろうか。

「シン・ゴジラ」が大ヒットした庵野秀明氏が再び国民的キャラクターの再起動に挑んだ「超」の付く話題作。

このクラスのキャラクターになると、それぞれがそれぞれの強い思い入れを持っているわけで、その期待に応えるということは相当な難行である。ただこういう人はプレッシャー以前に作ることが楽しいのだろう。評価が得られればそれに越したことはないが、他人の賛否はそれほど気にならないのだろう。

話が逸れたが、記憶も思い入れも薄い立場でフラットに本作を観た感想としては、「まあ面白いね」というところだった。要は「シン・ゴジラ」に比べて気持ちがあまり入らなかったわけだが、この辺りの理由を考えてみる。

登場するのは怪獣だったり、地球外生命体であったり、どちらも非現実的な世界観をベースにしていることは変わりない。それでも「シン・ゴジラ」に思い入れができたのは、ゴジラを他の災禍に置き換えたときに政府の対応などの描写が突然現実味を帯びてくるという疑似体験ができたことにある。

今回、人間は「シン・ゴジラ」と比べるとまったくなす術がなく、突然現れたウルトラマンにすべてを頼るしかない。そんな無力な存在ながら一生懸命仕事を続ける禍特対の人たちは、それはそれで一種現実味があっておかしくも悲しいのだが、がっちりと感情移入するには物足りない。

ただウルトラマン=異星人に斎藤工というキャスティングはこれ以上ないはまり役だったと思う。indeedのCMもそうだが、どこか体温が低い感じがするのである。彼の起用だけでもこの映画は成功だと思う。

ストーリーはいくつかの怪獣のエピソードを詰め込んだものになっていたようだが、これぞ「怪獣」という敵はダイジェスト扱いで、ウルトラマンと心理戦を繰り広げる場面が多かった。過去を知っている人には受けたかもしれないけど、もう少しバランスがあってもよかった気がする。

次は「シン・仮面ライダー」が待機。東映作品というのが個人的には引っ掛かるところ。

(70点)
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「ドクターストレンジ/マルチバースオブマッドネス」

2022年05月05日 19時05分35秒 | 映画(2022)
超人たちがザコキャラになってる異界があるらしい。


「スパイダーマン:ノーウエイホーム」で描かれ始めたマルチバースの世界。指南役として登場したドクターストレンジを中心とする物語が満を持しての公開を迎えた。

聞いた瞬間は複雑なイメージを受けるマルチバースであるが、よく考えれば、これまでのアベンジャーズのドラマも、それぞれのキャラクターが活躍する別の世界を結び付けたものであり、違いといえば、異なる世界の中に別の自分が生きているという点だけとも言えるわけで、時空を超える話よりもタイムパラドックスに縛られない分自由度が高いかもしれないと思うようになった。

実際、今回の見どころは、登場人物が異界に生きる自分と対峙する場面であり、それは何度も登場する。タイムスリップものならタブーである「自分VS自分」も、ベースが同じ人間でも環境によって性格は変わるので何の矛盾もなく描けるのである。

物語の鍵を握るのは、マルチバースを行き来する能力を持つアメリカという名の少女。彼女は、身の危険が迫ると突然知らない世界へ飛ぶ、というか飛ばされてしまう。

その能力に目を付けた敵役は、ある世界で解決できない問題も、どこか別の世界ならば対処法を見つけられるかもしれないという理屈で、最強の能力を手に入れようと彼女を襲いに来る。

飛ばされた異界で常に彼女を護るのがドクターストレンジである。しかし、ある異界でストレンジは彼女を裏切り護ることに失敗する。それを夢の形で知らされた「主人公の」ストレンジ。現実に飛ばされてきた彼女を何とか護るために、禁断の異界渡りの冒険の扉を開く。

パラドックスのタブーがないとは言え物語が複雑になることは間違いなく、この世界観をいかに違和感なく落とし込んでいくかがこの映画の最も大きいノルマであったが、引っ掛かりはほぼなく理解することができた。

映画の構成上、主人公のストレンジが暮らす世界(616という番号が付いていたかな)が別の異界をパワーで圧倒する描写があったのはご都合主義的ではあったが、まあ許容範囲か。

異界でゾンビになるストレンジをはじめ、至る場面でホラー映画のような演出が見られたが、本作の監督はS.ライミ。やっぱり好きなんだと実感。

ストレンジもスカーレットウィッチもいろいろな顔を見せたが、R.マクアダムス演じるクリスティーンは引き続き、永遠に結ばれない可憐なヒロインに終始。これからも良き理解者としてストレンジが道を外さないよう見守っていくのだろう。ポストクレジットの展開は若干気になったが。

(80点)
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「映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝」

2022年04月24日 09時41分43秒 | 映画(2022)
30周年、山もあれば谷もある。


映画「クレヨンしんちゃん」が3年ぶりにゴールデンウィークに帰ってきた。が、正直なところ困惑している。「クレしん」的要素はそれなりに盛り込まれているのに、おもしろくないしわくわくしなかったのだ。

舞台設定があり得ないのは劇場版に関してはいつものことだし、引くような下品なギャグも本作に限ったことではない。それでも良い作品のときはクライマックスには自然と涙があふれるほど心を揺さぶられるものなのに、今回は途中から明らかに自分と画面の間に線が引かれてしまっていた。

強いて挙げれば導入のところだろうか。突拍子もない話だとしても、はじめは日常の何気ない野原家の風景が描かれるところを、今回は忍びの一族の来襲があまりにも早かったのではないかと。

たとえば前作の「謎メキ!花の天カス学園」では、みんなで体験入学をするということになって、希望に胸を膨らませる風間君や初めての外泊に心配を隠せないみさえたちの様子が描かれ、学園の人たちが現れ、少しずつ学園の異変が醸し出されることによって、観る側は映画の中に入っていった。

それに比べると、今回の忍びの里の情報は一気に上から降ってきた感じで、物語の構成上難しくなってしまったという印象である。

また、クライマックスを飾るもののけの術という動物の化身を呼び出す忍法の設定も、どこか空回り感が否めなかった。

これまでのクレしんは、子供向けの皮を被りながら親世代の五感をくすぐるネタをところどころに入れ込んでくる印象があったのだが、大型化した動物たちは完全に子供向けの画となっており、そういう明確な意図があってしたことであれば仕方ないのだけれど、まあ物足りないのひとことに尽きる。

どんな一流アスリートでも毎回完璧なパフォーマンスができるわけではないし、そういうこともあるよねと思うしかないと思っている。来年は「しん次元」だそうだ。企画先行で中身が伴わないものにならないよう期待しています。

(45点)
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「コーダ あいのうた」

2022年04月16日 23時56分18秒 | 映画(2022)
すべてのヤングケアラーに幸あれ。


毎朝、通勤時にはスマートフォンで音楽を聴いている。電車の揺れと相まって眠りへと誘われる、神経をすり減らす平日の中の束の間のリラックスタイムだ。

主人公のルビーに対し、パートナーのマイルズが尋ねる。

「ご家族は音楽を理解できるの?」

周りに常に音がある生活を送る者には想像ができない世界。父母と兄、自分以外のすべての家族がろう者という環境で育ったルビーは、小さい頃から家族と世間をつなぐ役割を求められてきた。

漁業を営む一家の手伝いは物理的にも多忙で、学校生活を楽しむこともできないでいたルビーは、選択制の課外活動として合唱を始める。

それは元々歌が好きだったことに加えて、少し気になる男子生徒のマイルズが合唱を選択したことを知ったからであった。しかし、この何気ない選択が彼女の運命を変えることになる。

この映画には、印象的な場面がいくつかある。その中でも出色だったのが学校の秋のコンサートの最中、音声が完全に無音になる場面である。

作品は全体を通してルビーの視点で描かれる。家族と世間をつなぐ役割の大変さや、初めて抱いた夢への希望と葛藤。そんなひたむきに生きる彼女の姿にエールを送り続けてきた中で突然訪れる静寂。そこで観る側は、初めて父たちの立場に自分を置き換えることになるのである。

歌っているルビーの表情。横に目を移すと彼女の歌に聴き入る観客の姿が。別の席を見ると涙を浮かべている人もいる。

彼らは手話の通訳を通して相手の言葉を聞き取る。そして、ルビーの歌の素晴らしさを周りの人たちの反応を見て確信するのである。

コンサートが終わった後、父はルビーに今日の歌をもう一度自分に歌ってくれと頼む。今度は周りに誰もいない。父は手をルビーの首筋にあてがい彼女の歌を感じる。

ここまでストレートに愛を語る作品って、最近あまりなかったのではないだろうか。観終わった後のすがすがしさが格別だ。

物語のキーとなる2つの曲、"You're All I Need To Get By"と"Both Sides Now"もいずれも大好きな曲、完璧である。ちなみに、元ネタとなった「エール!」は残念ながら観ていません。

(90点)
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「モービウス」

2022年04月09日 22時32分55秒 | 映画(2022)
力が人の心を塗り替える。


いわゆるヴィランが主役になる映画は「ヴェノム」に次いでということになるが、作り方はなかなか難しい。

観客の感情を引っ張ってくるためには、過去の不幸なできごとから負の能力を持ってしまったという筋書きにならざるを得ず、結局は悪役というよりもダークヒーローという収まりになる。

ヴェノムもこのモービウスもスパイダーマンの敵というのが一般的な認識らしいが、この後会いまみえることになるのだろうか。「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」みたいになりはしないかと少し心配する。

ノーベル賞級の世界的権威であるマイケル・モービウス医師は、幼い頃から血液の難病に苦しんできた患者でもあった。努力と執念で開発した人工血液は人々に生きる希望を与えたが、彼は更なる治療法を求め、血液を食料とするコウモリによる血清開発に取り組んでいた。

マウスの実験が成功し、彼は自らの肉体で人体への臨床試験を始めるが、そこで悲劇が起こる。

人を救いたいという純粋な気持ちが、図らずも怪物を生んでしまうというのは、悪役あるある、定番中の定番である。しかしさすが主人公、マイケルはダークサイドに堕ちずになんとか踏み止まる。

代わりに怪物の恐ろしさを知らしめるのが、幼い頃に同じ療養施設に入っていたマイロことルシアンである。療養施設時代は、近所の子供たちに突き飛ばされるひ弱な少年だったのが、大人になったら何故か悪役顔の金持ちに。M.スミスの顔を見たら、この映画のストーリーが読めてしまった。まあいいけど。

コウモリを使った治療は病気に対し劇的な効果をもたらすものの、血液を接種しないと健康を維持できない体に変わってしまうという劇薬であった。

人工血液よりも生身の人間の血液の方が効果はてきめんで、血液を摂取した直後は、ハルクもびっくりの超人的能力を発揮する。体が不自由だった立場から一気に超人へ。よほど高貴な精神を持っている人でない限り、そのスーパーパワーの虜になってしまうのは仕方ないというところか。

スーパーパワー発揮の場面は、さすがのJ.レトでも技術の手を借りずには演じられなかったようで、瞳孔が急激に縮小したり、耳が周囲の音に反応して振動を起こしたり、非常ににぎやかな画面となる。ただ、覚醒したルシアンの顔がどう見てもJ.キャリーのマクスにしか見えないという何とも言えない状況に。顔が緑色じゃないからいいか。

(75点)
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「SING/シング:ネクストステージ」

2022年03月26日 21時06分10秒 | 映画(2022)
考えるな、歌え!


前作の「SING」から5年も経ったんですね。動物たちは元気です。地元のシアターは満員御礼。盛況の中でみんな幸せに過ごせているようです。

しかしそれでは続篇は始まらない。支配人のバスタームーンは更なる野望を持っていたという設定で、一座はラスベガス(をモチーフとしたエンターテインメントの聖地・レッドショア)へ向かうことに。

新旧のポピュラー音楽が脈絡なく矢継ぎ早に飛び出してくる構成は前作と変わらず。印象的なのは、レッドショアの芸能プロダクションビルに忍び込むときの"Bad Guy"。清掃スタッフに成りすます主人公たちがコミカルで楽しい。

そして本作の目玉が、隠遁生活を送る伝説のロックスター、クレイ・キャロウェイ。演じるのはBonoだ。

80年代の洋楽を鮮やかに彩った第2次ブリティッシュインベイジョン。数多くのアーティストたちがヒットチャートを賑わせたが、40年近くを経て、結果として最も影響力を持ったのはU2であった。

あくまで印象だが、他のグループがどちらかというとビジュアルやファッションが先行していたのに比べて、音楽的に尖った部分や、政治的なメッセージが内包された独特な立ち位置を持っていた彼ら。

87年の"The Joshua Tree"で世界的な成功を収めて以降は、音楽のみならず慈善活動にも精力的に取り組み、Bonoはノーベル平和賞候補にも選出されるなどいまだにカリスマとして君臨し続けている。

その存在感の大きさからして、米国民でないながら、この映画のこの役として登場することに誰も異論を挟むことはできないだろう。

心の底から振り絞るようにして歌う"I Still Haven't Found What I'm Looking For"。これは沁みる。

というわけで、本作は他の映画にも増してオリジナル字幕版で観るべき作品だと思うのだが、ちなみに日本語吹き替え版ではこの役、B'zの稲葉浩志氏が担当したそうだ。

全篇を通して音楽の素晴らしさを体感できるし、はらはらする展開もおもしろい。夢に向かって努力すれば必ず報われるというメッセージも文句は付けられない。けど、個人的には過ぎた上昇志向に少しついていけないかも。

(80点)
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「ドライブマイカー」

2022年02月14日 00時27分42秒 | 映画(2022)
自分の人生に真剣に向き合え。・・・ってことでいいですか?


史上初めて日本映画がアカデミー賞作品賞の候補になったということで、にわかに脚光を浴びることになった本作。今週あたりからは上映館数も一気に増え、感染症対策で座席を間引いている状況とはいえ、シネコンの中でも比較的大きいハコがほぼ完売するなど盛り上がりを見せている。

しかしこの作品、地上波TVでもなじみが深い西島秀俊を主演に置いているものの、メジャー系ではまったくなく、アート色が前面に強く出た作風になっている。

いきなりベッドシーンの冒頭(行為の後ではあるが)。女性がやおら語り出すが、内容は性的な表現を含むとても奇抜な物語。客席の多くを占める高齢者が果たしてついて来られるのか余計な心配をしてしまう出だしから、けだるさの雲に覆われた空気が全篇を覆う。

やがてこの男女は夫婦であることが分かる。夫は舞台俳優・演出家で、妻は脚本家。冒頭のやりとりはこの夫婦独特の様式で、妻が脚本のアイデアを性行為の途中に閃きしゃべり出すと、夫がそれを記憶し形にすると言う。

・・・。どうやらこの映画は、ぼくの世界観とは完全にねじれの位置にあるようだと気付くのに、それほど時間はかからなかった。

芸能の世界で生きる人たちの日常、アンティークな外国産車への愛情、多言語文化を採り入れた意識高い系の演出と、舞台装置のすべてが、ことごとく外れている。

そのためか、夫婦をはじめとした出演者たちの意識や行動にも共感することができない。眼前から聞こえてくる言語を聞き取ることはできるが、何一つ響いてくるものがない。

ただこうした作品を高く評価する人たちが一定程度存在するだろうということは理解できる。

公式HPを見ると、「妻を失った男の喪失と希望」とある。

結婚して20年余りのある日、妻は突然夫の前から姿を消した。しっかりとした愛情で結び付いていると思っていたけど、それは真実だったのだろうか。

別離から2年、仕事で長期滞在した広島で専属運転手の女性に出会う。複雑な家庭事情で育った彼女と少しずつ心の交流を深めていく夫。彼らが辿り着いた答えとは。

客観的によく練られた脚本とは思えるが、この辿り着いた先が「希望」?

夫婦の数だけ愛情の形があるのだから、夫が納得したことを否定しても始まらない。そう思うしかない。

本作がアカデミー賞作品賞を獲れるかって?村上春樹がノーベル文学賞を受賞するくらいの確率はあるのでは。

(25点)
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