原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

友だちが多くなくても、モテなくても…

2023年02月26日 | 自己実現
 本日は、2023.02.23付 朝日新聞の さほどメジャーではないコラム欄(失礼な表現であればお詫びしますが)より、「吉川トリコのダイヤモンドの味 死にたいぐらいの夜でも」と題する記事の一部を、以下に引用しよう。



 友だちは多い方がいい。 モテるに越したことはないし、結婚はもちろんしたほうがいい。 東大卒の医者と結婚した女は勝ち組。
 いまとなっては古ぼけた価値観だが、まだそこにいる人たちにとっては切実な問題だ。 「多様性」という言葉で彼らは救われない。 (中略)
 南綾子の小説「『死にたいって誰かに話したかった』に登場するのは、友達もいなければ恋愛経験もないKY女、非モテのストーカー男、セクハラと性犯罪を起こした元医師、だれかれ構わずマウントを取りたがる元セレブ妻。
 私(コラム欄の著者)は彼らを笑えない。 絶対に友だちになれそうにないし嫌悪感すらおぼえるが、愚かで無用な彼らは見ないようにしている自分の一面でもある。
 私たちが活きる現実がそうであるように、この小説に安易に開放はない。 こんな生きづらいのに生きている意味なんてあるんだろうか。 それでも、絶望の底から吐き出した言葉を黙って聞いてくれる人が隣にいるだけで、死にたいぐらいにつらい夜を生きのびることはできる。 そうやって、なんとか生きていくしかないのだろう。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 私見を述べる前に、当該文章を書かれたらしき作家の吉川トリコ氏とやらのご年齢の程を、ウィキペディアより調べさせていただいた。
 1977年生まれらしいので、現在40代半ば程の世代であられるようだ。

 そうすると、原左都子よりも20年以上お若い女性との計算となる。
 20歳以上も年齢差があるなると、当然ながら生きてきた社会情勢も大幅に異なることであろう。

 で、どうしたって??
 冒頭の文章を再度読ませていただくと。

 友だちは多い方がいい?? 
 これに関しては、我が若き時代にもそういった風潮はあったかもしれない。 ただ、この私はあくまでもマイペースを貫いていたなあ。 
 と言うよりも、私の場合、生涯を通して“仕事”や“学業”に恵まれた環境下にあったことが幸して、友達に限らず人間関係全般において、それらと連動していた印象がある。

 モテるにこしたことはない??
 まあこれに関しても、上記の友達の話題と連動するのだろうが。 
 そうそう原左都子の場合、生来の“遊び人”だった事実が活きたかも?!? よく働き、よく遊ぶ、と申しますか、それらすべてを積極的にこなしてきたと言えるかも??

 結婚ねえ。
 なんせ“遊び人”の私だから、当然結婚なんか後回しさ!!
 でも、40過ぎる手前で見合い結婚を自ら志し、伴侶にも一人娘にも恵まれて、その後の人生を歩んでいる。
 
 東大卒の医者と結婚した女は勝ち組??
 元々医学部出身の私故に、医者との結婚を目指せばその機会はあったかもしれない。 ただ、その時代には結婚願望が全く無かった。
 上述の如く、結婚は自らの希望で40近くまで後回しにしている。



 ただ、吉川トリコ氏は、このコラムを素晴らしい文章で締めくくっておられる。 その部分を、今一度 繰り返そう。
 「絶望の底から吐き出した言葉を黙って聞いてくれる人が隣にいるだけで、死にたいぐらいにつらい夜を生きのびることはできる。」

 そんなお相手が身近におられるのなら、何ら不服も困惑も無いはずだ。


 おそらく人が生きる時代や年代にかかわらず、この世の中にはいつも様々な人々の価値感が交錯していることであろう。

 そのように多様な価値観が渦巻く世の中で、自分らしい生き様を紡げる相手との出会いこそが、ささやかな幸せを人にもたらすのかもしれない。


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