数本前に公開した ノーベル物理学賞受賞・梶田隆章氏著書 「ニュートリノで探る宇宙と素粒子」より、ニュートリノの話を続けよう。
ニュートリノは観測するのがとてもむずかしい粒子です。
何かにぶつかっても止まったり曲がったりせず、地球すら貫通して飛んで行ってしまうからです。
そのニュートリノは雨あられと地球上に降り注いでいて、太陽から地上にやってくるものだけでも、1平方㎝当たり毎秒660億個もあります。
だからといって、地球全体をいつも見張っていて反応をチェックすることなどできません。
代わりに、決まった場所に大量の物質を用意して注意深く観測していれば、いつかは反応を捕まえる機会があるはずです。
本書で詳しく説明する「スーパーカミオカンデ」という装置は、岐阜県飛騨市神岡町の鉱山の地下深くにつくられた、直径約40m、高さ約40mの水槽を5万トンの水で満たした大がかりなものです。
この装置で、ニュートリノが水中の陽子や中性子や電子と反応したときに発生する「チェレンコフ光」を観測することができます。
このような大がかりな装置を使ったニュートリノ研究が世界のあちこちで続けられているのは、ニュートリノが宇宙で起こった様々な事件の情報を、私たちに伝えてくれるからです。
たとえば、突然現れて明るく輝き、やがて消えてゆく「超新星爆発」。
「新」という呼び名とはうらはらに、太陽の何倍も重い星が一生を終えるときの最後の姿です。 この爆発のエネルギーの99%はニュートリノとして放出され、地上の実験室では絶対に再現できない、大量の物質が超高温・超高密度になったときの情報を、そのまま持って地球にやってきます。
ニュートリノがいちばんたくさんつくられたのは、宇宙の始まりすなわち「ビッグバン」のときと考えられています。 宇宙空間は開闢以来、すみずみまでニュートリノで満たされていると言っていいでしょう。 ニュートリノは宇宙でいちばんたくさんある、最もありふれた粒子なのです。
ここから得られる「ビッグバンから約40万年後」の情報が、現在の私たちにとっていちばん古い宇宙の情報です。
もし、宇宙を満たすニュートリノを観測することができたら、私たちは宇宙マイクロ波の観測よりもさらにビッグバン直後にまで遡る情報を手に入れることができます。
しかし残念ながら、このニュートリノはエネルギーが低すぎて、今のところその観測方法すら分かっていません。
ニュートリノ研究は1930年代以来今に至る歴史を持っています。
本書では、主に1980年代半ば以降、現在につながるニュートリノ研究、中でも特に世界の研究に果たした役割が大きかった、岐阜県飛騨市神岡の鉱山の地下で行われてきた研究を中心に書いていきます。
私(梶田氏)も大学院生の頃から、この研究にかかわってきました。
史上初めて私たちの太陽系の外から飛んできた「超新星ニュートリノ」を観測したのは「カミオカンデ」という実験でした。2002年に小柴昌俊博士がノーベル物理学賞を受賞したのは、主にこの業績によってです。
また「スーパーカミオカンデ」では、「質量があるかあるいはきわめて軽い」と考えられてきたニュートリノに「質量がある」ことを世界に先駆けて発見しました。 (まさに、梶田隆章氏はこの業績により2015年に“ノーベル物理学賞”を受賞されているが。)
ニュートリノ研究は、まず理論がその存在を予言し、それを実験が確認して出発しました。 これとは逆に、実験から予想されなかったような結果が得られ、それを説明するために新たな理論が生まれることもあります。
科学にはこのように、理論と実験が手を携えて発展していくのが常です。
にもかかわらず一般向けの科学の本には、理論に重心を置いた書き方のものが多い気がします。
私は実験を専門にしているので、この本は実験に重心を置いて書いていきたいと思います。
(以上、梶田隆章氏著「ニュートリノで探る宇宙と素粒子」より“前書き”部分を要約したもの。)
最後に私事・私見を記そう。
いやはや、この原左都子も医学分野の仕事に於いては研究課題に於ける「実験」を中心に担当する職種だったため、梶田氏に更なる興味を抱かせていただいた。
まさに科学(特に“自然科学”分野)とは、「実験」あっての理論の実証の世界であると言えよう。
余談だが、我が梶田氏に対する感覚としてそもそも“物静かな”人物なのではなかろうか? なる印象があるのだが。
実はこの原左都子も、その原点は“物静か”な人間であると自己分析している。 (えっ、嘘こけよ、って??)
実際、実験作業とは集中力を要する生業であり、また“物静かさ”が要求される職種であるとも言えよう。 (少なくとも、“多動性”があったり注意散漫なタイプの人は、実験業には向かないであろう。)
それにしても、梶田氏によるとニュートリノとは「宇宙でいちばんたくさんある、もっともありふれた粒子」だそうだが。
そんなことも知らずに今まで生きてきて高齢者域に突入した我が身を、今更ながら恥じ入るばかりだ…😷