原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日本学術会議 梶田隆章会長、16日の菅首相との会談後窮地に立たされたか??

2020年10月18日 | 時事論評
 表題の梶田氏と菅首相との10月16日の会談に於いて、梶田氏は会員の任命から除外された6人の速やかな任命と理由説明を求める要望書を提出したのに対し。
 首相側は、今後の対応や理由について言及しなかったようだ。

 会談は、たったの15分間のみ。
 首相は会談後、記者団の取材に対し、「学術会議が国の予算を投ずる機関として国民に理解される存在であるべきだ」との考えを述べたらしい。
 梶田会長からは、「未来志向で今後の学術会議のあり方を政府と共に考えていきたい」との話があったとのことでもある。 
 その後梶田氏は記者団の取材に応じ、「本日はそこまで踏み込んでお願いはしていない。 学術会議の今後のあり方について、意見交換をさせてもらった。学術に基づいて社会や国に国に対して、どういう風に貢献していくかというようなことを主に話した」と明かしたようだ。
 「任命除外問題の対応については、「学術会議でしっかりと検討していきたい」と述べるにとどめた、との報道だ。
 
 (以上、朝日新聞昨日2020.10.17付朝刊記事より一部を引用したもの。)



 一旦、私見に入ろう。

 このニュース、私も16日夜のテレビニュースにて見聞したが。
 学術会議の梶田会長にとっては、またと無きせっかくの菅首相との二者会談にもかかわらず。 たったの15分、しかも何らの対話らしき対話もなされぬままに、核心の部分にはまったく触れず終いで終了した様子に拍子抜けの思いをさせられた。

 これ、元々“そういう会合にしよう”との両者の約束だったのだろうか? 例えば、どちらかの時間の都合等々で。??
 こんなご対面(決して“会談とは言えないだろう)に終わるのならば、むしろ梶田会長としては回避するべきだったのではなかろうか?
 学術会議経験豊富な他の幹部と共に、もっと実のある菅首相の対応会談を設けるべきだったはずだ。 (今後その予定が組まれているのだろうか。)



 そのように落胆していたところ。
 やはり巷では、この会談等を批判したコメントが公開されている。

 まずは、小沢一郎衆院議員のツイッター投稿から紹介しよう。
 小沢氏は17日付ツイッター投稿で、日本学術会議を巡る問題に関して「もはや意味不明。いつのまにか日本学術会議こそが諸悪の根源のような話になってしまっている」と指摘した。
 菅義偉首相が16日に、日本学術会議の梶田隆章会長と会談し「国の予算を投ずる機関として国民に理解をされる存在であるべき」と伝えたと報じたニュースを引用し、批判した。
 小沢氏は「総理自らが招いた学問の自由の侵害なのに問題のすり替えに血眼。政権の批判者を徹底的に潰す極めて陰惨な政治手法」と投稿した。

 次に、前川喜平元文部科学事務次官による16日のツイッター投稿だが。
 日本学術会議の梶田隆章会長が官邸に出向き、同会議が推薦した会員候補6人の任命拒否問題を巡り菅義偉首相と会談したものの、理由の説明と6人の速やかな任命を求める要望書を提出して終わったことに「腰砕け」と投稿した。
 前川氏は「梶田学術会議会長は、何をしに官邸まで行ったのか。腰砕けもいいところだ。菅首相の思う壺にはまってしまった。情けない」と憤まんやるかたないといった胸中をにじませた。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 まず、小沢氏のツイッター投稿だが。
 
 「いつのまにか日本学術会議こそが諸悪の根源のような話になってしまっている」 更には、菅首相の「国の予算を投ずる機関として国民に理解をされる存在であるべき」との発言に対し、小沢氏は「総理自らが招いた学問の自由の侵害なのに問題のすり替えに血眼。政権の批判者を徹底的に潰す極めて陰惨な政治手法」 
 これらの小沢氏のご指摘、ごもっとも!
 まさに、菅首相による“問題のすり替え”に他ならず、政権批判者を徹底的に潰す極めて陰惨な政治手法だと、原左都子も同感だ!😠 


 これに対し前川氏のツイッター投稿は梶田氏批判に集中している。

 確かに、今回の梶田会長の菅義偉首相の対応が「腰砕け」であると批判されてもやむを得な一面もあるかもしれない。
 ただ、菅首相の“思う壺”にはまったかどうかは、今後の学術会議幹部の対応に一任される問題ではなかろうか?



 以前にも、梶田会長人事に関する我が感想を「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて述べたが。

 学術会議新会長人選に於いて梶田氏が任命されたのは、(あくまでも我が推測だが)梶田氏が「ノーベル賞受賞者」であり国民にも名を売っている存在であるが故、と私は推測している。
 梶田氏が喜んでそれを受諾したのかどうかは私の知るところではないが。
 とにかく、理系現役学者・研究者とはその実務に多忙なはずだ。 ましてや梶田氏は未だ61歳の若き研究者。

 それでも、今回のような菅首相(管政権)による“学術会議任命拒否”なる歴史上許容しがたい“科学への冒涜”が成されずに済んだ場合、ノーベル賞受賞者であられる梶田氏でも十分に会長職が全う可能なはずだった、と私は想像する。

 そもそも物理学がご専門の梶田氏に、歴史を平然と冒涜する身の程知らずの菅首相の“対応をお任せする”事実自体に無理がある、と私は結論付けたい!


 今後は、日本学術会議全体が管首相(管政権)に立ち向かって行き、科学活動の本来あるべき姿を死守されることに期待したいものだ。 

朝日新聞 パズル「推理」 ー 2020.10.17編 ー

2020年10月17日 | 自己実現
 (冒頭写真は、本日2020.10.17付朝日新聞 パズル「推理」に原左都子が回答したもの。)



 冒頭から私事で恐縮ですが。

 本日は私の60ウン回目の誕生日です。
 「介護保険証」が手元に届く年齢に到達しました!
 
 この時期、例年ならば秋空が爽やかに晴れ渡る季節なのですが…
 今日は残念ながら、私が住む東京は冷たい雨が降り続く12月並の寒さに襲われています。😖 

 そんな寒さの中、誰に祝って貰うでも無くひとりで我が誕生日を感慨深く思いつつ、パズル「推理」解答に取り組みました!



 それでは、解説に入りましょう。

 最近の「推理」、以前よりレベルが上がっている気がするのは私のみでしょうか?
 単に私が高齢域に入ったせいで、脳内活性力が衰えてしまっているのかもしれませんが…
 今回の「推理」も“難易度3”にしては、“頭をひねる”場面もありました。

 
 まずは、登場人物の発言に従って素直に〇×を付けましょう。
 それが一巡しても、〇×記述がさほど進みませんよね??
 
 ここから、登場人物5者の発言の“駆け引き”に入ります。
 特に「ウマ」発言が、その“駆け引き”の重要ポイントではないでしょうか?
 これを意識しつつ最初の「ウサギ」に戻り、改めて5者の“通話相手”と“通話時間”との駆け引きの整合性をとっていくと、解答が完成です。


 
 パズル「推理」を完成できた事こそが、我が良き誕生祝いだったと結論付けましょう!! 😃  


2020版 「この1年、私はきちんと生きたか?」

2020年10月16日 | 自己実現
 昨年同日(2019.10.16)に公開した表題エッセイが昨日の“Popular entries top 10”にランクインしていた。


 冒頭から、そのエッセイを(一部を除き)再掲載させて頂こう。


 明日、私は誕生日を迎える。
 それに先立ち、この1年を私はきちんと生きたか? に関して、是非共自己検証しておきたい。
 
 まずは、健康面から。
 今年も元気で良かった!  と信じようとしていたところ、誕生日目前期にして10年ぶりに内科を受診する始末となった。 その結論は未だ出していないのだが、私は我が主治医の診断を尊重したい。 多少の不調を未だ引きずっているものの、主治医が発してくれた「貴女はお元気だと思います。」の言葉を、元医学関係者として受け入れたく思っている。
 その他に関しては突発的なけがもなく、ほぼ順調だったと言えよう。
 
 次に、人間関係。
 まずは、親族関係から。 私程、親族から絶大な信頼を得つつ当てにされている人間も珍しいのではあるまいか?  その一番の原点は、上記のごとく私が健康である故と分析する。 私が親族の前で一言でも「体調が悪い」などとボヤいたものならば、その信頼は一気に吹き飛ぶことだろう。  あるいは若き頃から培ってきた我が専門力の程も、十分に役立っていると自己評価する。 親族から何を訴え出られても、それに即時対応可能な能力と行動力を発揮可能な自負もある。
 これを我が栄誉と捉え、今後共、親族皆の期待に応えたいものだ。
 実際、(亭主は後回しにしておいて)娘もサリバンの指導通り、順調に自分が進むべき道を精一杯歩んでいる。  実母・義母(認知症と難聴には困惑させられるが)は私の支援を大いに当てにしつつも、比較的元気に施設ライフを送ってくれている。 義母に関しては、私が保証人になった7年程前から徐々に不要な投薬を減らしていった事実も、現在の調子の良さの一要因であろう。 実際、実母も義母も何かが起れば、必ずや娘(嫁)が助けてくれると信じて疑っていない。 私としても有難いことだ。 その信頼に応えるべく、今後も精進しよう。   ああ、亭主ねえ。 あの人こそ口には出さないが、私に一番依存している事であろう。
  
 自己実現面に関しては。
 今年は、ランニング練習によく励んだと自分を褒めたい。 11月にロードレースを控えているが、益々ランニング力を“私なりに”レベルアップしたいものだ。
 娘と二人の「ウィーン個人旅行」もよく“頑張った”!  見知らぬ地で、現地の人々の人情に触れる事も叶ったし、(台北のごとくの“バスタブにて後頭部強打”)等の事故もなく、比較的元気に帰国できたのも何よりだ。  遅ればせながら現在フォトブックを作成中だが、その写真を今見ると、何とも美しいウィーンだこと! 年内に作成して、我が宝物としたい。
 体型維持も、よく頑張った。 いえいえ何を努力している訳でもないが、日々数回ずつ体組成計に乗って、我が身体情報を綿密に確認している。  165㎝、46kgのモデル体型??!? (一人で言っていよう。)を維持したまま、また一つ年齢を重ねられる事実が自己満足感を増強させてくれる。
 
 何だか自分に都合のいい事しか思い浮かばない「1年間の総決算」となったようだ。
 ただ、それこそ私が前向きである証拠と気分良くして、明日新たな年齢を迎えよう。

 (以上、ちょうど1年前に公開したエッセイを再掲載したもの。)



 さて、話題を“2020版”に変えたいところだが…

 何と言っても、(私のみならず世界中が)早春頃からは“コロナ禍”に翻弄された年だった。 (今後もまだまだ続行するのだろうが…)

 それでも「健康面」に於いては、コロナ禍に対抗するべく慎重な行動により、それの感染を回避できていることをプラス評価するべきだろう。
 
 すべてが“コロナ禍”の影響を受けてしまった。
 「人間関係」然り、「自己実現」然り… 😫 
 
 毎年1回は必ず実施している娘と2人の海外個人旅行も、今年は行けず終い… おそらく後2,3年は実行不能な事と覚悟を決めているが。
 国内旅行すら実行不能。 そして外食とてただの一度も実施していない。
 世間では「GO TO …」と浮かれているが、昨日など東京都では300名近い感染者を出すに至っている。 我が年齢を勘案すると、自粛方針で大正解であろう。

 「自己実現」面だが。
 この1年もコロナ禍下でランニング練習はよく頑張った。
 ただしマスク着用のランニング練習、どうしてもジョギングペースにならざるを得ない。 先週久しぶりに大規模都立公園内で5㎞のタイムを測定してみたら、何と、昨年同時期よりも2分も遅いタイムで愕然とした。😭 
 ただ、今年はコロナ禍の影響で毎秋出場しているロードレース大会が中止とのこと。 ここしばらくは心穏やかに、ジョギングペースの練習を楽しむべきだろう。

 「体型維持」に関してだが、これは例年同様故に上記記述をコピーすると。
 何を努力している訳でもないが、日々数回体組成計に乗って我が身体情報を綿密に確認している。  165㎝、46kgのモデル体型??!? (一人で言っていよう。😝 )を維持したまま、また一つ年齢を重ねられる事実が自己満足感を増強させてくれる。
 そして、これぞ我が「健康維持」に最大貢献してくれている長年続く生活習慣である。
 幾つになっても“医者いらず”を貫きたいものだ。

 今秋早くも「介護保険証」が到着して困惑させられたが。
 「健康保険証」が要らない我が身にして、「介護保険証」とはどうしたことか?!?😵  との感覚だが。


 明日一歳年老いても、まだまだ身内高齢者達の支援等々に励みつつ、“コロナ禍”にめげず充実した日々を過し、引き続き“きちんと生きたい”ものだ。😊 

「ニュートリノで探る宇宙と素粒子」 - vol.2 -

2020年10月15日 | 学問・研究
  数本前に公開した ノーベル物理学賞受賞・梶田隆章氏著書 「ニュートリノで探る宇宙と素粒子」より、ニュートリノの話を続けよう。


 ニュートリノは観測するのがとてもむずかしい粒子です。
 何かにぶつかっても止まったり曲がったりせず、地球すら貫通して飛んで行ってしまうからです。
 そのニュートリノは雨あられと地球上に降り注いでいて、太陽から地上にやってくるものだけでも、1平方㎝当たり毎秒660億個もあります。
 だからといって、地球全体をいつも見張っていて反応をチェックすることなどできません。
 代わりに、決まった場所に大量の物質を用意して注意深く観測していれば、いつかは反応を捕まえる機会があるはずです。
 本書で詳しく説明する「スーパーカミオカンデ」という装置は、岐阜県飛騨市神岡町の鉱山の地下深くにつくられた、直径約40m、高さ約40mの水槽を5万トンの水で満たした大がかりなものです。
 この装置で、ニュートリノが水中の陽子や中性子や電子と反応したときに発生する「チェレンコフ光」を観測することができます。
 このような大がかりな装置を使ったニュートリノ研究が世界のあちこちで続けられているのは、ニュートリノが宇宙で起こった様々な事件の情報を、私たちに伝えてくれるからです。

 たとえば、突然現れて明るく輝き、やがて消えてゆく「超新星爆発」。
 「新」という呼び名とはうらはらに、太陽の何倍も重い星が一生を終えるときの最後の姿です。 この爆発のエネルギーの99%はニュートリノとして放出され、地上の実験室では絶対に再現できない、大量の物質が超高温・超高密度になったときの情報を、そのまま持って地球にやってきます。
 ニュートリノがいちばんたくさんつくられたのは、宇宙の始まりすなわち「ビッグバン」のときと考えられています。 宇宙空間は開闢以来、すみずみまでニュートリノで満たされていると言っていいでしょう。 ニュートリノは宇宙でいちばんたくさんある、最もありふれた粒子なのです。
 ここから得られる「ビッグバンから約40万年後」の情報が、現在の私たちにとっていちばん古い宇宙の情報です。
 もし、宇宙を満たすニュートリノを観測することができたら、私たちは宇宙マイクロ波の観測よりもさらにビッグバン直後にまで遡る情報を手に入れることができます。
 しかし残念ながら、このニュートリノはエネルギーが低すぎて、今のところその観測方法すら分かっていません。

 ニュートリノ研究は1930年代以来今に至る歴史を持っています。
 本書では、主に1980年代半ば以降、現在につながるニュートリノ研究、中でも特に世界の研究に果たした役割が大きかった、岐阜県飛騨市神岡の鉱山の地下で行われてきた研究を中心に書いていきます。 
 私(梶田氏)も大学院生の頃から、この研究にかかわってきました。
 史上初めて私たちの太陽系の外から飛んできた「超新星ニュートリノ」を観測したのは「カミオカンデ」という実験でした。2002年に小柴昌俊博士がノーベル物理学賞を受賞したのは、主にこの業績によってです。 
 また「スーパーカミオカンデ」では、「質量があるかあるいはきわめて軽い」と考えられてきたニュートリノに「質量がある」ことを世界に先駆けて発見しました。 (まさに、梶田隆章氏はこの業績により2015年に“ノーベル物理学賞”を受賞されているが。)

 ニュートリノ研究は、まず理論がその存在を予言し、それを実験が確認して出発しました。 これとは逆に、実験から予想されなかったような結果が得られ、それを説明するために新たな理論が生まれることもあります。
 科学にはこのように、理論と実験が手を携えて発展していくのが常です。
 にもかかわらず一般向けの科学の本には、理論に重心を置いた書き方のものが多い気がします。 
 私は実験を専門にしているので、この本は実験に重心を置いて書いていきたいと思います。

 (以上、梶田隆章氏著「ニュートリノで探る宇宙と素粒子」より“前書き”部分を要約したもの。)


 
 最後に私事・私見を記そう。

 いやはや、この原左都子も医学分野の仕事に於いては研究課題に於ける「実験」を中心に担当する職種だったため、梶田氏に更なる興味を抱かせていただいた。
 まさに科学(特に“自然科学”分野)とは、「実験」あっての理論の実証の世界であると言えよう。

 余談だが、我が梶田氏に対する感覚としてそもそも“物静かな”人物なのではなかろうか? なる印象があるのだが。
 実はこの原左都子も、その原点は“物静か”な人間であると自己分析している。 (えっ、嘘こけよ、って??)
 実際、実験作業とは集中力を要する生業であり、また“物静かさ”が要求される職種であるとも言えよう。 (少なくとも、“多動性”があったり注意散漫なタイプの人は、実験業には向かないであろう。)

 それにしても、梶田氏によるとニュートリノとは「宇宙でいちばんたくさんある、もっともありふれた粒子」だそうだが。
 そんなことも知らずに今まで生きてきて高齢者域に突入した我が身を、今更ながら恥じ入るばかりだ…😷 


40歳にして未だ青臭いキヨタくん、女をナメんなよ。

2020年10月13日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭写真は、朝日新聞2020.10.08付 夕刊記事より転載したキヨタくん。自称?? 文筆業 清田隆之氏。)


 何故キヨタくんの親くらいの年代である原左都子が、キヨタくん(清田隆之氏)を存じているかと言うと。
 1年程前より、朝日新聞“悩みのるつぼ”の回答者を氏が担当している故だ。


 ここで、ネット情報より清田隆之氏に関するプロフィールを引用しておこう。
 
 1980年東京都生まれ。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1000人以上の悩み相談に耳を傾け、それをコラムやラジオで紹介している。恋愛とジェンダーの問題を中心に執筆活動を行っている。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 そのキヨタくんに関する記事が、朝日新聞2020.10.08付夕刊に掲載されていた。 以下に一部を引用しよう。

 「俺たち」から「私」という個人への脱皮を目指そうと恋愛とジェンダーをテーマにしてきた某冊子を読んで、「俺」という一人称について考えてしまった。
 「僕も仲間内では『俺』という。『私』は原稿だけ。使えるようになったのは最近だが」
 相手との関係性によって一人称を使い分けるのは、男ならよくあること。 本ではひたすら正直に自分のことを綴った。 高校時代、初めての彼女との交換日記の一人称は「俺」で、相手を「お前」と呼んでいた。
 自分にとって最大の失恋は、30歳のときに、5年付き合った彼女から愛想を尽かされた経験だという。
 彼女とは高校時代に知り合い、長い片思いの期間を経て、ようやく恋人と呼べる関係になった。 
 30歳が近づくと、彼女が結婚を意識しているのだろうなと感じることが増えた。 自分だってこれが最後の恋愛、結婚するなら彼女と決めていた。
 月1万円の貯金を始め、ライターの仕事をがむしゃらにこなす一方、会える時間をもっと増やそうと努力した。 体力作りに励みながら、飯のためだけじゃない仕事も模索した。「頑張っている俺」に酔っていた。
 そんな時に彼女に言われたのが、この言葉だった。
 「キヨタ、全部は無理なんだよ」 ただ呆然とした。
 今なら分かる。 実家から堅実な生き方を迫られ、出産のタイムリミットも考えざるを得なかっただろう彼女は、結婚の現実に向き合おうとしなかった自分に絶望していたと。「女性を縛る環境について当時は想像できなかった。」
 女性からの相談に乗る活動を大学時代から続けていた。 彼女らを悩ませる男性の理不尽な振る舞いの数々が自分にはねかえってくるようになり、独学でフェミニズムにたどり着く。 

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 
 私事及び私見に入ろう。

 最初に、清田隆之氏著書のただの一冊も読んでいない身にしての私見展開をお詫びしておくべきだろう。

 長~~~い独身時代を仕事と学業・恋愛三昧で満喫した末に、40近くにて計画的見合い晩婚を果たした原左都子にとって、上記のキヨタくんの記述が分かりにくい。
 結婚直前に彼女に吐き捨てられたとの、彼女からの「キヨタ、全部は無理なんだよ」との台詞も私にとっては意味不明だ。

 ホントにその彼女が実家から堅実な生き方を迫られ、出産のタイムリミットを考えざるを得ない状況下にあったのだろうか?
 利口な女(語弊ある表現だし、この原左都子がそれに該当するとも言わないが)、ならば、そんなもの自己責任でいくらでも調節・対応可能だ。
 当時のキヨタくんの彼女が切にキヨタくんとの結婚成就を望んでいたならば、2人の関係はいくらでも成就の道筋があったはずと想像するのだが…

 しかも私が不可思議なのは、我が長~~~き独身時代より、キヨタくんの恋愛時代の方が時代的・環境的にずっと進化しているはずなのに。
 何故、彼女の「全部は無理なんだよ」(私にとっては意味不明だが)発言を直ぐに受け入れてしまって、別離の道程を歩んでしまったのだろう?

 それがきっかけで、キヨタくんは独学でフェミニズムに辿りついたと記されているが…



 ここから朝日新聞“悩みのるつぼ”に話題を移そう。

 1年程前から、清田隆之氏が回答者をされている“悩みのるつぼ”に接する機会がある。
 どうやら、女性からの悩みの相談に答える機会が多いようだが。

 原左都子に言わせて貰うならば、清田隆之氏のご回答だが。
 “フェミニズム”観点と言うよりも。
 相談女性の核心の悩み部分に触れるところまで到着していない、との感想を持つのだが。 何と言うのか、“優しげな回答”を施しているのみで回答として成立していない印象を受ける。

 たとえば、つい先だって2020.10.10の“悩みのるつぼ”清田氏の回答を我がエッセイ集バックナンバーより振り返ってみよう。

 今回の回答者は、文筆業・清田隆之氏であられるが。 その回答内容のごく一部を、以下に紹介しよう。
 得られたかもしれない価値を上回る今を生きない限り後悔は拭えない。つまり現在の価値を高めていくのが最良の方法と思われる。
 (相談者自身が)興味のあることに触れ、欲望のおもむく方向に進んでみる。 これからは「家族のため」や「世間的にみて」は気にせず、時間とエネルギーを自分のために使っていくことが大事ではないかと思う。
 家族の円満をキープしたままそれが出来たら最高だがもし夫の理解を得られない場合は、“ひとりUターン”もありだろう。 
 (以上、清田氏の回答内容より一部を引用したもの。)

 原左都子の厳しい見解だが。
 この相談女性に、「興味のあることに触れ、欲望のおもむく方向に進んでみる」なる心理面での余裕があると清田氏は捉えたのだろうか??
 それが現在相談女性に欠落している故の相談だったと私は理解した。
 しかもだ。
 この相談女性に、“ひとりUターン”のパワーがあると判断してのご回答か??
 悩み回答業とは、相談者に“表向き”のみ優しく接すれば何とかなる分野では決してあるはずが無い! 相談者の命がかかっている場面すらあるものだ。
 
 未だ40歳の貴方には所詮“背伸び”せざるを得ない回答業であることだろう。
 ここは“フェミニズム”の垣根を超越して、今後は“悩みのるつぼ”回答の場面では、清田隆之氏の能力範囲(例えば、高校生大学生等々)の回答を選択させて貰ってはどうか?

 まずはキヨタくんこそが少しだけ名を売ることよりも、自身を取り巻く環境下で“本気で濃厚に生きる”ことを実践し直しても遅くは無い気もする。
 
 (清田隆之氏にとって失礼発言だった場合、深くお詫び申し上げます。)