原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私ほど義父に大事にされた嫁はいないだろう

2021年05月16日 | 人間関係
 私の場合、亭主とは“晩婚”のため、婚姻時点で義父は既に72歳だったと記憶している。

 義父は娘が中一の冬に亡くなったのだが、計算するとおそらく享年84歳だったのだろう。
  
 同居をしたことはただの一度もないが、婚姻当初義父母が暮らす亭主の実家が管理運営するアパートの一室に(ただで😜) 6か月間住まわせてもらった。 (その後も義父母から超高層タワーマンションの一室をプレゼントされたものの、住み心地が悪いと亭主が判断して、たった1年少しで大損失を計上して転居した事実も既に公開済みだ。)
 当初住んだ義父母経営アパート時代に、義父と関わる機会は多かったかもしれない。

 以前にも記載したが、義母の家系とは代々お江戸日本橋で事業(日本橋の船問屋だったようだが)を執り行う家系だった。
 義母が直系跡継ぎであり、義父はその養子として後にその家に入ったとの関係で、どうしても義父は義母に“頭が上がらない”立場だったようだ。
 私と亭主の見合結婚に最終的にGoサインを出したのも、もちろん義母。
 いつも義母より“一歩下がっていた”義父は、それに素直に追随した形のようだ。


 そんな義父は、嫁である私のことを「〇〇さん」と“さん”付けで呼ぶよう、義母から徹底的に教育されていたようでもある。(当然、義母も今尚そう呼んでくれている。)
 初回ご対面から亡くなる直前まで、一貫して私のことを「〇〇さん」と呼び続けて大事にしてくれた義父だった。

 いつも我が家を義母と共に訪れる際には、必ずトータルファッションお洒落いでたちの紳士であり、ケーキの大箱を持参してくれることも忘れたことが無い。 
 孫である我が娘を抱っこをしたりして、随分と可愛がってくれた。 義母が言うには、「長女(亭主の姉・既に他界)の息子には一切無関心で、抱っこなどただの一度もしなかった」らしい。 これはおそらく、我が娘が女の子だったことと、義父が年齢を重ねたことによるものだろう。 
 
 お酒を愛好する方で、我々が亭主の実家を訪れたり、また原家親族皆で外食処で食事をする際には必ず酒宴となった。
 私が“大酒飲み”である事実は婚姻以前より亭主の両親にバレていた😫 のだが、ただの一度も“女だてらに…”などと非難されるどころか。 
 義父が率先して「〇子さん、どんどん飲みなさい」と言いつつ酒をついでくれたり、我が好物である“焼酎割”をグラスが空になる前にまめに作り替えてくれる人物だった。

 実際問題、亭主も私もただの一度も義父の老後のお世話をすることもなく、平均寿命を全うされてこの世を安らかに旅立っていかれた御人である。


 そんなこんなで、私としては義父に関する思い出とは美しいばかりで、何らの不満もない。



 ところが、世間ではそうは済まされない様子である。

 朝日新聞2021.05.15付 “悩みのるつぼ” の相談は、30代女性による「夫の父と付き合いたくない」だった。

 その相談内容の要約は字数の関係で控えるが。
 要するに相談者の義父氏が旧態依然とした“男尊女卑”思想の持ち主であることを悩んだ末での相談のようだ。
 更には、この相談者の義父氏は時事問題等において“他国の悪口”を自身の子供さんの前で平然と言ったりもする様子である。
 その頑固さの程に耐え切れず、相談女性は現在義父と断交中とのこと。



 最後に、原左都子の私見で締めくくろう。

 いやいや、相談女性には申し訳ないが。
 私の場合、40近い年齢にして見合結婚を選択し大正解だったとの結論に至りそうだ。
 こんな相談に巡り合うと、まさに“見合い結婚”の長所が浮き彫りになる気さえする。
 嫁ぎ先の義父に一生 “さん付け”で呼んでもらいつつ、大事にされる嫁など何処に存在するだろう??

 相談女性の場合、未だ30代との若さ。 おそらく恋愛結婚であられたことだろう。
 実際重い課題を抱えられてしまっている事実を、気の毒にすら感じるが…

 今回の回答者であられる 文筆業の清田隆之氏のアドバイスとは。
 “義父ではなく夫と対話を” とあるが。

 確かに今現在相談女性が頼るべきは、恋愛結婚をしたと思しきご亭主以外に考えられないことだろう。