原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「発達障害」の誤診、子供の場合放置されるよりたとえ誤診でもケアした方が成長に繋がるかも…

2021年05月13日 | 医学・医療・介護
 今回のエッセイに於いては、少し前(日付不明)の朝日新聞書評記事「あいまいな境界 連続する症状」を参照させていただく。


 早速、当該記事の一部を以下に要約引用しよう。

 「親の育て方が悪いからだ」といった発達障害への誤解は減った。 代わりに「片付けが苦手」というような一面的な特徴が独り歩きしている感は否めない。
 (医師側が)、人を先入観で見てしまうとの経験も少なくない。
 自閉症スペクトラム障害(ASD)や注意欠如多動性障害(ADHD)などベースにある発達障害と、二次的に発症するうつ病や依存症、統合失調症などの精神疾患。症状の類似や併存もあって診断を困難にしてしまうのが本書のなす考えだ。 (中略)
 検査値や画像で判断する他の病気とは違って、精神科の診療は、本人の申告、医師の主観や経験に頼らざるを得ない。 診断基準として使われることの多い米精神医学会の指針は、該当する項目数で判定する。 現状では信頼できる医師に巡り合えるまで、ときに病院を転々とすることもやむなしとする。
 とはいえ、発達障害は本来、あいまいな境界を持ちながら連続していると考えるのが自然だ。 米国の基準をそのままあてはめてよいかも疑問が残る。

 (以下略すが、以上岩波明著「発達障害はなぜ誤診されるのか」に対する朝日新聞論評委員氏の書評の一部を引用したもの。)


 いきなり我が子の私事を語るが。

 出産直後から、とにかく“育てにくい子”だった。
 我が子の場合、緊急帝王切開手術の末に仮死状態で誕生(「仮死産」に関しては、義母の配慮で2歳になるまで産んだ母の私には隠されていた。 後日談だが、何故医学関係者である私にそんな大事な事を伝えてくれなかったのかと、実に腹立たしかったものだ。 ただし子供の成長とは実際2歳程になるまで差異がさほど目立たないものだ。 義母の配慮通り、我が子が2歳過ぎてから“発達の遅れ”に気付き病院を受診して正解だったのかもしれない。)

 産んで間もない頃から、我が子の子育ては“違和感続き”だった。 
 というのも、私自身が実母から  “赤ちゃんの時から大人になるまで放っておいて育つ子だった” と言われ続け(実際に放ったらかされて)育っている。
 それを耳にタコができるほどに聞かされていた私だ。 自分が産んだ子もおそらくそうであり、私はラクができるかも… と思うのも無理はなかっただろう。

 ところが、首が座らない、ハイハイしない、いつまでも立たない、2歳になっても発語が出ない…  (いや後で思えば、人よりは有意に発達が遅かったものの、それらすべてを遅ればせながら達成できたのではあるが…)
 我が子2歳時にこども病院にて診断を受けたところ、「明らかに発達の遅れがある」との診断が下された。
 その後、専門研究所等々で「発達障害」の相談・指導を仰ぎつつ…

 我が子が小2時点で、親(私と主人)の判断で外部組織によるすべての相談・指導活動(弊害も大きかったが故に)を終了し。
 その後は現在に至るまで(医学・教育指導経験がある)母の私が日々娘へのサリバン教育を施しつつ、娘は目覚ましいまでの成長を遂げて現在に至っている。


 我が子に「発達障害」の診断(正確に言うと、当時は未だ「発達障害」との言葉は大っぴらには使用されていなかった時代背景だったが、要するに何らかの支援・指導を施すべきとの診断)が下されたのは事実だ。

 我が子の場合、とにかく寡黙で放っておくといつまでも“ぼーーーっとしている” というのが特徴だった。  寡黙はともかく、日々“ぼーーーーっと”しない働きかけこそがキーポイントだったものだ。
 これ、今思い起こすに、かなり大変な作業だった。
 あれこれと娘の興味を引く事象を四六時中提供せねばならない母親のしんどさを、お分かりいただけることであろう。 
 その後幼稚園、小学校へと進学し、自宅に帰宅する娘の表情が日々“死んでいた”…
 そりゃそうだろう。 我が子の場合寡黙であることが功を奏して周囲に迷惑が掛からない。  放っておけば黙ってぼーーーと座ってくれる子を邪険に扱う教員もいないであろう。 (児童からの“いじめ”を受ける運命を辿ったものの…)
 帰宅後が大変だ!  特に小学校に入学して後は、学校で教わった一日分の復習や宿題課題を日々手伝ったものだ。

 ただその分、娘にも優越感を与えたい親心として、娘が得意そうな音楽やバレエ、そして造形教室へ通わせたものだ。 その中で、バレエは後にも活きている。
 就職後娘の意思でダンススタジアムへ通い、ヒップホップの発表会を秋葉原のライブスタジオまで亭主と見に行ったのも束の間… 
 世は“コロナ禍”へと移り行き、娘の趣味まで奪い去ってしまった…

 などと我が娘の発達障害の歴史を振り返っていると、すぐに時間が経過してしまう。 



 話題を表題に戻そう。

 確かに「発達障害」が叫ばれた当初時代に、必ずやささやかれたのが「親の育て方が悪いからだ!」との決まり文句だった。
 いえいえ、私の場合は我が子の発達障害が“他者に迷惑を及ぼさない”症状だったが故に、その言葉を投げかけられることはただの一度もなかったのだが。

 更には、我が子に限っては(我が日々弛まぬサリバン力の恩恵か??)後に「うつ病」や「依存症」とも無関係の人生を歩んでくれている。
 相変わらず寡黙ではあるものの、大学卒業後 “IT技術者”として正社員で新入社した企業にてこの春6年目を迎え、未だ現役で頑張ってくれている。

 サリバン母としてはそれで十分だ。

 これからも、現在までの27年に及ぶ娘の“サリバン業”を愛情と共に更に続行できたならば。
 娘は今後も今まで通りの誠実な道程を歩んでくれることだろう。