原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今日のコネは明るい未来への足かせ

2019年11月22日 | 仕事・就職

 ブロガーの皆さんは、ご自身が公開した過去のバックナンバーを読み直すことがあるだろうか?

 加えて、自分自身のブログバックナンバーをじっくり読み直し “悦に入る”ブロガーは、この原左都子以外にも存在するのであろうか?  これって、単に“ナルシスト”なのか??

 

 またまたバックナンバーの紹介で恐縮だが、昨日の “Popular entries top 10”に、2010.12.06公開の「今日のコネは明日の足かせ」と題するエッセイがランクインしていた。  早速以下に、私自身の経験に関して述べた部分のみを再掲載して紹介させていただこう。

 原左都子にはきっぱりと言い切れることがある。  それは、私は我が生涯における度重なる就職において“コネ”“人脈”あるいは“紹介”等、他者のバックアップを得たり他者を介する形態に一切依存したことがないということだ。 すべての就業において我が実力のみで就職をゲットしてきている。

 ウン十年前の春に初めて新卒で社会に出る時もそうだった。
 私の場合は医学関係の国家資格を取得した上での就職であり、当時その分野は“超売り手市場”という時代背景に恵まれていたことは認める。  
 そんな中、多くの学友達は既に先輩等が数多く活躍している地元の名立たる病院や医療機関への就職を早期に決定していく中、私だけはあくまでも東京に本社がある医学関連民間企業への就職を希望した。 当時先輩の誰一人として先駆者はなく開学以来私が初めてのことであり、指導教官が私の選択に関して「何もそんな冒険をしなくても、いくらでもいい就職先はあるのに…」と心配下さった程である。

 その医学民間企業での面接は今でもよく憶えている。 後にこの企業の取締役になる当時の所属部門部長が面接時に未熟な私に問いかけるのだ。 「あなたは管理する立場と管理される立場とどちらを好みますか?」  元々“一匹狼タイプ”で身の程知らずの私がきっぱりと応えて曰く 「どちらも嫌いです。」  それを受けて説諭に入る部長曰く 「企業とは社員皆が共同で一つの事業を作り上げていく組織体です。そこでは管理する事も管理される事もとても重要ですので、あなたがもしこの会社に入ったならばどちらの能力も磨くよう精進して下さい。」 
 これは企業幹部にして“的を射た”説諭であり今尚私の脳裏に刻み込まれている名言の一つでもあるのだが、その当時は「どちらも嫌いです」の我が正直過ぎる大失言により、当然入社試験に落ちたものと覚悟を決めたものだ。 どういう訳か入社が決まり、その後女子社員がどんどん結婚出産退社していく中、27歳にして同期入社の出世頭として係長に任命されるごとくこの企業で活躍し、成長させたもらえた私である。

 その後30歳にして新たな学問に励むため上記の民間企業を退社し二度目の大学に入学した後の我が就活においても、“コネ”や“紹介”等に頼ったことは一度もない。
 例えば私にとってはまったくもって専門外の“パーコン”(パーティコンパニオン)を志した時とて、誰のコネによるのでもなく“身ひとつ”でバンケット会社の面接に乗り込んだものだ。 国会議事堂前に位置する某バンケット会社の面接において首相経験者国会議員(田中角栄氏だが)元秘書の女社長と面会した際も、私が過去において積み上げたその道とは何のかかわりもない実績を大いに評価してくれ、即時採用していただいた。  その後4年の年月が流れ、大学院進学時点で夜間は定時制高校教師になるためコンパニオンを卒業する旨私が申し出た時、この女社長が「○○さん(私のこと)の今後の活躍を私も期待しています!」と激励して送り出してくれたことも、今尚印象的な出来事である。

 我が子出産後は“お抱え家庭教師”として家庭内で君臨しつつも、子どもが小学校に進学するにあたり医学的バックグラウンドを活かそうと再就職を試みた。 (現在は特定国立研究開発法人となっている)某研究所に“あわよくば”との発想で出した履歴書だったのだが、当時既に40代後半にして20倍の競争率を難なく乗り越え、またもや採用されてしまった。 (ところがこれに関しては、多少の事情を抱えた我が子がまだまだ小さ過ぎる時点での職業復帰を焦った事等々様々な我が失策に苦慮した挙句、3年で退職に至ったことについてはバックナンバーにて既述した通りだ。)
 
 そんな私も他者の“紹介”に依存せねばならなかったことがある。
 それは就職ではなく大学院進学においてだが、これは既に社会経験を大いに積んでいる私にとっては大いに鬱陶しかったものだ。
 30代半ばにして大学院進学を目指した私であるが、大学院の入試とは大学における指導教官の推薦書提出が必須であることを当時初めて知った。 それまで“コネ”や“紹介”等に一切頼らず生き抜いてきている私にとり、これは実に鬱陶しい現実だった。 やむを得ず当時の大学指導教官に相談したところ「自分で自己推薦書を書いて持って来なさい」との返答だ。 (それは結構得意かな!~)とほくそ笑みつつ自己推薦書を仕上げて持参したところ。 「あなたは自己分析力が秀でていますね!」と指導教官に唸られ、自己推薦書をほとんど丸写しで仕上げて下さって提出した経験がある。
 (推薦書の提出を強制する場合、他推選ではなく自推薦にした方が本人の自己分析力や文章力も判断材料にできるというものだ。)

  “コネ”にまつわる私自身の経験を通して習得した原左都子の思いを今回の記事の表題 「今日のコネは明日の足かせ」 に込めてみた。  “コネ”とは一時的に活用できる効用はあるのかもしれない。  ただ、その後は自分の実力で精進してこそ真の成功をゲットし得るのが人生というものであろう。
 自分自身が努力をせずしていつまでも“コネ”に頼り続けるしか脳の無い人間にとっては、“コネ”とは足かせでしかない、という今回の話である。

 (以上、2010年12月のバックナンバーの一部を引用したもの。)


 我が過去に於ける“コネ無し”就活に関する4例がピックアップされている。

 今読み直しても実に感慨深い4例なのだが、それぞれを振り返ってみよう。

 一例目の「あなたは管理する立場と管理される立場とどちらを好みますか?」事例 。

 当時より“どんだけ私が天邪鬼だったか”を思い知る事例だ。 よくぞ若輩新卒者面接において、平然と「どちらも嫌いです」発言をしたものだ。  ただ私という人間とはまさに、この“天邪鬼気質”を武器として組織で生き残ったとも考えられよう。 “天邪鬼”の内面に秘められた物凄いばかりの(組織論でいうところの)「パワー」を、若輩だったからこそ存分に発揮しつつ、この企業にて私なりのサクセスストーリー街道を歩めた気もする。

 二例目の「パーコン派遣企業」での元田中角栄氏秘書だった女社長との出会いに関して。

 この女社長氏が私の面談を担当して下さった訳では無かった。 ただ、私が(パーコンにチャレンジせんとする女性として当時は珍しかった)国公立大学学生の身分だった事実を社長氏が認識していたようだ。 毎月事務所まで給料を受け取りに行く都度女社長氏が出てきて「本業の学業頑張っていますか?」の一言をかけて下さったことを思い出す。 「はい。大学院進学そして学者を目指しています。」等の会話をしたものだ。 その大学院進学と共にパーコンを退職するに当たり、我が未来に向けてエールを贈って下さった事実には今尚感激申し上げている。  実にこの業種にて短時間に高収入を効率よく稼げたからこそ、私は学業に励む時間が保証され大学院進学が叶ったようなものだ。

 三例目の「理研」は飛ばして(と言うのも、残念ながら良き思い出がほとんどない…)、 四例目の「大学院進学時の自己推薦書」の件だが。

 この件があったからこそ、私は大学院進学後も担当教官氏より“信頼”を勝ち取れていたような気もする。 当該指導教官氏が「文化勲章・秋の叙勲」をご授賞された後も“直筆入り”年賀状交換は今尚続いている。


 最後に、原左都子の私論を述べるならば。

 何らのコネが無くとも自身の「実力の程」を認めて下さる人材と現場で出会い交流出来たならば、必ずや明るい未来があるとの事実ではなかろうか。