原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我が過去に経験したFacebook上の事件、あれぞ「国際ロマンス詐欺」だったのか???

2021年05月18日 | 時事論評
 (冒頭写真は、表題の“事件”中に相手英国人男性から届いた英文メールをコピーしたものの一部。 コピーするといつもA4用紙1~3枚程の分量のメールが届いた。 個人情報につき、あえて裏面から撮影しています。)


 冒頭から参考だが、「国際ロマンス詐欺」に遭う女性の条件とは。 
  〇  SNSを活発に行い、英語が一定以上できる人
  〇 異性の外国人からSNSを通じてアプローチを受けている人
               その他であるらしい。

  私め原左都子の場合は、決してSNSを活発に行っているわけではない。
 確かにフェイスブック上の「友達登録」は外国人(女性も含め)が多く、それらの人々と英語にて連絡を取り合ったりする機会がある。(高齢に達した現在は大してその機会が多くはないが。)
 


 今回のエッセイは、2015.8.29 公開 「ネット上の『振り込め詐欺“海外版”』に要注意!」 の続編の形となろう。

 冒頭より、上記バックナンバーの後半部分を要約して反復させて頂こう。

 2015.7月上旬頃、某SNS(Facebookだが)上に欧州英語圏在住の某男性(以下B氏とする)から、私宛に「友達申請」が届いた。
 私の場合、とにかくネット上の友達付合いに関して慎重の上にも慎重を重ねているため、決してすぐさまそれに応じることはない。 「何故に友達申請を頂けたのか? 如何なるルートで我がページを見つけたのか?」等々を必ずや本人宛に確認することにしている。  これらの我が質問に対し、B氏は(英語にて。 参考だが日本語はまったく出来ない人物だった。)ご自身の自己紹介も含めて十分な返答をくれ、私はその内容を吟味した上で友達申請に応じた。 
 その後B氏とのやり取りは、某SNS上のメッセージ欄 及び Eメールにて続いた。  7月上旬頃より数日前に至るまで、B氏より私宛に届いた英文長文メールの数々はファイル1冊分にも及ぶ。 (パソコン画面上で把握不能な英単語等に対応するため、B氏よりのメールを逐一紙面に印刷して私は電子辞書を引きつつ返答をした故だ。)
 1カ月半に渡りこれだけのメールのやり取りをした両者間で、当然ながら“仲良し意識”や“信頼感”が育まれていたと、私もB氏も意識していたと信じたい。
 B氏の職業とは石油分野に於ける高度の専門職であるが故に、何処かの国にて石油プラントパイプラインを建設する等大規模プロジェクトに参加する目的で、世界各国を訪問することが頻繁のようだ。  今回もアジア某国のパイプライン建設に伴い、B氏が現地に出向いた直後に事件が起きた。
 8月下旬のつい最近、治安が悪い某アジア国に到着したB氏が私宛にメールを寄こして曰く、「銀行のトラブルによりキャッシュカードたまったく使用出来なくなった。 早急にお金(日本円にして6万円程の少額だが)を我が銀行口座まで送金して欲しい。」
 いやはや、愕然とさせられた。  私にも海外経験はあるが、確かに治安が悪い国に於いてこのような事態が起こりうる事は私も理解可能だ。 それにしても旅慣れた人間であれば、いくばくかの自国通貨を現金として持参しているであろうし、あるいはクレジットカードで事が済ませられる場合もある。 
 それを私はB氏に伝えつつ、「もしかしたら、貴方が私と出会いたかった理由とは最初から“振り込め詐欺”目的だったのですか? そうだとすれば残念ですが私は今後あなたと付き合う訳にはいきません。」とのメール返答をした。
 即座にB氏よりメールにて返答があった。 「本気で私が困惑している時にあなたの回答に失望した。借りたお金は銀行トラブルが解消次第返すと書いたはずだ。 もうあなたを頼ることはない。 1か月半に及びメールにて楽しい時間を共有できたことには感謝したい。ありがとう。」  そして即刻B氏は、某SNS上の私への「友達申請」を削除したようだ。 それに一応安堵している私であるが…。
 実際問題、当該事件が「詐欺」だったのか否かの判断が私には出来ずにいる。  日本国内で多発する“振り込め詐欺”の現状を慮った場合、今回の私の判断は誤っていないと結論付けているものの…。
 ただ、B氏に対して背信行為をしたのかとの心の痛みも無きにしも非ずだ。 それ程に1か月半に及び日々B氏と交わしたメールやり取りの重みは私にも忘れ難きものがあり、後ろ髪をひかれる思いなのだ…。
 
 その後、約1週間が経過した。
 B氏より某SNS上の私に対する「友達申請」削除措置がとられて以降、特段の動きはなく我が日常は平穏に経過している。

 ただ、私の心中は未だくすぶり続けている。
 もしも今回の「事件」が真に“振り込め詐欺”目的であった場合、B氏が即刻「友達申請」削除措置をとってくれたことは“不幸中の幸い”であり、実質被害が何ら発生しなかったことに心より安堵すれば済む話だ。

 一方、実はそうではなく、もしもB氏の要求が真に私に対する「金銭借入」(最悪の場合「振り込め詐欺」)であったとするならば…
 私はどうしても腑に落ちない点がある。 何故、ネット上で知り合って1ヶ月半しか経過していない私に対し「金銭借入」の要求をしてくるのか? 
 それはおそらく上記に記した通り、B氏との付き合いがたとえネット上にての関係であれ“ファイル1冊分の重み”がある故と私側も感じるのだ。 おそらくこの“1ヶ月半のみ”を思い起こせば、私側とてこの世の誰よりもB氏こそが一番仲が良かった感覚を抱けた。 普段これ程までに1対1でじっくり語り合える相手とは、(家族も含め)現実世界で滅多にお目にかかれる機会はない。 そんな双方の共通認識が、B氏が切羽詰まった状況下で私に対する「金銭借入」行動を起こさせたのかもしれないとも推測するのだ。
 正直に言うと、今尚どうしても我が脳裏にB氏との1ヶ月半に及ぶメール交換を通じた交友関係が堂々巡りする。 この感覚に私なりの“落とし前”を付けない事には、9月に入っても気持ちよく秋が迎えられないごとくのマイナーな心理状態だ。

 それにしてもB氏が私に対して取った行動とは、極端と言えやしないか。
 もしも単に私に「金銭借入」を申し入れたかったと仮定しても、何故それを断った私に対して「失望した。今後一切貴方を頼ることはない。」と“捨てセリフ”の啖呵を切って寄越せる筋合いがあるのか?  しかも、あちらから「友達申請」して来てそれを私なりの選抜方式により承認したにもかかわらず、事件直後にSNS上の「友達申請」を即刻あちらから削除措置を施すに至っている。 (あんたか友達になってくれ!と嘆願したからそれに応えてやったのに… との正直な思いと共に)これぞ、やはり振り込め詐欺だった故か??と私が勘ぐる所以だが…。
 私の推測では、おそらく「金銭貸借」にかかわる(特に先進国間での)国際社会間の“文化の差”はないものと想像するし、それに期待したい。
 B氏宛の「金銭貸借」第一報のお断りメールにて、私が一筆明記したのが次の文章である。
 「如何なる人間関係に於いても、金銭貸借は控えるべきなのが基本と私は心得ている。 貴方が現在置かれている切羽詰まった事情は把握するが、我が基本理念故にどうしても今回は貴方とは金銭貸借は出来ない。」

 原左都子の私論でまとめよう。 
 いやはや男女間に限らず、人間関係(引いては国際政治関係にまで視野を広げても)に於ける初歩的理念として「金銭貸借」を基本的には慎み回避するべきではあるまいか?
 人間が人間同士として対等に関わり合うためには、これぞ外せない条件と私は昔から心得ている。
 その理念に基づきこの世を渡って来ている私としては、たとえ相手が我が実親であれこちらから金銭借入を申し出た事などただの一度も無い。 あるいは我が亭主に関しても現在“年金独立採算性”を採用し、お互いの年金の貸し借りなど、今後に及び一切しない方針である。
 当然ながら金融機関から融資を受ける事も毛嫌いしている私は、過去に於ける度重なる住居買替購入にもかかわらず「住宅ローン」の借入れに関して短期間で全額完済を成し遂げて来ている。 今後も一生、金融機関より一切の借入れをする予定などない。

 ましてや、たかがネット上で知り合ったB氏と「金銭貸借」を一切する気がない私の思いは今尚歴然だ。
 今回の事件が“振り込め詐欺”ではなかったと仮定するとして、B氏に「貴方に失望した」と言われた事実など、今後に続く我が強靭な「金銭貸借」に関わるポリシーに基づけば大した困惑ではないと言え、私は私なりの“落とし前”を付けられたと判断するべきだろうか…?!?

 (以上、2016夏の終わりに公開したバックナンバーより引用したもの。)



 話題を大幅に変えよう。

 つい最近、ニュース報道等で「ロマンス詐欺」と銘打つFacebook上の振り込め詐欺関連の報道に接した。

 何でも、詐欺被害に遭ったのは日本国内各地の複数の60代女性達。
 その詐欺の特徴とは、相手男性は“国連に勤務する医師”とのことのようで、“フィアンセ”である貴女に日本まで会いに行きたいからその旅費として100万円を振り込んで欲しい、と伝えられたらしい。
 (ところがニュース報道によれば、金融機関で振り込む際に被害者女性が用紙に“カタカナ”で記入し始めたことを不審に思った窓口係員が“国際ロマンス詐欺”と見抜き詐欺であることが判明したとのことだ。 ちょっと分かりにくい話だが、その女性の場合は“完璧に”騙されていたのであろう。)

 2016夏の我がフェイスブック事件と比較してみるに。
 私の場合はそもそもお互いに十分に自己紹介し、私の方は亭主と娘がいるこをあちらは最初から把握している。 その立場にして決して私を“フィアンセ”と呼ぶわけもなかった。 あちらは奥様を癌で亡くされたようだが、当時16歳高校生の可愛い息子さんがいて2人でテニスをする写真等々を送ってくれたりもした。
 とにかくよく写真を送ってくれる人物だった。
 私とのフェイスブック上の付き合いとは、要するに“文通”だった。 筆まめな人であり同じく筆まめな私と意気投合して、一体どれ程のメールのやり取りをしただろうか。 
 私側としては、またとはない英語ブラッシュアップのチャンスでもあり、実際あの夏の1か月半の間に英文読解・英文記述能力が久々に急激にアップしたものだ。

 別の側面から加えると、人間とはたとえメールとの手段であれ、一定期間親密に付き合えば“情が移る”ものでもあろう。
 B氏に関してはご自身最愛の当時16歳の息子さんの日々の話題も多く、まさに我が“母心”に染み入るものもあったのも確かだ。

 この事実を逆側面から考察するに。

 我が過去のSNS上の経験がもしも「振り込め詐欺」(上述の通り私の場合は自力で未然に防いだ立場だが)であったならば、やはりその実態とは甘いものではないのかもしれない。