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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「チケットトゥパラダイス」

2022年11月09日 21時34分55秒 | 映画(2022)
浮世離れの安定感。


G.クルーニーJ.ロバーツ。20年以上トップに居続けるザ・ハリウッドなトップスター2人の競演。それでいて大作感のない肩の力を抜いたようなハッピーな娯楽作品というところが、逆に目を引く本作。

二人の役どころは10年以上も前に別れた元夫婦のデヴィッドとジョージア。顔を合わせれば必ず嫌味の言い合いになるほど相性は最悪。

そんな二人の唯一の共通点が一人娘への愛情の深さだったのだが、その娘が卒業旅行で訪れたバリ島で現地の男性に恋をして結婚を決断してしまう。

これは一大事と休戦協定を組んで何とか結婚を思いとどまらせようと旅立つのだが・・・というお話。

G.クルーニーが演じるデヴィッドは決してかっこいい父親ではない。口は悪いし、踊りもダサい。年頃の娘にとって、愛情はあるけど若干うざったいという典型的な父親である。

一方のジョージアも、まだまだ恋愛は現役で知り合いのパイロットから求婚されているという設定ではあるが、必要以上にデヴィッドを罵ったり、娘の結婚を邪魔するために非道徳なことをしてしまったり、こちらも欠点が露出した、決してスマートじゃない女性となっている。

しかし、この困った両親も二人のスターが演じると何をやっても気品やオーラがにじみ出てくるから不思議だ。世の中アンチエイジングと言って背伸びしてがんばっている人が多いけど、元が備わっていれば、大スターじゃなくてもそれなりに輝いていられるのではないだろうかと少し思った。

映画の紹介では、なんとか娘の結婚を阻止しようと二人が駆け回るような印象を抱くが、上に書いた二人の気品も手伝ってドタバタコメディーにはなっていない。両親とも実際には結婚を潰そうという気持ちは半分程度で、もう半分は自分の娘を信頼して結婚を確認しに来ているように見えた。

そんな娘のリリーを演じたのは、「ディアエヴァンハンセン」でも好演していたK.デヴァー。彼女の理知的な佇まいは、両親の揺るぎない信頼を理解する助けになっている。

他の登場人物も悪人はおらず、南の島の明るい陽射しが常に降り注ぎ、物語も絵に描いたようなハッピーな展開を見せる。

驚きや発見があるわけではないけれど、閉塞感に覆い尽くされそうになる中で、映画館にいるときくらいは幸せな気分に浸りたいという思いにしっかりと寄り添ってくれる、実は稀有な作品なのであった。

(75点)
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「天間荘の三姉妹」

2022年10月30日 15時55分25秒 | 映画(2022)
生ある者の再生と、生なき者の救済と。


観る前にどの程度の情報を持つことが正しいのか。これは映画人生の永遠のテーマである。

本作について知っていたのは次の二つ。何かの原作のスピンオフ作品であること。そして、主人公が生と死の狭間の世界に迷い込む話であること。

天間荘はその狭間の世界・三ツ瀬に建つ旅館。やって来るお客は現実の世界では瀕死の状態にあり、この旅館に滞在する間に生き返るのかあの世へ旅立つのかを自分で決めなければならない。

ある日、天間荘へ連れてこられた主人公・たまえ。彼女は実は天間荘で働く若女将・のぞみと、その妹で近所の水族館で働くかなえの、腹違いの妹であった。

物語の前半は、右も左も分からない世界に連れてこられながらも素直な心で奮闘するたまえと、突然知らない親族が客としてやって来て戸惑いながらも、たまえの純粋さに心境の変化を見せる姉たちを中心に進む。

この時点で本作の世界のルールは分からない。ただ確実なのは、この旅館の宿泊客が相当な「訳あり」であることであった。

1か月も滞在している財前さんは気難しく、大女将や若女将の言うことを聞かなかったが、たまえのことは気に入って次第に笑顔を見せるようになる。

たまえと姉たちが決定的に異なっている点、そしてこの世界が生まれた謎が、後半に怒涛のように描かれる。

日本人は無宗教者が多いと言われるが、それは決して信心がないとか欠けているとかいうわけではなく、おそらく我々の多くは他国の人たち以上にスピリチュアルなものへの関心が高い。

それはこの国が豊かな自然を有する一方で、災害の危険性と常に隣り合って生活しているからにほかならない。だから、個人としての神を信仰するのではなく、もっと大きな括りでの祈りを捧げるのである。

長い歴史の中で何度も大きな自然災害に遭ってきた我々は、この世界がときどき理不尽なことを起こすのを知っている。それでも打ち負かされる度に立ち上がってでき上がったのが、いまのこの国なのである。

三ツ瀬に暮らす人たちの何が違うのか。なぜのぞみたちが財前さんとそりが合わなかったのか。それは彼女たちがある種の諦めを抱いていて、その空気感が伝わったからではないのかと感じた。

現実を見ずに安住の地に居ることは楽かもしれない。しかしそれでは前へは進めない。

生きているとままならないことがたくさんある。むしろ上手くいくことの方が少ないかもしれない。でも、生まれた意味はきっとある、自分の役割はきっとあると思えば、この世界も案外悪くないと思えるようになるのではないか。

エンディングで流れる玉置浩二絢香の曲。ただ綺麗なのではなく、昼の日差しも夜の闇も、夏の暑さも冬の寒さも、すべてを湛えるから世界は美しいのである。

主題歌もそうだが、配役がとにかく豪華。ほぼテアトル系専属だったのんが座長の作品に、カメオ出演を含めてこれだけの俳優陣が集まったことに感動した。

ただ、この舞台装置だったら、主人公をのんが演じるのは必然としか言いようがない。宮城県人にはとにかく刺さる。中村雅俊高橋ジョージは県人枠というところか。

(90点)
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「LAMBラム」

2022年10月24日 22時55分02秒 | 映画(2022)
歪んだ幸せは長くは続かない。


羊と「禁断」の組み合わせで思い出すのは、クローン羊として世界的な話題を呼んだ「ドリー」である。

羊って、見れば見るほど表情が乏しく1頭1頭の違いが分かりづらい。そのうち、小屋で飼われている何頭もの羊が、ドリーの印象も相まってクローンもしくはCGか何かの合成に見えてきてしまった。

もちろん禁断の存在である「アダ」は特殊技術で作られたモノに間違いないのだが、小屋で飼われていた羊や、自分の子供を心配して家に見に来た羊はどうだったのだろう。

事前の情報で「アダ」がどのような存在なのかある程度知ってはいたが、映画の中ではまったく説明がない。前半に出てくる人間がイングヴァルとマリアという羊飼いの夫婦だけなので台詞もほとんどない。なので、禁断が誕生する瞬間もことのほか淡々と進み、二人は当然のようにそれをわが物とする。

人間の年齢にすると4歳か5歳くらいになったのだろうか。二人とアダは完全な親子として日常を送っていた。ともに食事をし、農作業に出かけ、お風呂に入り、寝床に就く。

ある日、イングヴァルの弟が現れてともに暮らすことになる。ここでも二人は当然のように彼にわが子を紹介する。戸惑う弟にイングヴァルは告げる。

「これは我々の"しあわせ"なんだ」

常識的には疑うべきであるにも拘らず、イングヴァルと妻のマリアにとってその存在は必然であった。これは神が私たちに授けた贈り物に違いない、と。

弟はこの狂気をあいまいに受け入れたが、終わりは突然にやって来る。

二人は誤ったことをした。ただ、それを責められるかといえば断定はできないような気がする。埋められずにいた心の隙間が原因で、思いがけず落とし穴にはまってしまったと考えると、突拍子もない設定ながら極めて普遍的な話であると感じた。

(70点)
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「グッドナース」

2022年10月22日 10時51分37秒 | 映画(2022)
誰かがどこかで止めていれば。


ジェンダーフリーがかなり世の中に定着し、男女を分ける言葉やカテゴリーの多くが姿を消したり形を変えたりしているが、幸いにも"nurse"という単語には性別を固定する概念がなかったため引き続き、というよりもむしろ頻繁に使われるようになった気がする。

本作に登場する主役二人も女性と男性の"nurse"である。細かい背景は説明されないが、二人とも子供を持つが配偶者とは別離しており、自らの収入で生計を立てなければならない看護師という立場にある。

特に女性看護師のエイミーは心臓に危険な病を抱えており、子育てと仕事と健康維持という難題をぎりぎりのバランスで毎日をこなしている。そんなときに男性看護師のチャーリーは、夜勤のヘルプとしてエイミーの病院へやって来た。

多くの病院で勤務した経験を持つチャーリーは、仕事での助けになる以上にエイミーの体調や家庭を気遣ってくれるようになる。そんな彼に信頼を寄せるエイミーであったが、その傍らで病院では不可解な事件が立て続けに起きるようになる。

冒頭に流れる過去の別の病院での緊急事態の様子でストーリーの柱は予測が付き、実際その予測に間違いはなく、そういった意味で展開の妙を楽しむ種類の作品ではない。

しかし、それを差し引いても主役の二人を演じるJ.チャステインE.レッドメインに終始目が釘付けになる。

苦しみ、悲しみ、信頼、疑惑と揺れ続けるエイミーに対し、常に包み込むような穏やかな表情のチャーリー。しかし、その笑顔のすぐ下にはどす黒い感情が蠢いていたのである。

本作は実話に基づいた話であり、映画の中でも実際にも犯罪の動機は不明とされている。

確かにわが国でも、医療機関や介護施設に勤務する者が患者や利用者を標的にした犯罪を犯す事件を聞くことがある。おそらく彼らは根っからの犯罪者ではなく、その職業を目指したときは尊い目的を持っていたはずだ。

しかし何かがそれを変えた。医療や介護ばかりではない。国会議員も不祥事を起こした企業の役員も同じである。

この映画の中で最も衝撃だったのは、事件に関わった病院がことごとく隠ぺいに走っていたことだ。悪い報せほど早く報告するのが鉄則と言われる中で、あまりに手に負えない案件だと蓋をしてしまおうとするのは万国共通なんだと虚しい気持ちになった。

一連の事件で被害に遭った遺族の方々に心からお悔やみを申し上げたい。

(80点)
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「ブレットトレイン」

2022年10月01日 23時19分46秒 | 映画(2022)
列車の旅はいつも楽しい。


B.ピットって、名前が超の付くメジャーでありながら、あまりブロックバスター的な娯楽大作に出るイメージがない。

だからこそ本作にはとても意外性を感じた。それに加えて舞台はわが日本である。公開から1か月と遅れたが、待ちに待った鑑賞であった。

ハリウッド映画に出てくる日本といえば、何を置いてもとんでも設定である。フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ、スモウ。この辺りを適当に出しておけばいいという演出がよく見られたものだ。

主な原因として、日本の社会や文化への無知に加えて、ある種の人種的蔑みによるものがあったのだろうと思われるが、さすがに今の時代にそこまでひどいものは見られなくなった。

本作も弾丸特急の描写を中心にツッコミどころは満載である。何しろ車内で殺し合うのだからリアリティからかけ離れるのは当然。

しかし、色彩等見せるための演出の範囲でのデフォルメこそ多いが、一貫してリスペクトを感じられるし、何より常に楽しく見ることができたというのが正直なところ。

クセの強い人物がぽんぽんと出てきて、ところ構わず殴り合いや殺し合いを始めるのも、ぶっ飛んでいるがとにかくテンポが良く見入ってしまう。それでいて全員のキャラクターが立っているので置いてきぼりになることもない。

特にうれしかったのは、真田広之の扱いである。数々のハリウッド作品に出演しているが、どちらかと言えばかませ犬的な役が多かった彼が、今回は重鎮として文字通り作品に重みを与える役回りになっていた。

米中が覇権争いをする世の中になって、ますます存在感が薄れていく中で自信を失くしているわが国。そんな時代に何故本作が作られたのか。それともそんな時代だからこそ作られたのか。

完全な娯楽作品だから政治的なメッセージは一切含まれていないが、ハリウッドがお金をつぎ込んでこんな作品を作ってくれたことがとてもうれしい。

(90点)
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「百花」

2022年09月19日 06時27分16秒 | 映画(2022)
記憶の迷宮を彷徨う。


劇場の予告で何度も見たこの作品。特に菅田将暉が好きというわけではないのだが、バックに流れる音楽の不安定なメロディーが妙に気になっていた。

実際に観てみると、それは主人公の働き先で開発したヴァーチャル歌手が歌う曲として使われていた。力を入れて開発したが、世間からの評判はいまひとつという設定で、スタッフ曰く情報の詰め込み過ぎで特徴がわからなくなり魅力がなくなってしまった、とのこと。

「忘れる機能を追加しておけばよかったですかね?」とご丁寧なコメントも付けて、記憶を失っていく主人公の母親と明確に対比させる存在となっている。

記憶をなくすのは悲しいことだが、それが人間の良さでもあり、それぞれが持つ魅力や過去の思い出が損なわれるわけではない、ということを言いたかったのではと推測する。

認知症が急速に進行する母と息子の現在と、二人の関係に影を落とす過去の出来事が交互に映し出される。様々なことを忘れる中で母の頭に残り続ける「半分の花火」とは何か。

母のあいまいな記憶が若干ミステリー仕立てになるところや、母と息子ならではの微妙な距離感、空気感といったあたりは巧く描けていると思う。

母親といえども一人の女性。理屈ではわかっていても息子という立場ではすんなりと消化できるものではない。もやもやしているうちに、母親はあっという間に遠ざかっていく。

全般的に物悲しく、認知症が進むという前提では二人の完全な和解というハッピーエンドも見出せない。最後は、残された者が物理的にも感情的にも折り合いをつけて乗り越えるしかない。やっぱり生前整理はしておかないと。

原田美枝子はまだ60代前半だから認知症を演じるには相当早いのだが、この役は女性の「気」を漂わせる必要があったので配役としては妥当であった。しかしメイクとはいえ老けた顔をアップで撮らせるのだから女優さんは大変だ。

(75点)
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「さかなのこ」

2022年09月04日 09時07分00秒 | 映画(2022)
21世紀の生きるファンタジー。


彼女が地上波などの、いわゆるメインストリーム的な媒体に出なくなってから、どのくらい経っただろう。

ただその間世の中も少しずつ変わって、テレビに出ずとも活躍の場を至るところに探すことができるようになった。

むしろ他の同年代の人たちと明確に異なる活動を続けることで、彼女の存在感は一層際立つ方向に働いている。

その証拠が、いまだに一定の間隔で主演映画が作られ、その作品に多様な才能を持った製作陣や共演者が集まってくるということだ。

そんな彼女の個性や境遇を端的に示唆した言葉が、本作の冒頭に画面に現れる。

「男か女かはどっちでもいい」

これはジェンダーフリーよりも広い意味で、本作の主人公である「さかなクン」、そして主演ののんの存在の強さを結び付けるものである。

小さいころから魚好き、というより魚のことしか頭にないミー坊。学ランを着ている場面や、周りの人たちと交わす言葉の端々から推測するかぎり、設定としては男子だ。

しかし、そのことは脚本の中心にはほとんど反映されない。話としては、ひとりの魚好きの子供であった「ミー坊」が周りの人たちを巻き込み、時には支えられながら、「お魚博士」になるまでの物語として完結している。

劇中のエピソードは、おそらく原作をかなりアレンジしたものであろう。多分にドラマ的であり、ありえなさやベタな展開が目立つ。

ただ、設定や主人公の存在がやや宙に浮いた話であることから、これをファンタジーと捉えればなくはないかと思えてくる。そしてそこに「のん」の存在はかっちりとハマる。

蛇足になるかもしれないが、ファンタジーでありながらもその裏にある暗い部分も透けて見えるところは興味深い。愛情に包まれてすくすくと成長したミー坊の陰で、家族は別離して、母親は厳しい経済状況に陥っている様子が、何の説明もなく描かれている。

夢を叶えることは可能だけどそれなりの代償要るよって、どこか斜に構えた感じは嫌いではない。

(70点)
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「NOPE/ノープ」

2022年08月28日 06時26分58秒 | 映画(2022)
ありえない世界を描くと言えば。


J.ピール監督は、当欄では「ゲットアウト」が大当たりで、「アス」が大外れという極端な結果が出ているが、好き嫌いはどうあれ、現在の映画界でこれまで観たことのない斬新な作品を作り続けるという意味ではとても期待している監督である。

今回の舞台は米国西部。広大に開けた視界に映る大空。一見何の変哲もない田舎の景色だが、よく目を凝らすとそこにはずっと動かず形を変えない雲があった。

今回主人公を恐怖に陥れるのは地球外生命体、フィクションの存在という点では前作に近い。ただ、前作に近いからと言ってそれが良し悪しに直結しているわけではない。彼らが徐々に存在を露わにする過程のおどろおどろしさは、シャマラン監督の掴みを彷彿させるおもしろさでぐいぐいと引き込まれる。

映像や音楽についても、地球外生命体が使用する飛行物体や惨劇が起こる西部劇をイメージした娯楽施設などのデザイン、Corey Hartの"Sunglasses at Night"をはじめとした音楽の使い方といったところに、細かいこだわりや作り込みが感じられて好感が持てる。

若干残念だったのは、こちらの理解度が足りなかったり、字幕への翻訳の限界があったりするのかもしれないけれど、事象のつながりがすとんと落ちなかった点であろうか。

何より、冒頭に登場し、物語の鍵となっているはずのチンパンジーの悲劇と地球外生命体とは、娯楽施設のオーナーを介して線では結ばれているのだが、それぞれに発生した超常現象とも言える事象に明確な関連性が見られない。

主人公・OJの父親の不審死も同様である。地球外生命体が空から降らせた金属片により死に至ったことは間違いないのだが、それが何故起きたのか。何か彼らの心証を害することがあったのかは不明である。

そしてOJたちが地球外生命体の性質を学び取る過程も不自然である。「上を向く=彼らを直接見てはいけない」という中軸のルールにOJが気付くのは、かつて自分の馬が視線を感じた途端に暴れ始めたことから来ているのだが、なぜそこが繋がるのかがよく分からない。

チンパンジーも馬も彼らの仲間だというのであれば、挑発を感じたときの咄嗟の反応が似通るという点も納得がいくのだが、振り返るかぎりそうした描写はなかったと思う。

そんなわけで、見どころはたくさんあり楽しめる作品ではあるが、諸手を上げて賛辞を送るレベルまではだいぶ距離があると言わざるを得ない。シャマラン作品同様、次回にも期待はするけれど。

(70点)
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「トップガン マーヴェリック」

2022年08月17日 08時05分08秒 | 映画(2022)
「ならず者国家」とは、おたくのことだよ。


以前別の記事で書いたとおり、前作の「トップガン」を観たことがなかったことから選択肢として優先していなかった本作だったが、いまだにロングランを続ける大ヒットとなっていることもあり、満を持して予習をしてから観に行くことにした。

金曜日の夜中にPCの動画配信サイトにつないで、ポチッとDL、直後に鑑賞。昔は、わざわざビデオレンタル店へ行くも、話題作は山のようにある空のケースすべてに「貸出中」の札が付いていて、結局観る機会を逃すなんてことがよくあったのだけど、まあ便利になったものである。

マーヴェリックって、主人公の通り名(コールサイン)だったのね。そして、米国海軍の優秀な若手戦闘機パイロットを育成する組織の名前がトップガン。そこに集まった若き精鋭たちによる切磋琢磨に、友情や恋愛の物語を絡めた王道の作り。その年(1986年)の全米興行成績1位という成績は至極納得であった。

そして本作である。冒頭にトップガンを説明するタイトルが出て、航空母艦を戦闘機が離発着する光景とバックにK.Logginsの"Danger Zone"が流れるのは前作と同じつくり。ここで「この作品は前作を観た人が楽しめるように作っていますよ」という思いが伝わってくる。

前作との相似性もさることながら、36年を経て変わった点を探すことが非常におもしろい。

まずは脚本である。前作は冒頭からあからさまに「ミグ」という名前が連呼されるように、冷戦真っ只中で敵国と言えばソ連一択だったのであるが、今回は戸田奈津子女史の訳では「ならず者国家」とされている。

これは、現在の混沌とした世情の中で様々な敵が想定されるようになったことに加えて、商業的または道徳的な観点から敢えて特定の国家を名指しすることを避けたものであるが、逆に、昔の映画はよくもあそこまで具体的な設定ができたものだと思う。

本作に関しては、当初、前作でマーヴェリックが着用していたジャケットの背中にあった日章旗と中華民国国旗のデザインが中国への配慮で変更されたとの報道があった。その後、製作に加わっていた中国企業のテンセントが撤退したことに伴いジャケットのデザインが復活したようで、そのおかげか、最近の映画にありがちな不自然な中国への配慮描写がなかったのは良かった。

物語は、トップガンの教官として戻ってきたマーヴェリックの物語。

かつての自分たちを思い起こさせるように、個性豊かで怖いもの知らずな若者たちが教え子として登場する。彼らに性別や人種の多様性が見られるのも36年の変化である。

構成は前作と同様に、戦闘機のドッグファイトに友情と恋愛がてんこ盛りの王道の作り。

ただ、アクションシーンは、訓練に加えて「ならず者国家」の核関連施設を破壊するという実戦ミッションが加わり、ありえなさが"M:I"シリーズ並みのクオリティに。友情は、36年の時間を超えたかつてのパートナー・グースや盟友・アイスマンとの堅いつながりが泣かせる、といったようにこちらも一段階グレードアップ。続篇を作るなら前作を超えるものを、というT.クルーズのプロ根性を感じさせる。

アイスマンを演じたV.キルマー。プライベートでガンを患ったこともあり、今回のアイスマンの設定は、海軍としては一線を退いた大御所という役どころ。かつての友情からマーヴェリックにトップガンの教官となるよう働きかけるというものである。

T.クルーズ60歳の人並みならぬ若さ(撮影時は56歳とのこと)にはいつも驚かされるが、今回のV.キルマーは、それはそれで存在感十分。二人の再会の場面が作品全体の重しとなる効果をもたらしていた。

またまた年間1位を狙えそうな成績を残しているようだが、更なる続篇を作る流れになるのだろうか。他方、予告では"M:I"の続篇(2部作?)が。T.クルーズの超人ぶりはまだまだ続く。

(85点)
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「エルヴィス」

2022年07月18日 18時32分57秒 | 映画(2022)
思惑の範囲に収まらないのがスーパースター。


音楽映画はテンポが大事。そのあたりB.ラーマン監督は手慣れたもの。

才能に命が吹き込まれる少年時代、未知の世界を切り開き社会現象を巻き起こす黎明期、社会の壁と衝突しながらも自分を貫き進んで行く円熟期、そして家庭や健康の崩壊を経て迎える終末期と、エルヴィスが辿った波瀾万丈の人生を異なる色合いで小気味良く描いてみせている。

そして誰もが分かっていると思うが、本作のもうひとりの主役はエルヴィスを長年支えたプロデューサーのトムパーカー大佐である。

世間ではエルヴィスを食い物にしたとして悪役的な捉えられ方をされており、本作でもビジネスに徹底した言動や行動が際立っている。

しかし、ここが巧いところなのだが、大佐の語りで進む物語では、彼は必ずしもエルヴィスをいいように利用してるわけではない。

もちろん自分に儲けが転がり込むことが最優先だが、その手段として常に彼の才能を最大限に活かす方法を考えていた。そしてそこには彼や彼の家族の生活を守り長く商売を続けていくことも含まれていた。

二人の不幸はいくつかある。

まず、エルヴィスの才能が大佐の掌中に収まらなかったことである。人種問題で非難を浴びたときに大佐は路線を変更することで逆風をかわそうとしたが、エルヴィスは小手先の対処法を良しとはしなかった。

次に、エルヴィスが優し過ぎたことである。大佐と連れ添っていくことに限界を感じ、新しい仲間と世界を目指すと決めたはずなのに、最後に「お世話になった人だから」とあいさつをしに行ってしまった。そこで大佐の言葉に丸め込まれラスベガスのホテルショーに「軟禁」されてしまう。

ショウビズ界では、ステージを上げるために情を捨てて過去を断ち切ることはよくある話と承知しているが、それができなかったのである。世界は危険だからしばらくは米国内で活動って、確かに70年代は過激派が相当はびこっていたけど、米国だって劇中に出てくるような暗殺事件が起きていたじゃないか。

そして最後は、エルヴィス自身のコントロールがままならなかったことだろう。映画の中で足早に彼の足跡をたどると、演出もあるだろうけれど、一定程度は大佐に従うものの最後は大爆発を起こしてしまう繰り返しである。

この手の伝記もので必ず辿り着く結論なのだが、スーパースターという生き物は、決まって生き方が不器用なのである。

現代はこうした不幸を出さないように、特に管理面で工夫がされているのだと思う。でも、逆説的だけど管理されている限りは常識を超えるスーパースターが出てくることはないような気もする。

改めてエルヴィスは幸せだったのかを考えてみると、上では不幸という言葉を使ったが、良い人生だったのではないかと思う。母親こそ早いうちに失ったが、父や妻子は少なくとも不幸な道を辿ったようには見えない。彼自身は好きな音楽に囲まれて生きることができたわけだし、その意味では、大佐はそこまで責められるべき人物だったようにも見えないのである。

クセの強い大佐役のT.ハンクスが安定した重しとなる傍らで、新星のA.バトラーはスーパースターをみずみずしく演じ、随所に若手アーティストを巧みに採り入れた音楽が彩るなど、非常にバランス感覚の優れた作品であった。

(85点)
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